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歩み方は人それぞれ 多様性が社会を強く

「多様性」はSDGs(持続可能な開発目標)を実現するうえでキーワードとされる。それぞれの多様性を認め、一人ひとりが自分らしく生きられる社会にするために、政府や企業、そして個人が取り組みを進める。

今月の未来人に招いたのは、自分に正直に生きる二人の女性。ビジネスコーチングやファシリテーションが専門の株式会社ONDO(高松市)代表の谷益美さん。香川県に特化した総合求人サイトを運営する株式会社しごとマルシェ(観音寺市)代表の飯原美保さんだ。

谷さんは、建材商社、IT企業の営業職を経て2005年に独立。著書は7冊、早稲田大学ビジネススクール非常勤講師の顔も持つ。飯原さんは韓国、米国、オーストラリアに留学。2001年にNPO法人への就職を皮切りに、コンサルタント会社やJICAで、ネパール、ベトナム、インドネシア、ガーナなどの地域開発に携わった。

谷さんは「常に受け身の姿勢。自分からこれをやりたいと言うことは少ない」と話す。頼まれたことに実直に取り組むことで、自身の人間関係と専門領域をひろげてきた。「他人のためになることが自分の幸せ。社会に何かを残したい」と語る飯原さんは、20代で自分が生きる意味に苦悩した。自分なりの答えを見つけ、進むべき道が拓けたという。自然体で生きる二人に理想の街を聞いた。

▽各自の行動

寺西 いい街とは。

飯原 多様性がある街。障害があるかないか、国籍、性別、年齢にかかわらず、個性を認め合うことが重要だ。多様な価値観が尊重される社会では、誰もが自分らしく生きられる。日本社会は同質性が高く閉鎖的。例えば、オーストラリアでは、破れた服を着ていても誰も気にしないし、自分が心地いいと思うようにふるまえる。香川県では「こうあるべき」と言われることが多い。「自分らしく」より、「普通の人」としてふるまうことを求められ、海外では感じない息苦しさを覚える。テレビもラジオもすべて日本語。もっといろんな民族、言語、宗教が交わる多様性がある地域になってほしい。

谷 なるほど。一方で、組織では同質性が高い方が管理しやすい側面もある。多様性の大切さは理解しながらも、本音では同質が楽だと考える人もいる。その中で多様性がある街を実現するには、これまでのやり方を変える必要がある。香川県や高松市というエリア全体を変える必要はない。自分が動けば、身の回りに多様性をつくることはできる。一人ひとりが自分にとっていい街にするための行動をすればいいと思う。

飯原 各人が自分のできる範囲で、やっていく。

谷 そう。結果として、多様なコミュニティーが生まれる。コミュニティー同士が尊重し合うことは必要。組織に共通する課題を乱暴にまとめると、「みんな自分の思い通りにならないから悩んでいる」。全員が満足することは不可能なので、どう最適解を見つけられるか。街も同じだ。例えば、自分が高齢になると、高齢者に優しい街がうれしい。それは子どもたちにとってもいい街か。私はいま子育て中で、子どもが通う学校のことは視野に入るが、保育園のことは忘れている。いい街にとって何が重要かは、その時々の目線や状況によって変化する。全員にとっての「いい街」は存在しない。個々の気持ちに寄り添い、いい街の最適解を見つけていけるかだ。

寺西 一人ひとりの行動の結果が、街であり、経済であり、社会でもある。

▽決断

寺西 留学や仕事で、海外に10年間暮らした。

飯原 海外にあこがれがあった。子どものころ瀬戸大橋がなく、香川県を閉鎖された島のように感じていた。大学進学で京都に出ると今度は、日本という島国にいることが嫌になった。大学院で世界の広さを知り、その後、アフリカや東南アジアで地域開発に携わった。

寺西 香川県に戻る決断をしたのはなぜ。

飯原 海外で暮らすことで、自分は日本人だと実感した。謙虚で勤勉(笑)。そう感じたときに、生まれ育った香川県のために何かしたいと思った。海外に長年住んで、ようやく日本のすばらしさを認識した。30代後半で香川に帰ってきて、知り合いはいない。心配していたが、たくさんの面白い人と出会えた。地域への愛着は、どんな人と出会えたかが重要な要素だと気がついた。

寺西 株式会社しごとマルシェでの仕事は。

飯原 総合求人ウェブサイト「しごとマルシェ」で香川県の求人情報の発信と職業紹介をしている。4月から、アイ・シー・ネット株式会社と業務提携し、海外事業の支援をはじめた。四国のグローバル化を目指す。

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寺西 谷さんが会社員を辞めて独立したのはなぜ。

谷 ある方から、「プロの世界で戦うからプロになれる」と言われた。妙に納得して、会社を辞めた。自分の強みは、面白がる気持ちがあれば労力をいとわずに行動できること。起業したてのころ、自分の学びになる機会だと思えば、初めての場所でもどこにでも行った。

寺西 株式会社ONDOでの仕事は。

谷 大きく3つで、教える・つくる・支える仕事。「教える」は、企業向けファシリテーションやコミュニケーションの研修や大学での講義。「つくる」は、「テラロック」のような対話の場づくりやグラレコ、イラストなど。「支える」は、経営者などへのパーソナルコーチング。コロナ禍でほぼすべてがオンラインに置き換わった。特に、オンラインでの場づくりについての相談が急増した。

寺西 谷さんの役割は。

谷 人の話を聞くこと。人は自分で納得してはじめて変わる。それを手助けすることが仕事だ。コーチングやファシリテーションを平たく言えば、引き出してまとめる。対話が育まれ、そこからアイデアや行動が生まれる。人が集まる場づくりで重要なことは、その前後でどんな変化が起きたのか。意図してデザインする場は、シナリオを書く。逆に、「テラロック」のように「何かが生まれること」を狙う場も大切。このデザインと不確実性を楽しむ場づくりが私の得意領域。多くの会議や会合が、正しいやり方を学ばずに開かれている。場づくりに貢献できることはまだたくさんある。

谷さん

▽どう生きるか

寺西 二人とも自分の気持ちに正直に生きているように見える。

谷 悩みは少ない。周囲に利害関係者が少ないからだと思う。いい距離感で付き合えている人がたくさんいて、楽しい。

飯原 20代前半、「自分はなぜ生まれてきたのか、何のために生きているのか」と何年も悩んだ。海外の大学院で色々な国の人に尋ねて、たどり着いた答えは「他人を幸せにすることで、自分も幸せになれる」だった。それで国際協力の仕事をしたいと考えるようになった。自らの欲望には際限がないし、それを満たして得る幸せは長続きしない。誰かのための行動は、やればやるほど幸福感が増していく。愛する息子の影響か、今は身近な地域の子どもたちのために何かしたい。もちろんこれまで続けてきた途上国への支援にもかかわる。

寺西 具体的に考えていることはあるか。

飯原 子どもの時から、外国ルーツの人とふれあえば、無知による差別は減る。例えば、外国人技能実習生と日本の子どもたちがふれあう機会をつくりたい。社会から孤立している実習生が少なからずいる。孤立対策になるし、子どもたちは異国の文化を学べる。異質な他者に寛容な社会にしていきたい。

寺西 これまでの経験から伝えたいことは。

飯原 途上国で働いていたとき、不可抗力で八方ふさがりの状況に陥った。もがいていたら、奇跡的に活路が開けた。そのような経験を二度したことで、「追い込まれても諦めなければ、突破口は見いだせる」と思えるようになった。大きな障壁にぶつかっても、諦めないでほしい。

谷 やりたいことが見つからなくても、受け身でもいい。働く女性のロールモデルとして、目標を持ち、仕事も家庭もバリバリにこなす人が注目されやすいが、多くの人にとって雲の上の存在だと感じるのでは。私の生き方はずっと受け身。「楽しそう」と感じる誘いに乗り、色々なことをやってみる中で、段々と自分自身が見えてきた。肩の力を抜いて、自分らしく生きていいと伝えたい。

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