#1735 一斉指導ができないから自由進度にする?
今、私の中で混沌としている問題がある。
それは「この子供たちには一斉指導が機能しないから自由進度学習を取り入れる」のか、それとも「自由進度学習に慣れさせてしまうから、この子供たちに一斉指導が機能しなくなるのか」という問題である。
現状のクラスの子供たちの様子を見ると、明らかに「一斉指導が入らない状態」である。
そこで「自由進度学習」を取り入れ、個に応じた指導を展開していきたいと思っている。
しかし、葛藤もある。
自由進度学習に慣れさせてしまうと、さらに一斉指導が機能しなくなっていくのではないかという懸念があるのだ。
そのせいで、自由進度学習を取り入れることを躊躇してしまっている。
これは、やはり言い方はよくないが、「実験」するしかないだろう。
試験的に「自由進度学習」を取り入れ、一人一人の学力保障ができるかどうかを確かめていく。
そして、一斉指導が機能しなくならないかどうかに注意し、随時考察をするようにしていく。
崩壊するのを恐れて挑戦を戸惑うのではなく、試しに挑戦してみて、そこから学んでいくというスタイルを大切にしたい。
もう一つ、懸念事項がある。
それは、「自由進度学習に慣れさせてしまうと、集団での練り上げができない学級になってしまうのではないか」という問題である。
現状の子供たちの様子を見ると、一斉授業における集団での練り上げがうまく機能していない。
友達の話を聞いていないし、自分の意見を言える子供が限られている。
子供たち一人一人に「話し合いの当事者意識」がまるでないのである。
なので、集団での練り上げによる一斉授業を「諦めようか」という思いもある。
しかし、一斉授業を諦め、自由進度学習ばかりを身体化させてしまうと、さらに集団での練り上げができない状態になっていくことが予想される。
これでは、「道徳」「学活」「生活」「総合」などの授業がうまく機能しなくなる。
よって、時と場合に応じて、集団での練り上げによる一斉授業も定期的に行っていくようにしたい。
「個別最適な学び」という手段ばかりを追い求めてしまうと、「孤立化した学び」となってしまう。
ゆるやかな協働性に支えられた「個別最適な学び」が理想である。
つまり、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実が肝要となる。
なので、完全に孤立した「自由進度学習」を展開させるのではなく、必要に応じて協働できるような学習になるようにする。
そして、集団での練り上げを主とする、完全な「協働的学び」は「道徳」や「学活」「生活」「総合」などの教科指導以外の授業に限定するのも1つの道である。
いずれにせよ、発達障害の子供が複数いる学級において、これ以上一斉授業を続けることは、教師にとっても子供にとっても苦しくなるだけである。
したがって、「自由進度学習」を試験的に導入し、個に応じた指導と形成的評価を機能させるようにしていきたい。
その際に大切にさせたいことは、「自由の意味をはき違えない」ということである。
遊んだり、おしゃべりをしたりすることが「自由」の目的ではない。
「自由」にするのは、一人一人のペースに応じて学習を進め、学力を定着させるためである。
そのことを教師が自覚し、子供たちに繰り返し伝えていくことも忘れないようにしたい。
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