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第一回神社仏閣巡りテラ会

 大阪から国道一号線を北上。八幡に入るとそこから京都府。木津川を越え、宇治川を越えて、京都市へ。

 東寺がある九条通りで右折。そのまま143号線を道なりに走り、東山を北上。八坂神社前を通過し、三条通りで右折。琵琶湖疏水で有名な蹴上(けあげ)を通り、京阪電車と並行する山間の道で山科を通過。そして、今回の目的地、滋賀県大津市へ。

 第一回テラ会の行き先は、三井寺。

 みついじ、みついでら、ではなく、みいでら。

 その昔、寺内の霊泉が三代の天皇の産湯として使用され、御井(みい)の寺と呼ばれたことから、三井寺(みいでら)と俗称されるようになったという話。

 正式名は長等山(ながらさん)園城寺(おんじょうじ)。
 長等山の中腹にある、天台寺門宗の総本山。

 この寺の歴史は凄い。

 大津は、天智天皇の帝都。
 667年、飛鳥京から遷都され、近江大津宮(おうみおおつのみや)、いわゆる大津京になる。672年、壬申の乱で荒廃し、5年余りで廃都。廃都後、時の皇室らの意向もあり、大友氏の氏寺(うじでら)として、長等山中腹の広大な土地に寺は建立。
 その後、円珍という、幼少期に神童と言われ、比叡山に入門、唐にも留学経験があり、後年、延暦寺第5代座主になった僧によって、再興。

 平安時代。
 寺(てら)といえば三井寺のことを指したらしい。比叡山延暦寺は山(やま)。すなわち、当時、「寺に行こう」と言えば、行き先は延暦寺ではなく、三井寺だったのだ。

 山門寺門(さんもんじもん)の争い。
 天台宗が山門派と寺門派に分裂し、抗争。寺門派の園城寺は山門派である延暦寺の宗徒に焼き討ちにされ、何度も全焼。武家の政争にも巻き込まれ、源氏と平氏、北朝と南朝に分かれて争った。

 そして戦国時代。
 比叡山焼き討ちのとき、織田信長は三井寺に本陣を置いたという話。それから時を経て、寺(テラ)は豊臣秀吉により再興。その後、秀吉の何かの逆鱗に触れたのか、寺領は没収。事実上廃寺となる。そして、徳川家康によってまた再興されるという不死鳥の歴史を持つテラ。

 寺内に三重塔(さんじゅうのとう)がある。それは、奈良県吉野の寺から秀吉が伏見城に移建していたものを、1601年、家康がさらに三井寺に移建した仏塔。

 時の将軍の考え一つにより、テラの運命は浮沈。わたしは、その変遷はまるで会社の人事異動のようだと思った。

 観音堂がある高台にカフェ・カンノンがあり、そこからは琵琶湖が眺望できる。
 湖上を白色に彩る2023年のヨットの群れを眺めながら、テラの歴史に思いを馳せ、わたしはカフェラテを飲んだ。

 帰宅後、1770年生まれのベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ、クロイツェルを聴く。壮大な歴史を持つテラには、歌詞の無い、言葉のないクラシック音楽がとてもよく似合うと思ったからだ。

 2000年から使用しているお気に入りの黒いソファーに腰を沈め、赤色に染まったワイングラスをゆらゆらと揺らしながら、滋賀県大津市の長等山中腹にある三井寺の現地に身を置いて一番感得したことは何かと、今日一日をじっくりと振り返った。

 そして、わかった。

 現地で一番感じたこと、感じ取ったこと、それはやはり間違いなく次のことだ。

 「テラでラテも悪くない」



 


 



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