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学術

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学と術に関するマガジンです。占術、霊術、霊学、陰陽道など、学や術、あるいは道に関する理論や概論をご紹介しています。
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#政治

国をも動かす密教

最澄が亡くなった後、弟子たちによって天台密教が完成しました。 その弟子の一人に円仁という…

変わりゆく適切

物事が動いているその法則を知り生まれてきた弱点をつくことが作戦の肝でした 国で言うならば…

社会崩壊と杜甫

杜甫は、貧しさから社会に対する観察眼が磨かれていきました。 太平盛世を誇った天宝年間も、…

純密と雑密

元々、釈迦は呪術を護身以外に使うことを禁じていました。 しかし、仏教が発展していくととも…

動乱の詩

玄宗、粛宗、代宗の三代を過ごした杜甫は、さまに唐の時代が平和から動乱に移っていった頃でし…

相手と自分の振る舞い

交渉において、相手の気分というものが重要でした。 相手の気分を良くするために、徳を積んだ…

李白の旅

25歳の時、李白は旅に出ます。 しかるべき地位を得て、政治に参画したいという思いもあったかもしれませんが、当時は政治の表舞台に立つためには科挙を突破する必要がありました。 それを避けて政治の表舞台に立つため、湖北省を中心に宰相や大臣を目指すという作戦だったのでしょう。 そして、政治的な見える世界の理由だけにとどまりません。 彼は仙術に興味があり、大道を会得しようと考えていたのです。 山中に隠れ住んで仙人としての評判を高めれば皇帝から気に入られるかもしれませんからね。 28

陰陽投じた外交官、ライシャワー

相手との交渉を優位にするために、陰陽を見極めてあえて一石投じるというのがありました。 ラ…

占術理論による神道占いの変貌

密教と陰陽道の習合が起こりました。 陰陽道は占術が強いですから、そういう知識と技術は様々…

硫黄島からの呪い

後醍醐天皇のために関東を調伏祈祷をしていた文観。 そんなことをしていれば、いずれ幕府側に…

腐敗政治のその先

魏晋の頃というのは抑圧された時代によって知識人は迫害されていました。 現在でも話題に上が…

知の不遇時代

魏晋の時代というのはまさに暗黒とも言える時代でした。 知識人にとっては、まさに不遇と言え…

イギリスとアルゼンチンが見えない世界を大事にしていたら

外交や交渉など、陰陽論をもとに動くことが有効であることが蘇秦の経験によってまとめられまし…

桓武天皇と遷都

あらゆる結界に囲まれた京都の平安京。 それを建設したのが桓武天皇です。 平安京もすごいことなのですが、その前に長岡京遷都もやっており、見えない世界というものを重視していたことが分かります。 長岡京遷都に際し、桓武天皇は天神祭祀を行なっています。 これは中国の皇帝が冬至の頃に行う儀式です。 都の南側に円丘を設けて天を祀るというものです。 日本ではたったの三度しか行われたことがないという希少なものでした。 桓武天皇は二回行い、桓武天皇の孫の文徳天皇が一回行っています。