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「話す」をやめれば、人生は変わる。

突然ですが。

寺田さんは、コミュニケーション能力が高くて、誰とでも仲良くなれて、挑戦も失敗も恐れず、高みを目指して戦い続ける、キラキラ女子ですよね。

そういう文脈のことを言っていただく機会が増えました。

……え?マジ?(汗)

それはもうびっくりしてます。
だって、あまりにも本当の自分とかけ離れているから。

わたしは人見知りです。

はじめましての人と会うと、それはもう緊張して言葉が出てこず、がんばって喋ろうと努力はするものの、その努力は空回りして、だいたいトンチンカンなことを言ってしまう。

大人数の飲み会なんて、もう最悪。隅っこで1人、ビールを飲んだだけで終わったことが何度あっただろうか。

こんな話をすると、決まって言われることがある。それは、

「人見知りなんて絶対嘘でしょ!」
「その話、いまだに信じてないです。笑」

そう、わたしの人見知りは、信じてもらえないのです。

さらに、もう一つ。
信じてもらえないことがある。

それは、わたしが超保守的かつ、1人が大好きな根暗人間だということ。

挑戦は怖い。失敗だってしたくない。なるべくリスクを負わず、知っているものにだけ、囲まれて生きていたい。ルールを作るより、ルールを守る方が性に合っている。

そんなことを言うと、これまた決まって言われてしまう。

「いや、そんなことないでしょ!笑」
って。

どちらも否定し続け、真実を伝える日々を送り続けているわけですが、これがまるで伝わらないんですよね。

なぜ、伝わらないんだろうか。

たくさん考えてみたんだけど、その根本にはきっと、「話し方」の意識改革をできたことが関わっていると思っています。

「は?」って思うかもしれないが、騙されたと思って、一度、最後まで読んでみてほしい。

「話し方」の意識を変えるだけで、人生を変えるきっかけってもんは、簡単に掴めるのかもしれないから。

「話すこと」を諦めて、わたしの人生は変わりました。


MCとの出逢い。

わたしは現在、MCをメインとして活動をしています。

知ってくれている方も多いかもしれませんが、2013年から約10年間、堀江貴文さんのYouTube番組『ホリエモンチャンネル』でMCを務めさせていただきました。さらにはメンズファッションYouTube番組『B.R.channel』のMCも、就任して約8年が経過。

YouTube番組のMCやビジネスカンファレンス、イベントMCなど、ざっと合計で、出演作は3000本くらいになったと思います。

今はMCを生業としてるわたしだけど、小さい頃はアイドルになりたかった。
エンタメとしてテレビが絶世期だった当時、ブラウン管の中で歌って踊るアイドルたちが、やけにキラキラして見えたのです。

そんな夢は、いつしか女優へと形を変えたのだけど、テレビの中の世界に行きたいという思いは変わらず、2004年、中学3年生の時に、大手芸能事務所が主催するオーディションに参加したのでした。

そのオーディションをきっかけに、運よく芸能界デビューの切符を手にすることができたわたしは、王道の芸能界ルートを走ることになりました。

デビューしてからというもの、ありがたいことに、すごく順調だった。
どんどんと仕事は決まり、若手女優の登竜門とされていた賞レースではグランプリを獲得、発売した写真集も、書店の方が「大型新人現るですね!」とびっくりしてくれるほどに、売ることができたのでした。

このまま、わたしは大女優になれる。
王道の芸能界を、駆け上がることができる。
そう思っていた。

でも……人生そんなにうまくはいきませんね。

気づいたころには仕事がない状態になっていて、事務所を退所することになっていました。

人脈もない。
仕事もない。
お金もない。

手の中に何もない状態で、さらには世の中がフリーランスという働き方に、まったくと言っていいほど免疫がなかった2012年。フリーランスでの女優活動を開始することになったのでした。

フリーランスになってすぐのわたしに仕事なんてあるはずもなく、稼げる手段があるとすれば、バイトだけ。

月に6日ほどの休みで、毎日12時間くらい。イタリアンレストランの店内を走り回っておりました。(あ、ちゃんと残業代が出ていたので、クリーンなお店ですよ)

女優になりたいと願えば願うほど、増えるバイトの時間。

「わたし、何やってんだろうな……」

悩まない日はなかったかもしれない。
明るい未来を描くことすらできず、ただひたすら、パスタを運んで、ワインついて詳しくなっていきました。

そんなわたしに、手を差し伸べてくれた人がいました。

「YouTubeで番組やるから、アシスタントやりなよ」

堀江貴文さんでした。
この言葉をきっかけに、2013年、「ホリエモンチャンネル」のMCに就任。
それから2023年1月ころまで、約10年間に渡って、MCを務めさせていただいたのでした。

やったこともなく、勉強をしたこともなかった、MCという職業。
でも正直、すごく軽い気持ちで飛び込んだと思う。

いや、堀江さんの隣でMCをやり続けるということには、いろんな障壁があったこともあって、たくさん悩んだし、本当に大丈夫か? と渋ったし、不安に思うことだってたくさんあった。大きな決断だったとは思います。

でも、「MC」という仕事の大変さや重みに関しては、具体的に考えられていなかったのです。

あくまでわたしは、女優だ。
MCは、一つの仕事として受注しているだけだ。

心の中で、MCとは距離をおいたまま、わたしのMCとしてのキャリアがスタートしていったのでした。

すごい人たちの世界で彷徨いし、普通なわたし。

救いの手を差し伸べてくれた堀江さんには、本当に頭が上がらないし、感謝しかありません。

とはいえ、「ホリエモンチャンネル」でMCをするということは、正直、困難だらけでした。

番組を開始した当初から、たくさんのゲストが来てくださっていたのですが、堀江さんのつながりで来てくださる方々ばかりだからこそ、それはもう、豪華!!!

ビジネス界で有名な方、その道のすごい人たちなど。
とにかくゲストが豪華だったのです。

そんな豪華な面々をお迎えせねばならないにも関わらず、交わせるのは、はじめましての挨拶くらい。はじめましてと言った5分後ぐらいには、いつも収録が始まっていました。人見知りのわたしには、超過酷な環境……

さらに、YouTube番組という特性と、堀江さんのスタンス上、台本なんてもんは存在しなかった。

何を話すかも決まってない。
いつもぶっつけ本番。

さらにさらに、堀江さんとその道のプロであるゲストさんの間で繰り広げられるトークは、それはもう、難しい! 会話についていけないことばかりだったのでした。

そんな困難な状況に追い討ちをかけるように、心理的な圧迫も感じていたように思います。

それは、「わたしもすごい人でいなきゃ……!」というもの。

周りがすごい人たちばかり。
自分も、すごい人にならなくてはいけないのだ。活動的に動ける人物、時代の先端を歩くような人物に、ならなくてはいけないのだという、固定概念? 強迫観念? はたまた、思い込み? みたいなものが、わたしの頭にこべりついて離れなかったのです。

トークの内容も、意識が高いものばかりでしたしね。
意識の高い内容に見合う自分でいなくてはいけないのだと、考えるようになっていたのでした。

でも実際、何を挑戦するにしても、ウダウダ考えては怖くなって行動できないし、失敗もイヤだし……

わたしは、すごい人たちの世界に、たまたま紛れ込んでしまっただけの「普通の人」なんですよね。

時代を築くような人たちのように、「思い立ったらすぐ行動!」「失敗したもん勝ち!」みたいな風には、どうしてもなることができませんでした。

できなかったけど、周りはみんなすごいのだ。
そんな番組に出演しているのだ。

できない自分を認めてはならない。
なんとしてでも、すごい人にならなければいけないのだ!

「ホリエモンチャンネル」のMCを、やればやろうとするほど。
日々の収録を、なんとかしようとすればするほど。

本来の自分とは、かけ離れていっていたのかもしれませんね。今思えば。

しかも、隣にいるのは影響力の塊みたいなお方。
少しでも変なことを言ったら、コメント欄は、荒れる荒れる……

その場だけをなんとかしようとしているMC、はたまた、別にすごい人なんかじゃないのに、すごい人のフリをしている素行は、視聴者さんにも伝わったのでしょう。

いつしか動画のコメント欄は、アンチコメントで溢れるようになっておりました。

わたしの、ターニングポイント。

この状況のままではダメだと思ったわたしは、ある日を境に、今一度、MCをしている自分と向き合うことにしました。

すると次第に、荒れまくっていたコメント欄は落ち着き、「寺田さんが質問をしてくれて助かる」「聞きたいことを聞いてくれて助かる」と、コメントをいただけるようになっていきました。

それからというもの、ありがたいことにお仕事が増えていくようになって、初書籍『対峙力』も発売することができました。

もちろん一番は、番組における自分の立ち位置を、意識したことが大きかったと思います。

堀江さんとゲストさんの話は難しい。
だからこそ、その隣にいるわたしに求められていたことは、すごい人物の模倣をすることではなく、視聴者さんとの架け橋役になることだったのです。

すごい人になる必要なんてなかったと、そこで初めて気がつきました。

これこそ、大きな意識改革。
いかに理解できる話に落とし込むことができるか。難しい話を簡単に、解説してもらえるか。

すごい人になれないなら、無理に目指さなくていい。
本来の自分を活かして、戦える方法が必ずある。

そう、教えてもらった気がしました。

でも、この意識を変えただけでは、成立しなかったと思うんです。
立ち位置を再認識したことと合わせて、「話し方」の根本の考え方も変えたこと。

これが大きかったと、今になってすごく思います。

頑張って「話そう」から、まずは「聴こう」に。
わたしは今までと、真逆の「話し方」をするようになっていたのでした。

「話す」を諦めて、人生が変わった。

昔はとにかく、うまく「話そう」と必死でした。

そりゃまあ、我ながら、しょうがなかったとも思う。豪華すぎる面々を前にして、MCだという肩書きもあって、「話す」という行為を頑張ろうとするのは、人間の心理として正常だと思うから。

でも、もともと人見知りで、話すことが得意ではないわたしにとって、いきなりうまく話そうとか、うまく話せる技術を身につけようなんて、めちゃめちゃハードルが高いことだったのですよね。

だから、やめた!

自分にとっては難しい「話す」という行為を、やめたのでした。自分が話せないなら、話してもらえばいいや。

MCも、日常会話も。すべての仕事、すべてのコミュニケーションの意識を、180度転換し、「話す」からではなく、「聴く」からスタートさせるようになったのです。

当時の自分の気分的には、諦め的な意味合いが強かったと思います。
できないから、やめようってね。

でも、この諦めが大正解!!!!

まず、「話すこと」にプレッシャーを感じなくなったんです。

いいことを言わなきゃ。
うまく話さなきゃ。

そんなプレッシャーから解放されることによって、気負わず、人とコミュニケーションを取れるようになりました。

そしてそのおかげで、「話すこと」に自信が持てるようになった。

自信を持って人と話ができるようになったことで、いつでもどこでも、人と話をすることが怖くなくなったのです。

環境を変えることが、人生を変えること。
なんて言われることが多いけど、環境を変えたからといって、それだけでは人生は変わらないと、わたしはこれまでの経験上、強く思っています。

周りに流されてすごい人になろうと躍起になってしまったり、本来の自分を見失ったり。環境に自分を合わせることに必死になってきたからこそ、思うのです。

変えた環境の中で出会う人と、いかにうまく向き合えるか。
たくさんの言葉を聞き入れることができるか。

それこそが、人生を変える種なんだなって。

昔はなんだかもっと、環境が物理的な場所に感じていました。
でも、そんなことなかった。たくさんのすごい人に紛れてみて、自分を取り繕うとしてみたりなんかして。

「環境は人」だなって、感じたんです。
そして、たくさんの人の中で自分がどう生きていけるかこそが、大事なのだと。

そう思えたからこそ余計に、「話すこと」に自信が持てるようになったのは大きかった。

堂々と、すごいと言われる人たちの話を聴くことができたから。

それからというもの、出会う人の人生や考え方を、たくさんインストールできるようになったと思います。

わたしは、すごい人なんかじゃない。
ただ、たくさんの人生をインストールできたわたしは、強い。

人見知りなわたしが、ひょんなことからMCをやることになり、すごい人たちがウヨウヨしている世界に紛れ込んでしまい、自分が生きていける方法を考え抜いた。

その結果として手に入れた「話し方」が、わたしの人生を大きく前に進めてくれたのでした。

たくさんの人と話し、さらにはたくさんの人生や考え方をインストールできるようになれば、自分というものを、多角的に考えられるようになる。そうすることで、本来の自分を見つけられる。
自分の在り方を、探すことができる。

どんな場所に行っても、自分を愛せるように。
どんな人と関わっても、自分の人生を頑張れるように。

人の話を聞くだけで。
人と関わることが上手になれるだけで。
人生なんて、簡単に変えていけるのかもしれない。

そんな、「話すこと」を諦めたわたしが、「話し方」の本を書きました。

想像しているような「話し方」のノウハウは、ここには書かれていないと思います。

でも、その意識改革こそが、あなたの人生を変えるきっかけに、なれるかもしれません。

一緒にたくさんの人生をインストールしましょう。
「話す」をやめる「話し方」で。

ほな、また。

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