言ってはいけないことばを、見つけたかもしれない。
最近、数人の方から立て続けに、「変わったね」と、言われました。
わたしのことを思って、言ってくれたのかもしれない。いい変化を感じてくれたのかもしれない。
でもわたしはなんだか、モヤモヤしてしまったんですよね。
そして、思った。
「変わったね」というのは、とても難しいことばなのかもしれないと。
モヤモヤの原因
春といえば、出会いと別れの季節ですよね。
学校の卒業・入学・転職・転勤などなど、なにかが終わって、なにかが始まる。環境が大きく変化したという方も、多いのではないでしょうか?
かくいうわたしも、2022年の終わりから2023年の現在にかけて、大きな変化がありました。やらせていただくお仕事も変わったし、それによって、関わる人にも変化があったし。
詳しくはこちら▶︎https://note.com/teradayuki/n/n278834138eae
このような大きな変化も、人生のところどころでそれなりに経験してきましたが、それだけではなく、職業柄、日々の変化も多い方だなと思います。
案件によって業務内容は変わるし、現場によって関わらせていただく人も違うし。
自分ではあまり気づいていないけれど、大きい変化はもちろん、日々の小さな変化の数々も含め、環境の変化というものが少なからず、自分の考え方や言動、行動などに、日々影響を与え続けているんでしょうね。
だから、「変わったね」と感じた知り合いの感覚はきっと、間違っていないのだと思います。絶対、変わってると思うしね。
でもこういった、「日々から影響を受けて自分が変わっていくこと」って、わたしに限ったことではないと思うんです。人は日々、なにかしらの変化とともに生きているはずだから。
そして、「人は日々、変化している」ということを、みんな頭で理解もしているだろうなって。まったく変化のない人生なんて存在しないと、みんな頭のどこかで思っているはず。
それなのにあえて、「変わったね」とことばにするわけです。
あまりにも大きな変化を感じたのでしょうか?
そのわたしの変化に対して、嫌だなとかいいなとか、なにかしらの感情が動かされたのでしょうか?
マイナスなのか、プラスなのか。
なにを思って相手が「変わったね」と言ったのか、あまりにも真意が汲み取れなかったからこそわたしは、モヤモヤしたんだと思います。
言わない方が、いいことば
自分にとってはとてもハッピーに感じる変化であったとしても、他の誰かにとっては、マイナスに感じるかもしれません。変わってしまうと都合が悪いとか、変わってほしくなかったとか。あるよね、きっと。
でもそんな、変化によって生まれた、もしくは浮き彫りになった「違い」みたいなものって、悪いものではないはずじゃないですか。
住む世界が変わってしまったんだなあ。
考え方が合わなくなったなあ。
今の自分には、いない方がいい人になってしまったなあ。とか。
悲しいかもしれないけど、変化したという事実は変えられないからこそ、受け止めるしかないんだし、なにより別に、悪いことではないはずで。それにさ、変化したからこそ、お互いがよりハッピーになれるかもしれないわけですし。
そう考えると、「変わったね」とことばにすることによって、心にモヤモヤを生んでしまう可能性があるのだとしたら、いくら感じたとしても、伝えない方がいいのかもしれないなって。なんだか、思ったんですよね。
「変わったね」ということばは、相手にかけるべきことばではなく、自分を納得させるため、変化を許容するために、自分自身のために発している、そんな可能性が高いことばなのかもしれないなって。
もちろん、プラスの変化を相手から感じ取ったのであれば、それは積極的に伝えた方がいいんだと思います。でもその時も、「笑顔が明るくなったね」「今の方がわたしは好き!」みたいに、表現は具体的にした方がいいかもしれません。
そう考えるとますます、相手に伝えるべき「変わったね」は、すごく少ないのかもしれませんね。
今までわたしも、容易に使ってしまっていたかもしれないな。反省……
ポロッと発してしまいそうなことばだからこそ、これからは発してしまう前に一度、伝えるべきなのかどうかを、立ち止まって考えたいな。
相手にしっかりと意図が伝わることばを、発していきたいものですね。
ほなまた、来週!
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