それだけで良い、を大切に
自分自身に改めて投げかけたく、また誰かにそっと添えたくなったのでまとまるかはわからずに書き始めたそんなメモ。
どこかの社長だとか政治家だとかの言葉達は自然とYouTubeなどで目にする様になってから、どうやら日本はこのままじゃいけないらしい。
少子高齢化問題だったりとか、環境や世界情勢だったりとか、終身雇用はもうとっくに破綻していて日本のGDPは下がり続けているだとか。
幸せになるには、みたいな話が世の中にはたくさん溢れていて。
けれども何か、それらが差している「幸せのかたち」は既に変わり始めているんじゃないだろうか。
「マイホームを買い、家族があり、庭付きで犬がいたりする」
そんな形をどこか共通認識の「成功のかたち」言い換えれば幸せのかたちとしてきた時代はもう終わっていそう。
昔からそれぞれそんな物は持っているけれど、ここで言う「幸せのかたち」は一貫して漂っている空気の事で。
みんながそこを目指しているようなかたちは無くなっていて、みんながそれぞれ個々の幸せのかたちを作っているのが今なんだろう。
それは例えば
「仕事終わりに缶ビール一つあれば良い。それがずっと続いても良い」
「結婚しなくても推し活を続けられて、推し友達とずっといられれば良い」
「定職につかなくても転々とアルバイトをして、給料で好きな映画や漫画を鑑賞し続けられればいい」
そんな「それぐらいで良いのに」という物をそれぞれが持っているはずなんだけれど、
けれど世の中的には
「そのままで止まる事は許されないぞ」という空気が蔓延している。
別にお金持ちを目指していないのに、目指すことが立派の様な。
家庭はいらないのに、家庭を持つことが正しいかのような。
多様性を叫ばれはじめ、そんな考えは認知として広まって来たのだろうけれど、今ですらそれは「議題に上げ話合わなくてはならない」思想になってしまっている。
その考えを一貫し続ける事は、「停滞」なのだとされている。
そんな事と同時に例えば、「何かを成し遂げた方がいいのかもしれない」
という気もしてくる。
これは僕自身の主観でしかない話だけれど、物凄く成果を上げた経営者や、時代に名を遺すアーティストが、実は「ADHDでした」とか実は「同性愛者」でした、みたいな情報がメディアやSNSの中で溢れすぎていて。
僕自身もそんなマイノリティと呼ばれる要素があるのだけれど、
「そういったマイノリティ達の目指すところはここだ」みたいに感じちゃったりする。
それを発表する事でまったくそんな目的は皆無かもしれないけれど、
「そう感じてしまう仕組み」というのは確かにそこにある。
もちろん、それは希望にも成りえて僕らもこうなりたい!と思える指標にもなっているのと同時に、
自分のマイノリティを生かして何かを成し遂げなくちゃ、みたいな。
そんな事二つの事を最近とても思って、僕は改めて自分と誰かに言葉を添えたいのです。
「それぞれで良い、偉大にならなくて良い」と。
何も成し遂げなくても良い、何も目指さなくても良い。
皆が感じてるそれぞれの幸せが続く形を只取り続ければ良い。
昇進を目指さなくたっていい。
田舎で古民家を借りて猫と暮らして死んでいい。
きっと誰もがなにかが変わっている事には気付いているけれど、
そんな風に自由に生きる「最初の一人」にはなれなくて、
そんな「最初の一人」を誰もが待っている。
うっすらわかっている事を声を大にして明言してくれる一人を。
だからこそこれは大になる事は無いかもしれないけれど、ちっさい僕のちっさい明言として残しておく。
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