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#1736 空を切る日々が続いている

教師人生で初めて2年生の担任をし、一ヶ月が経った。

相変わらず、悪戦苦闘の毎日である。

特に、「やんちゃくん」「ボーっとする子」の対応に追われている。

昨年度は中学年の担任だったので、ある程度こちらの話を聞かせ、「真の喰った実践」をいくつか行うことができた。

しかし「やんちゃくん」「ボーっとする子」に対しては、そううまくはいかない。

話を聞かなくてもしっかりできる子供ほど、よく話を聞いてくれる。

逆に、話をしっかり聞いてほしい彼らほど、話が全く入らない。

集中していない。

ボーっとしている。

手遊びや文房具をいじっている。

当事者意識がないのである。

なので、毎日「空を切っている」状態なのである。

こちらのやりたい実践がうまくできず、こちらの思い・願いが全く入っていかないのである。

これは明らかに、担任である私の見ている世界と、2年生の生きている世界に乖離があることを意味している。

だから、うまく「噛み合わない」のである。

自分の実践や説話が空を切っている原因・理由を、以下で分析してみる。


1 意識・認識が異なるから

上記でも述べたように、担任である私の意識と、子供たちの意識に乖離があることが原因の1つである。

私は「子供たちを正しい方向に成長させたい」という願いをもっている。

これらは教師であれば当然である。

だからこそ、細かいところまで意識が行き、その都度指導することとなる。

しかし、子供たちの意識は違う。

「正しい方向に成長したい」などとは思っていない。

子供たちは「楽しければいい」という志向なのである。

だから、活動が楽しければノッてくる。

好きな友達が近くにいれば、おしゃべりしてしまう。

だって、「楽しい」のだから。

仕方ないのである。

ここに教師と子供たちの意識の乖離が生じるのである。

教師は高い理想をもとに指導する。

しかし、子供たちはそんな理想など「どうでもいい」のだ。

要は「楽しければいい」のである。

これらを教師が自覚できず、自分の正義を振りかざしているから、実践や説話が空を切ってしまうのである。

よって、すべきことは次の2つとなる。

「楽しいことが好き」という子供たちの意識に共感してあげる。

それでも、教師の「成長してほしい」という願い・思いを伝え続ける。

これが重要だ。

2 忘れてしまうから

教師は子供たちにたくさんの指導をする。

そして、一度指導をしたら、「もう大丈夫だろう」と安心する。

しかし、そんなにうまくはいかない。

あんなに事前指導をしたのに、すぐに忘れ、不適切行動をしてしまう。

教師は「なんで?」と思い、怒りの感情を生起する。

そして、子供を叱りつける。

これは仕方のないことである。

子供は「忘れる生き物」である。

教師は自分の指導事項を明確にもっているし、それを忘れることはない。

自分の指導事項という「レンズ」をもとに、子供たちを見るようになる。

だから、そこから逸脱すれば、叱りつけるようになる。

しかし、子供たちは「教師から指導されたこと」を忘れてしまう。

一部の子供は意識できるかもしれない。

しかし、低学年である子供たちのほとんどは、教師からの指導事項という「レンズ」をもつことはない。

上記でも述べたように「楽しければいい」のである。

目の前に現れる「刺激」にすぐ反応してしまうのである。

だから、過去に指導されたことなど、忘れてしまうのだ。

低学年はそういう生き物なのである。

よって、すべきことは次の2つである。

忘れないように、活動の最中も、繰り返し指導事項を伝える。

忘れないように、より印象に残るように、イラストを使って指導する。

低学年相手には必須のスキルである。

3 無関心だから

授業中に友達とおしゃべりしてしまう子供は、繰り返し述べてきた通り、「楽しい」からしてしまう。

目の前の「刺激」に反応してしまっているのだ。

しかし、裏を返せば、教師が提供する授業内容よりも、友達とのおしゃべりに関心が向いていると言える。

ボーっとしてしまう子、手遊びや文房具をいじっている子は、授業が「つまらない」のである。

「学習したい」「話を聞きたい」と思わないのである。

つまり、授業に無関心なのである。

その自然な反応なのだ。

それを「子供のせい」にして、教師が叱りつけてはいけない。

授業がつまらないのは、教師の責任である。

子供をノらせる工夫を怠ってはいけないのだ。

逆に言えば、関心のある内容であれば、身を乗り出して活動してくれるはずである。

関心のある話であれば、目を輝かせて聞いてくれるはずである。

低学年の子供たちには、座った状態のままで知的な学習をさせることは不向きである。

抽象度の高い論理的な話をすることは無意味である。

よって、すべきことは次の2つである。

子供たちにとって興味・関心のある内容をもとに授業を構成したり、話をしたりする。

子供たちが動いたり、口ずさんだり、立ち歩いたりするようなアクティブな活動を取り入れる。

子供たちを椅子に縛りつけておくのではなく、合法的にアクティブな動きをさせていくのである。


以上、「空振りする毎日」の原因・理由を分析し、打開策を考案してみた。

今後の実践に生かしていきたい。

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