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#1633 魚釣りをして、みんなでとった魚を味わう

この記事を書こうと思うきっかけとなったのは、以下の記事である。

これらの記事でも述べた通り、現在「オーセンティックな学習」か「自己学習」か『学び合い』のどれを志向していけばよいのか迷走しているからである。

特に、「個別最適な学び」の系譜である「自己学習」と、「協働的な学び」の系譜である「オーセンティックな学習」のどちらを重視すればよいのか迷っている。

「自己学習」の重要性も、「オーセンティックな学習」の重要性もどちらも理解している。

だからこそ、自分の思考が「振り子」のように両者の間を行ったり来たりしてしまっている。

そこで、この2つの軸をもとに、記事に整理してみることにした。

それが以下の記事である。

しかし、この記事を書いてもなお、まだモヤモヤが続き、スッキリすることはない。

そんな日々の中、車での長時間出勤の途中、閃いたことがあるので今回の記事に記したわけである。

今回の私の主張のテーマは次の通りだ。

「魚釣りをして、みんなでとった魚を味わう」

一体、何の話か?と思われただろう。

以下で詳しく論じていく。

1 個別学習のメリット・デメリット

まずは、「個別最適な学び」の系譜の話をする。

近年、子供の「自己学習力」「自律的学習力」を高めるため、「自由進度学習」「自己調整学習」「けテぶれ」などの実践が流行している。

最近は、日本の有名な教師たちがこのような学習を組織し、外部への発信をしていることが多い。

これを私は「自己学習」と呼ぶ。

このような学習には以下のような要素を含む。

・基礎基本の習得
・自己学習力の向上
・演繹的学び

「個別最適な学び」である「自己学習」では、演繹的な学びをする。

教科書や教師から「学習内容のポイント」を演繹的に学ぶ。

そして、そのような学習内容は「基礎基本」である。

基礎基本的な内容を自律的に学んでいくことで、「自己学習力」を向上させていく。

このような学習では、「学び方」も同時に学んでいることになるだろう。

しかし、これが極端になると、「孤立した学び」となり、完全な「自主学習」となる。

こうなると、「学校」というコミュニティに集まる意味がなくなってしまう。

「自主学習」は、家庭でも自力でできてしまうからである。

そして、このような学習で得た「学習内容」「知識」は無味乾燥なものである。

以下の記事で批判した通りだ。

このように、「個別最適な学び」としての「個別学習」は、演繹的に基礎基本的な内容を学ぶことができ、同時に自己学習力という「学び方」も身に付けることができる。

しかし、そのような学びには「他者の必要性」がなかったり、無味乾燥な知識を覚えるだけで「学ぶ楽しさ」を味わうことができなかったりする。

さらに、「オーセンティックな文脈」が全くないので、既習を生活場面に活用することができなくなる。

学力テストのB問題のような問題が、全く解けなくなってしまうのだ。

2 オーセンティックな学習のメリット・デメリット

そこで必要になるのが、「協働的な学び」の系譜である「オーセンティックな学習」である。

いわば、筑波附属小の先生たちが志向しているような授業である。

このような学習には以下のような要素を含む。

・概念的知識、見方・考え方、活用力の獲得
・協働する力、学び合う力の向上
・帰納的な学び

「協働的な学び」である「オーセンティックな学習」では、帰納的な学びをする。

他者との協働・対話・交流を通して、概念への気づき・練り上げをし、概念的知識を帰納的に学習していく。

これにより、教科等特有の「見方・考え方」も鍛えることができる。

さらに、「オーセンティックな文脈」が付与されているので、現実の生活場面に転移する「活用力」も身に付けることができる。

「オーセンティックな文脈」があるので、学んだ知識は無味乾燥なものではなくなる。

「オーセンティックな文脈」があるおかげで、「学ぶ楽しさ」を味わうことができるのだ。

また、このような高度な学習は、子供一人だけの力では成立させることができない。

学びのアプローチが「帰納的」であるためには、たくさんの事例が必要になる。

つまり、「他者の必要性」「協働の必要性」が生まれるわけである。

他者との協働・対話・交流が、学びを自然に「帰納的」にするのである。

だからこそ、そのような協働・対話・交流を重ねることで、コミュニケーション力・コラボレーション力などの「協働する力」「学び合う力」を育むことができるのだ。

これでこそ、「学校に来る意味」が生じるわけである。

このように、「協働的な学び」としての「オーセンティックな学習」は、「概念的知識」「見方・考え方」「活用力」を帰納的に獲得することができ、同時に「協働する力」「学び合う力」も身に付けることができる。

しかし、「オーセンティックな学習」はその準備が大変であり、教師の教材研究の力量に依存することになる。

スーパーティーチャーならいいが、全ての教師がそうなることはできない。

また、教材研究の時間がかなり必要となるため、持続可能性が低くなる。

全ての学習を「オーセンティックな学習」に変容させるのは、制約的に厳しいのである。

以上のように、「個別学習」にも「オーセンティックな学習」にもメリットとデメリットがある。

そこで両者の組み合わせを考えたのが、上記で紹介した記事である。

#1612 オーセンティックな学習×自己学習|眼鏡先生 (note.com)

この記事でも述べたように、以下では、両者のかけ算すなわち「オーセンティックな学習×個別学習」の話を発展させていきたい。

3 魚の釣り方×魚の料理

「個別最適な学び」の系譜である「個別学習」は、いわば「魚の釣り方を覚える」ことを意味する。

「魚の釣り方」=「学び方」である。

基礎基本的な内容を学ぶ中で、「学び方」を学んでいるのである。

しかし、「魚の釣り方」だけを覚えても、無味乾燥な魚を釣ることだけに終始してしまう。

以下の記事で指摘した通りだ。

よって、「魚の釣り方」だけではなく、「美味しい魚の見つけ方」「美味しい魚の料理方法」も学ぶ必要がある。

それこそがまさに、「協働的な学び」の系譜である「オーセンティックな学習」なのである。

これにより、「美味しい魚の見つけ方」「美味しい魚の料理方法」を学ぶことができる。

それはなぜか?

4 「見方・考え方」は「味方・勘がえ方」

それは、「オーセンティックな学習」には、教科等特有の「見方・考え方」が関係しているからである。

「見方・考え方」が学びを深いものにする。

以下の記事の通りだ。

つまり、「美味しく」魚を味わうことができるようになるのだ。

「見方・考え方」は、「味方・勘がえ方」と文字ってもいいだろう。

魚の「味わい方」を知り、どこに美味しい魚がいるのか見つける「勘」を鍛えることができる。

「見方・考え方」があることで、無味乾燥な知識ではない、「味わい深い知識」となるのだ。

5 魚の釣り方を覚えてから、みんなで釣った魚を味わっていく

以上の例え話を、今回の記事の主張テーマにつなげていく。

まずは「個別学習」を通して、「魚の釣り方」つまり「学び方」を学んでいく。

そして、一人ひとりの子供たちが、自律的に「魚を釣ること」ができる状態になることを目指す。

これが土台となる。

土台が整ったら、自分たちが「釣った魚」を披露し、みんなで味わう学びをする。

これが「オーセンティックな学習」である。

みんなで自分が「釣った魚」を持ち寄り、協働・対話・交流しながら、見方・考え方を働かせて、「美味しい魚」を吟味したり、料理したりしていく。

「料理」という表現については、以下の記事で書いた通りだ。

教師が魚を釣ってあげるのではない。

教師が魚を料理してあげるのではない。

子供が自ら魚を釣っていくのである。

子供たちが協働して魚を料理していくのである。

教師は子供たちが料理した魚を、「グルメ」として評価すればよいのである。

このような学習をすることで、子供がまた自力で「魚釣り」をしたくなるのだ。

しかし、「個別学習」と「オーセンティックな学習」の内容に関係がなかったり、つながりがなかったりする懸念もある。

6 「本質的な問い」の必要性

このような「オーセンティックな学習×個別学習」で重要になってくるのが、単元を貫く「本質的な問い」である。

「本質的な問い」についても過去の記事で書いている。

つまり「本質的な問い」があることで、「自己学習」と「オーセンティックな学習」につながりが生まれるのである。

「自己学習」で学ぶ内容と「オーセンティックな学習」で学ぶ内容がぶつ切りになることなく、つながりが生じるわけである。

子供たちは、常に「本質的な問い」を意識しながら学習を進めることになる。

「個別学習」では、個々の子供たちが別々の内容を学習するときもある。

そんなときでも「本質的な問い」があることで、つながりが生まれる。

そして、「オーセンティックな学習」において、子供たちが協働的に対話・交流するときも「本質的な問い」が話し合いの軸となるのだ。

このような「自力での魚釣り」と「協働での料理」を、「本質的な問い」を軸にして、往還的に繰り返していくのである。

これは「奈良の学習法」で有名な「独自学習と相互学習の往還」に近いアプローチとなる。

以下の記事の通りだ。

これを往還的に実現していくためには、「本質的な問い」が必要不可欠なのである。

7 そして探究へ・・・

このような「個別学習→オーセンティックな学習→個別学習…」というサイクルを、もっと子どもの実生活や地域に根ざしたオーセンティックな文脈の中で回していく。

つまり、「総合的な学習の時間」にまで拡大していく。

すると、それが「探究的な学び」となる。

子供たちが協働しながら、「正解のない問い」に対して問題解決を行っていく。

まさに「探究的な学び」にも発展させていけるのである。

以上が、今回の記事のテーマである「魚釣りをして、みんなでとった魚を味わう」という話の趣旨である。

8 まとめ

話が複雑になったので、最後にシンプルにまとめて終わりにする。

① 単元を貫く「本質的な問い」を設定する
② 「個別学習」で基礎基本的な内容を学び、「学び方」も学ぶ
③ ②を土台にして、「オーセンティックな学習」で「概念的知識」「見方・考え方」「活用力」を学び、「協働する力」「学び合う力」も学ぶ
④ 「本質的な問い」を軸に、②と③を往還的に繰り返していく

また、②の前に、単元を進める上で重要な「見方・考え方」をセットする時間を設けてもよいだろう。

さらに、➀~④を発展させれば、「探究的な学び」にもつなげることができるだろう。

上記のような実践により、
「基礎基本的な内容」も「学び方」も、
「概念的知識」「見方・考え方」「活用力」も「協働する力」「学び合う力」も、
偏ることなく身に付けていくことができると考える。

以上、これまでの記事をつなげ、折衷案的な話に整理することができた。

モヤモヤが多少スッキリした気分である。

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