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てらこやのひび ㉑

最近、中学生、高校生の使う言葉、特に略語について注意することがまた増えてきた気がする。

以前から、キモイとかムズイでも注意する私だけれど、そういうすでに社会で市民権を持っているように思える言葉だけではなく、「それ、略する必要ある?」とか、「君たちの言葉が、みんなに通じると思ったら大間違い!」とか、言いたくなる略語、言葉がまた増えている気がする。

キモイは、わざと、「気持ちいい」と言う意味で掛け合いをしてみる。
ムズイは、「かゆいの?」と聞いてみることにしている。 笑

一方で、保護者の方々とのやり取りの中でも、使われる言葉や反応にびっくりしたり、首をかしげることが増えている。

言葉って難しい。
人に何かを伝えるって難しい。

と、思う。

同時に、子どもたちの言葉の乱れは、大人の言葉についての勘違いから来ているんだなとも思う。

言葉は変化するものだ。

けれど、私は、言葉だけじゃなくて、社会の文化の変化にも、自分たちの大切なものを守るために抗ってみることも大切だと思っている。

たとえば、「やばい」と言う言葉も、子どもたちがよく使う略語も

親である大人と、親ではない大人、確実に親という立場にある大人の方が使う頻度が多い。そして、それが当たり前のように相手に伝わると思っている節がある気がする。

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子どもたちは、大人の姿をよく見ている。

抗っても無駄ーそんな風に思っている人も多いのかもしれない。
自分たちも若い時、若者の言葉を使っていたという人もいるかもしれない。

でも、私たちが若い時も「無駄」とあきらめたりしない大人や言葉について注意する大人がいてくれた。

大人になった私は、そんな人たちに感謝すると同時に、そんな人たちがいたから、私たちが暮らす社会が今もここにあって、自分たちの今があると信じている。

教育も子育ても、社会を次に繋ぐ仕事だ。

そういえば、水曜日に自分たちをYDKと、久々に生徒が言っていた。

「やればできる子」と言いたかったのだろうけれど

それ、「やってもできない子」かもしれないし
「やるだけの子」かもしれないし
「やっぱりできない子」かもしれないー

と、つっこんだら苦笑された。

言葉は、相手によって丁寧に使い分けるもので、使い分けない人たちに外国語は必要ないと思う。

そう伝えて、英文法の授業へと戻った。

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