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学術

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学と術に関するマガジンです。占術、霊術、霊学、陰陽道など、学や術、あるいは道に関する理論や概論をご紹介しています。
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#天皇

南北朝時代と文観の抵抗

文観はダキニの法によって後醍醐天皇から信頼を得ました。 しかし、建武の中興もむなしく、後…

密教を活用した後醍醐天皇

色々と珍しい要素の多い真言立川流は平安時代の末期に仁寛によって開かれました。 そして、南…

改元と陰陽道

呪殺など中々物騒な陰陽師もいました。 一方で陰陽五行の理論派陰陽師も多く出てきました。 …

桓武天皇と遷都

あらゆる結界に囲まれた京都の平安京。 それを建設したのが桓武天皇です。 平安京もすごいこ…

占い師としての天武天皇

強力な指導力によって大宝律令や各種宗教の掌握、国史の編纂を行った天武天皇です。 彼もまた…

継体天皇が築いた見えない世界のインフラ

513年は継体天皇の時代です。 継体天皇は、百済から五経博士を得ることになりました。 五経と…

最澄の躍進と暗雲

最澄は遣唐使として船に乗りますが、4隻中、2隻しかたどり着けませんでした。 (空海は第一船、最澄は第二船でした。) たしかに暴風が吹いたのですが、香春明神が危機の際には光を出して助けると約束してくれた通り、海上に光が現れて乗り切ることができました。 到着した最澄は天台山に向かい、大勢のスタッフを集め、その経典を書写していきました。 1年も経たないうちに天台の奥義をことごとく習得しました。 さらには、帰国前の短い間に密教まで学びました。 805年、桓武天皇が病に倒れまし

最澄のカリスマ性

エリート街道を進んでいた19歳の最澄はそこからその地位を捨てて、比叡山に籠もりました。 そ…

道鏡VS淳仁天皇

上皇様に取り入り、国をも乗っ取る勢いだった道鏡。 もちろん、そこにいきつくまでは、一筋縄…

道鏡の実力

成功はしませんでしたが、女帝に取り入った道鏡がいました。 あまりにも大きな事件だったため…

見えない世界とインテリジェンス

大鏡に安倍晴明が花山天皇が譲位することを察知した話があります。 晴明が天文の異変に気づき…

欲に敗れた呪術師の末路

人を呪うことで自分にも跳ね返りというものが生まれます。 本来見えない力というのは、誰かを…

祝詞とは何なのか

色々なところで耳にする祝詞ですが、実際のところよく知らないという人が多いのではないでしょ…

白川家という存在

古代律令制で定められている神祇官のトップである神祇伯、白川家は神祇伯を担っていました。 この家はそれだけあって名門です。 ルーツは65代天皇の花山天皇に遡ります。 そこからが白川家のすごいところで、平安時代の終わり頃から、明治時代初頭まで、32代目の資訓王にわたって、神祇伯として君臨し続けた一族です。 しかし地位こそあれど途中で途切れています。 30代の雅寿王は子どもに全てを教えなかったのです。 誰に継承したかというと、弟子の3人に継承しました。 その3人というのが