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働くことの意味を問う 女性3人の柔軟な生き方 第3回テラロック

 人は何のために働くのだろう。誰もが悩む問いに、変化に富んだキャリアを築いてきたパネリストの女性3人が答えた。2月2日に高松市で開催した第3回テラロックのテーマは「幸せに働くには」。主催者である公務員の寺西康博さんは、ベンチャー支援の色彩が強かったテラロックの在り方を転換し、より普遍的な課題に向き合った。「社会に何かを残して死にたい。その手段が働くこと」。組織という後ろ盾のない女性たちの発言は説得力があり、自分に正直に生きる姿が共感を呼んだ。(共同通信社高松支局記者 浜谷栄彦)

パネリスト

 寺西さんが招いた3人は次の通り。

谷益美(たに ますみ)さん 1974年生まれ。建材商社、IT企業の営業職を経て2005年独立。専門はビジネスコーチングとファシリテーション。早稲田大学ビジネススクール非常勤講師。株式会社ONDO(高松市)代表。ワーキングホリデーを使いオーストラリアの農場で働いた経験もある。香川県三木町出身。
原(はら)ゆかりさん 1986年生まれ。2009年外務省入省。在ガーナ日本大使館に勤務後、15年に退職。三井物産ヨハネスブルグ支店を経て、18年に株式会社SKYAH(東京)を立ち上げ、アフリカ産品の輸入販売を手がける。ガーナで活動するNGOの共同代表でもある。愛媛県今治市出身。
飯原美保(いいはら みほ)さん 1972年生まれ。海外の大学院で学んだ後、国際協力NGO、コンサルタント会社を通じてネパール、ベトナム、インドネシア、ガーナなどで地域保健に携わる。JICA四国を挟み、2011年に父が経営する香川県の企業に転じ、17年から総合求人サイト運営会社「しごとマルシェ」(高松市)の実質経営者。香川県観音寺市出身。

▽素直

 3人はいずれも社会人になってから一つの組織にとどまっていない。自分の意思で道を切り拓き「総じて幸せに生きてきた」ことも共通している。パネルトークの進行役を務めた寺西さんはまず、転身を決める際の指針を尋ねた。谷さんは大学卒業後に就職した会社を5年で辞め、オーストラリアに渡った時の心境を「異国に行きたいとシンプルに思った」と振り返る。IT企業を退職したのも「独立したかったから」。

 元外交官の原さんは、東京外大で学んだ4年間の大半を「模擬国連」に費やした。参加者が一国の大使となり、国連をはじめとした国際機関の会議を疑似体験する活動だ。志を持って外務省に入り、米コロンビア大の大学院を経て在ガーナ日本大使館に赴任した。「アフリカに強い愛着」がわき、本省には戻らず現地に関わり続けることを選ぶ。

 飯原さんは高校生の時、四国から出たくて仕方なかった。海外留学を繰り返した後、国際協力の仕事でアジア、アフリカ諸国を渡り歩く。そして「一番幸せを感じられるのは故郷の香川。まさに幸せの青い鳥。大切なものは身近にある」と気づいた。3人の話ぶりに気負いは感じられない。その時々の心境に素直に従ってきたことが分かる。

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(写真右から、谷さん、原さん、飯原さん)

▽苦悩

 とはいえ、人生は思い通りにはならない。原さんは外務省の本省で働いた当時、拘束時間が異常に長かった。平日は3時間しか自宅にいられず、「健康面ではしんどかった」という。大学院から派遣されたインターンの一環で初めてガーナに足を踏み入れた時も「異文化に戸惑い、言葉が分からず、水も運べず、火も起こせない」と無力さを痛感している。

 飯原さんは「今が一番たいへん」と話した。外務省の委託を受けて働く国際協力は予算ありきの世界。企業の経営者は稼がないと社員に給料を払えない。「立ち上げて3年目。苦しい時期」。流出した人材を故郷に呼び戻すという理想と資金繰りの狭間で葛藤する日々だ。

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▽異議

 人それぞれ働く動機がある。飯原さんの原点は20歳で訪れたフィリピンの「スモーキーマウンテン」。マニラ市内のあらゆる廃棄物が集積する場所で、子どもたちが換金できるごみを探していた。生計を助けるために。1ドルの薬が買えずに死ぬ乳幼児がいる現実は「人生観を揺るがす衝撃」となり、飯原さんを国際協力の世界へと導いた。

 原さんも中学生の時にNHKのドキュメンタリーでスモーキーマウンテンの存在を知った。8歳下の妹と同じ年ごろの子どもが悪臭漂うごみの山を物色している。原さんがガーナで取り組むNGO活動の目的は、子どもたちに勉強の大切さを教え、経済的な自立を促すこと。アフリカ産のバッグやアクセサリーの輸入販売を手がけるのも、持続可能な社会の構築につながるとの思いがあるからだ。10代の目に焼きついた映像は、人生に一本の線を引く起点になった。

 寺西さんが「皆さんはこうなりたいという世界観があり、突き進んでいる」と満足げにまとめようとした時、谷さんは「異議がある!」と制した。「私は単に面白そうなことをパクパク食べていたら今に至った」。困惑する主催者を尻目に発言は続く。「だから後ろめたさがあるのかも」

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▽三者三様

 思い思いに語ってきたパネリストに会場から哲学的な問いが投げかけられた。「皆さんにとって、働くとは?」。3人の回答に個性がにじんでいる。
 谷さん「何かの役に立つこと」
 原さん「ちょっとでも自分が正しいと思える価値を生むこと」
 飯原さん「自分が生を受けて死ぬまでに社会に何かを残したい。その手段が働くこと」

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 東かがわ市の上村一郎市長は「皆さんの原動力は?周りを巻き込むには?」と質問した。
 飯原さん「突き進むしかない。無理と言われても。相談を受けたら全力で応援する」
 原さん「本気で動く人たちが私に熱を与えてくれる。仲間選びは重要。覚悟を持ってやらないと周りを巻き込めない」
 谷さん「私は根本的にネガティブ。いろんな工夫をして今がある。人生はほっとくと幸せにならない。楽しまないと」

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 最後に寺西さんが「きょうの話を明日の行動につなげられるか。理屈は要らない。誰でもできる」と強引に締めくくった。この日、会場のWith Caféに集まったのは社会人50人と大学生20人。聴衆の集中力は高く、特に若い女性たちは食い入るように登壇者を見つめていた。

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 パネルトークの後は香川大の多田安里さんが、シビックプライド(地域愛)の醸成要因に関する研究を発表。香川県出身者6人との対話を通じて、外から故郷を眺める大切さに気づいた。続いて大阪大の林田昂大さんが自ら代表を務める任意団体「ヨリアイ」の活動を紹介。3月末に関西の大学生と香川県の高校生が交流するイベントを開催するという。

【第3回を終えて】 寺西康博

 社会の課題は複雑で簡単に解決できないことばかりです。開催前日、親友との対話をきっかけに、相手が眺める世界に思いを巡らせました。組織や社会は人と人との関係性で形成されている。ならば、この関係性にもっと焦点を当てるべきではないか。テラロックの目指す方向性が見えた瞬間でした。

 今回のテーマは「幸せに働くには」。ゲストに招いた女性3人の生き方の基準を探りました。共通しているのは強い利他の心と行動です。知らない誰かのために行動でき、それが自身の幸せにつながっている。人の理想的な姿を垣間見ることができました。

 「見える世界が変わった。行動を変えたい」「テラロックでの出会いから協業につながった」。こうした参加者の言葉は主催者の力になります。人と人との関係性を見つめ直すことで固定観念が取り払われ、社会的価値を生む行動へとつながる。テラロックは歩み続けます。

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【取材後記】 浜谷栄彦

 寺西康博さんは国の出先機関に勤める34歳の青年だ。職場では一係長に過ぎない。筆者が初めて取材した2018年12月、「与えられた仕事をこなすだけという公務員像を変えたい」と話していた。

 半年後、寺西さんは故郷の高松市でテラロックを初開催する。登壇した高松琴平電気鉄道の真鍋康正社長は地域を代表する経営者であり論客でもある。第3回に至るまで、寺西さんはすべて独力で築き上げた人的つながりを基盤に運営してきた。

 政府は多額の予算を使って地方創生を進めようとしている。目標の一つにした東京一極集中の緩和は実現のめどが立たない。むしろ富や人材が首都に流れ込む傾向は強まっている。

 自分にできることはないか。資金も特殊技能もない寺西さんがたどり着いた手段が「場づくり」だ。テラロックを舞台にさまざまな挑戦者が自らの思想や取り組みを表現し、聴衆は活力を受け取ってきた。

 問題意識があり、地域に貢献したい若者はほかにもいる。重要なのは一歩を踏み出せるかどうか。寺西さんは殻を破った。気がつけば年代も職業も異なる人々が共鳴している。