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0から始める

はじめまして。
こんにちはこんばんは、おはようおやすみ。
僕は今24歳で、今月25歳の誕生日を迎える。

25というその数字のどことなく感じる折り返しに怯えながら
それでも迎えが来るのを待っている。

25年。
必死になった記憶を遡れば一番近いところで恐らく中学生だと思う。

そこまで遡らなければ見つけられない。

倍速も倍速。音速ぐらい早い巻き戻し。ビデオテープなら擦り切れて煙とか出ちゃうんじゃないか。

本気の本気で学級委員や
生徒会に率先して立候補して
素直に真っすぐに
「どうしたら良くなるんだろう?」
と考えていた。

いわゆる漫画やフィクションで描かれる鬱陶しい学級委員はまさしく当時の僕そのものだ。

合唱コンクール。
合唱コンクールっていう響きすごいな
涙でそう。

その練習の最中、僕は声を荒げていた。
「歌って!」と。

方法論などがわからない、説得とか対話とかの道筋がわからないからそうするしかなかった中学生の僕君。

クラスメイト30数名を前にした僕は
大げさに言えばその当時に「人の種類」を見た。

歌う人、歌いはするけど適当な人、
歌ってるふりをする人、
ふりすらせずに歌わない人、
歌いたいけど歌えない人。

さぁっ、と自分が三人称で見えてどんどん視点は上がっていき地球が見えて宇宙の真っ暗を迎えてその途端に涙が出た。

休み時間仲良く遊ぶ友達は
「歌わない人」だった。
その時間はそういう時間だから
僕は当たり前のように声を上げて
そうするとその子達は不機嫌になった。
練習のあとの休み時間は気まずくてその子達と遊べなかった。

喧嘩でも無い、仲が悪くなったわけでもない。

事故の様なすれ違い。

「僕だって休み時間はふざけるけど、今は違くて」
という事が伝わらない。

そうして帰って母親にそのことを大号泣しながら話した。

同時期に大好きだった兄と疎遠になり今まで9年ぐらい?会っていないがそれはまた別のお話で。
そんな事が重なっていろいろ「無理じゃん」と気付いた中学生の僕君。

でも、涙が出る程悔しく虚しいほど打ち込むってすごすぎる。
今でも涙は出るけれど、泣き虫なので。
音楽を聴いたり映画を観たりで泣くけれど、
「自分のした影響の反応」で泣くって、なにさ。

僕は音速の様に振り返り、やっぱり中学生の自分を尊敬できる。


―――今の自分を尊敬できない。

多感という事なのか、擦れてしまったのか、
そんな経験の繰り返しでなにか人間関係がうまく出来ない。

「人間関係を切ってしまいがち」な人の話をよく目にするけど僕はそれなんだと思う。

なにかこう、熱量を持つことや繋がりを結ぶ事を諦めてしまった。
言い方が綺麗だな。
0からはじめる事を選んだのだから、ちゃんと向き合うために言葉を選ばない。
面倒くさく切ってきてしまった。

これまでどれだけ快く近づいてきてくれた人を裏切ってしまったのか考えるのが怖い。

何も悲しい事が起こらない代わりに、何も嬉しい事も起こらない。

そんな生き方だったんだろうね。

その原因も出来事もありありと浮かび思い出せるが、それを書き連ねる事も辞めるところから始める。
こうだったから仕方ない、という事にはしない。
全部自分で、全部自分。

さて、そして0から。
僕は自分の表現したい映像を作る為にスタートを切った。
これまでの業によって直面してる「被写体」がいないという大問題。
最初は身近な人間から、友達からのセオリーが通用しない。
ラインの友達家族含めて20人未満、自分から連絡を取れる人5人ほど。

ここからちゃんと始めよう。
ひん曲がった根っこを矯正する、0地点からの自分へのファンファーレ。

デュエル、スタンバイ。



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