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こころの隅の想いに花咲かす。

オーストラリア・タスマニア編-5

日本から遠く離れた南半球の島、夏のタスマニアでフードバンの手伝いをしながら同僚のトモコや他のワーホリメンバー達と過ごした1ヶ月間の日々。

それは朝起きると、赤いビーツをジューサーでしぼったWombat Cafe’のワカさんお手製の新鮮な野菜ジュースを頂きシリアルを食べ、時には自分達で作ったりしつつも主にワカさんに「童たち!できたぞ〜。」と美味しいごはんを食べさせてもらいながら、やや体重が増加していくという愉しき健康生活だった。

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Wombat Cafe’の巻き寿司。
マヨネーズからすべて手作り。

食べるのも仕事だからねというお言葉に甘え、料理を作ってもらっていた30代の童たち。そう書くと、とても哀しい感じになるのでほどほどにしておこう。ワカさん、美味しいごはんを本当にどうもありがとうございます…。

朝食の後は同僚のトモコと海が見えるいつもの場所で、youtubeで音源を流しラジオ体操をする。

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いつもの場所でウクレレを弾くトモコはん。
彼女にウクレレをよく教えてもらっていた。

日本から遠く離れたタスマニアで、夏休みみたいにNHKのラジオ体操をするというシニカルな可笑しさにハマり『このタスマニアの海が見える丘でラジオ体操してる光景、ドローンで撮影したら面白いだろうね。』だの、

今読むとなんだかイラッとするほど呑気に話しながら、流行りのヨガでもなく笑いこけながら昭和なラジオ体操を楽しんでいた。あんたら小学生かみたいな楽しみ方をしていたおふたり。(そもそも今の小学生はNHKのラジオ体操自体を知っているのだろうか)

--その日々のなかである日。2才くらい年下の同じ30代のトモコと、ある音楽ライブを一緒に聴きに行くことになった。

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タスマニアのアップルサイダーで乾杯しつつ、音楽に揺れていると彼女がこんなことを話し始めた。「自分の人生は10年遅れてて、20代の会社員やってたときに出来なかったことを、今やってるって思ってる。」

トモコの言葉を聞いて『わたしも同じかもな…今タスマニアでやってることって20代半ばくらいで経験してそうなことだし、もっと行動力があったらもっと若くて早い段階でこういうことしてたのかも…』と同意しかけた。

しかし、よくよく彼女の20代の会社員時代の話を聞くと、よく働きよく遊び、充実しまくっている話が続いた。遅れてるも何も、もうその20代の過ごし方で充分やろ!と突っ込むと「え、そうかな?あはは」なんて彼女は明るく笑った。

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トモコは昔からの親友の存在をきっかけにそのように考えているらしいのだけど、そもそもわたしの『もっと行動力があったら。もっと若くて早い段階で。』…って、何だ???

そういえばと思い返してみると、以前に他の友人から「え、もっと行動できてたらっていうけど…もう今迄だって十分動いてたよね…?」と言われたことがある。

たしかに20代のころはもっと未熟だったろうけども、それはそれで一生懸命に生きていた。将来何したいのか、今どうするのか…自分なりに動いていた。うまくいったこといかないこと、それらすべてが今を彩ってくれているわけで。

これはわたしの考え方のパターンであり、思い癖なのだなと気づいた。

様々な可能性や選択を真剣に考慮し、ひとつひとつのことを勇気を出しながら決めて生きてきているなかで、そんな勇気や決意を認める代わりに『それらは些細なことですよー、何かが足りてなかったんじゃない?もっと何かができてたら、もっと成熟した大人になれていたんじゃないのかな?』という『わたしには何かが足りていないのでは』という疑念のような気持ちがうっすらと、心の中のどこかに常に居座っていた。

ごちゃごちゃと考えながら何かを、感じていることや生きることに対して白黒つけようとしながら、もっとわかりたい、定めたいとする想いが素直な本音の声を聴こえづらくさせる。

いま振り返ってみると2018年の当時、本人のわたしだけがどこか欠けている、まるでいつまでも咲ききらない花みたいだと自分自身を観ていた。だからトモコの言葉をその解釈と受けとり方を通して、まるでわたしの心の声でもあるかのように聴いていた。

でも、彼女から話を聞いたこちらからすると彼女の20代は充実しまくっている印象だったように。

実際にはわたしのそれまでの人生にも沢山の幸せなことが起きていた。いつまでも欠けている、足りていないと思っている部分を見続けているから、そう思いきれなかっただけで。わたしはこのトモコとの会話で、足りないところを探し続ける厳しいメガネに気づき、そっと置くことでラクになれたのだった。

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あれこれ話しながら音楽を楽しみ踊って、笑い合う。過去からの心象風景は、すべてふたりの会話と祝杯の背景でしかない。ただ笑いあって乾杯する人間ふたりがいる。それだけ。

その瞬間は背景でしかなかったことを、こうして今になって2年越しにあれこれ長々と書いている。でもこうやってわざわざ書こうと思うくらい、心に響く愉しき日々だったというわけです。ありがとトモコ。今のわたし達にも乾杯。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます🕊