見出し画像

『津軽のカガリ』(ドキュメンタリー映画)

視聴環境:Amazon prime video

【内容】
明治生まれの津軽三味線の巨星、初代よ高橋竹山の生涯を描いたドキュメンタリー。


【感想】
亡くなった祖母のラジオからよく聴こえていました。
盲目の三味線奏者、尺八奏者として、凄い演奏をする人だとは知っていましたが…

ほぼ盲目ということで、虐められて3日で学校を辞め、当時三味線で身を立てるしか手立てがなく…
差別され、馬鹿にされ、うるさいと罵られながら、それでも食べて行くには三味線しかなく必死で引き続ける。

日本の土着の地を這うように生きるために歌ったり、演奏してきた人々の音は深く心に突き刺さる。
同調圧力が強く、そこから外れた人間に対する差別も強烈にある日本の農村社会の中で、目が見えないということはどれだけキツいことだったのだろうと…
そうしたことをも、舞台で語ることでその存在を晒しながら、殆ど見えない瞳で客席に語りかける。
そういえば、自分が子供の頃には、こうした映像はテレビから流れていて、土着の日本社会の陰鬱さと、繊細で傷付いた人々のトラウマが迫ってくるようで、そうしたものを避けて来たような気がします。
その後、浮かれたバブル経済に突入する中、そのままなかったことのようになっていったような気がします。
ただ、ここに来て、日本が長期的な不景気となり、再び貧しさが身近なものとなった時、この三味線の音の響き方がまた違ったものに感じられました。

そこにいるだけで、音を発しただけで、心に響いてくるものがあると改めて感じました。
日本のブルース…
なんて言葉がふと口をついたりしますが、そういった言葉では拾いきれないものがあるなあと…
貧しく弱い人々が、その苦しさを紛らわせるために、更に貧しく弱い人々への偏見や差別を向けることで、何とか生きて行く…
そうした社会の隙間のようなものを、三味線というものを媒介として、何とか生き延びようとする逞しく厳しい試行錯誤の末に獲得した音であり、佇まい。
そうせざるを得ず生き残った人々と、人知れず死んでいった人々…

彼らに比べれば、生温い生き方をして来た自分のような人間ですが、歳取れば取るほど、こうした音の凄みを感じるようになって来た気がします。
ただ、その後、音楽ではジャパニーズポップスとかシティーポップスが、こうした日本土着のじっとりと纏わりつく重さを忌避する形で発展して、世界的なブームとなって行くという…
その闇が暗く思いほど、新しい音楽は、より明るくより軽くなっていった…

竹山の厳しい自然環境の中で、労働歌として歌われ続けたものをだそうで…
天候不順によってはひどい飢饉が起こり、人口の三分の一が餓死し、村ごと壊滅したところもあったとか…
『飢餓坂(けがきざか)』なんて地名が未だに残っているのだそうです。

このドキュメンタリーを観ながら、苦労人の祖母がラジオから流れる曲を聴きながら、裁縫をしていた姿が思い出されました。

これから日本がこのまま貧しくなっていったら、その逆境をバネにして、逞しい音楽を作る人が現れるのかも知れないなんてことを思ったりしました。

https://natalie.mu/eiga/film/176966

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?