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学術

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学と術に関するマガジンです。占術、霊術、霊学、陰陽道など、学や術、あるいは道に関する理論や概論をご紹介しています。
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記事一覧

杜甫のキャリア

杜甫は命がけで長安を脱出して無事に皇帝の粛宗の元にたどり着くことができました。 この時に…

様々な撫物

ひな祭りのルーツとして、紙の形代人形で身体を撫でて、悪いものを人形に移すことができました…

チャンスからの意表

朝倉義景の家臣が寝返るという小さな出来事で、これを大きなチャンスと言い出した信長の鋭さと…

密教と錬金術

空海が留学した際の費用は高野山の水銀鉱脈の開発によってまかなわれていました 実は密教の霊…

バリの祭り

バリ島では、ガルンガンというお祭りがあります。 ウク暦という、バリヒンドゥー独自の暦で、…

信長の弱点を見出す目

物事の変化から弱点が生まれ、それを確実につくということが重要でした。 それをうまくやった…

国をも動かす密教

最澄が亡くなった後、弟子たちによって天台密教が完成しました。 その弟子の一人に円仁というものがおりました。 彼が行ったのが熾盛光法です。 これは空海による鎮護国家の教えに対し、天台密教のやり方で行ったものです。 熾盛光法は天皇の本命の星である北極星に祈願する密教の秘法です。 円仁は850年に仁明天皇が亡くなった際、文徳天皇が即位するわけですが、直ちに熾盛光法を行うべきだと主張しました。 この時に密教のあり方が大きく変わったのです。 密教が、即身成仏や衆生救済よりも、国

物忌み概論

物忌みというのは、元々、神官が儀式をするにあたり、心身を清浄に保つために飲食や行動を規制…

変わりゆく適切

物事が動いているその法則を知り生まれてきた弱点をつくことが作戦の肝でした 国で言うならば…

災害に対する良寛と日蓮

曹洞宗の僧侶であった良寛は、地震で子供を失った山田杜皐に送った手紙を送ったことがありまし…

分かれていく真言密教

空海が唐に渡って密教を日本に持ち帰りますが、それらはずっと継承されてきた叡智でした。 そ…

社会崩壊と杜甫

杜甫は、貧しさから社会に対する観察眼が磨かれていきました。 太平盛世を誇った天宝年間も、…

クリティカルなポイントを見つけるには

物事は一定の法則に基づいて動いています。 この法則を理解すれば状況が変わって、そこから相…

脈々と継承する密教

密教は呪術的な要素を得て発展していきました。 インドでは7世紀〜8世紀ごろに密教は一つの頂点に達します。 2つの流れによって体系的に整備されたからです。 その2つの流れが大日経と金剛頂経です。 この流れに集約される純密は大日如来を本尊として即身成仏のための行法を確立し、曼荼羅を生み出したところが特徴です。 この流れはシルクロードや海路を経て中国に伝わりました。 最終的には空海に伝わり、最澄の延暦寺にもたらされます。 密教は神秘主義を柱としています。 そのため弟子への継承