【考察】アマガミ討論会 第一夜 桜井梨穂子編
1.KとT
田山花袋です。
国木田独歩です。
父は館林藩士をやっておりました。
二人でアマガミ討論会をやっていきます。
やっぱり田山君もアマガミやってたんですね。
松岡君に勧められてね。実況プレイは幾らか見ていたのだけど。
そりゃプレイして正解ですよ。実行した空気の中から真理が出て来る。
国木田君の方こそアマガミやってたとは意外だなア。
神木隆之介だってやってますから。田山君が思うより層は厚いんです。
しかし、こう言っちゃなんだが君はモテというか、タチ悪い女たらしというか。
折角だからもう少し言葉を選んでくださいよ。
銚子を舞台にした恋愛SLGがあるというのでね、やってみたんですよ。やっぱり地元が脚光を浴びると嬉しいもんですから。
田山君も気に入ってたでしょう、銚子。
予も銚子は好きなりってね。
以前に君とも遊んだけれどあれは東海岸で一番いいね。
が、実は今夜の議題はそこだ。
「輝日東というのは本当に銚子なのか」という点でね。
松岡君ともそういう話になったんだ。
あぁ、失敬。まア正確には『アマガミSS』『アマガミSS +plus』の舞台である輝日東のモデルが銚子市、と言うべきですかね。
アニメツーリズム協会の“訪れてみたい日本のアニメ聖地88” 2022年版に千葉県銚子市が選定されたのは記憶に新しいですが、あれもあくまでアニメ『アマガミSS』シリーズのお話です。原作は特に現実の地理を反映したものではない。
いっとき松岡君と折口君が散々語り合っていたのはアニメシリーズの方だったね。
ただ原作も大まかには銚子を含む千葉県から茨城県辺りが想定されていると思っていいんじゃないんですかね。
例えば「キビトランド」のモデルは舞浜でしょうし、森島先輩と訪れるホテルは木更津でしょう。かと思えば「二期桜」の元ネタは水戸市にある千波湖沿いの桜です。輝日東高校の設定に関してもディテールの部分では茨城高校をモデルにしている。 結構あちこちに散らばっているわけですが、総合すると輝日東は高山箕犀氏の原風景と言えるのかもしれません。
まア、そうなんだが、そうなんだろうね、君。
何かお気に召しませんか?
結論から言おう。輝日東というのはつまり……
ニライカナイなのだよ。
……田山君?
■ 田山は囲炉裏の鉄瓶を下すと、うっそりと目を細ませた。国木田は不意に湿った冷気が背筋を走る感触がして、あたりを見廻した。庭の常磐木の葉は美しく夜露に光って、絶壁に添って流れた谷には、まだ月の光が及んでいなかった。
2.現世と常世
■ その晩、かれ等は山寺の一室に籠って恋愛や信仰について語り合っていた。田山が鉄瓶から取り上げた錫の燗徳利は、囲炉裏の火を反射して、彼の頬を赤く照らし出した。
田山 フィクションの枠を越えたところ、いわゆる「聖地」の話は君の言うとおりだろうな。だが僕が言っているのは主に作中世界における抽象度の話なのだ。
国木田 ……ちょっと聞いてみましょうか。
田山 たとえば、君、上崎裡沙の出身地は何処かと尋ねたとしよう。余程のへそ曲がりでなければ当然「沖縄」と答えるだろう。
国木田 ええ、そうですね。『アマガミSS』第25話を見てみると──といってもBD版の追加シーンなのですが──確かに彼女の口から“前に住んでた沖縄の”と飛び出します。この台詞からして厳密には生まれが沖縄か定かでないのですが、少なくとも育ちは沖縄であることが窺えますね。ただし、私の記憶する限り原作で直接的にうちなーんちゅなシーンは無いのですよ。まァ“苦手なこと”に「ゴーヤ」が含まれている[1]という布石が打ってあったのは確かですし、偏屈なファンダメンタリストでもなければ「沖縄出身」で了解していることでしょう。
田山 国木田君、君やっとるね。
国木田 ええ、それなりに。
田山 しからば森島はるかの祖父母が暮らすのは何処か。これも当然「イギリス」と答えるだろうね。
国木田 当然です。これは作中のイベント内で明言されていますね。「リヴァプール」まで答えられたらベリーグーです。
田山 ……よろしい、それじゃあ棚町薫の出身地は何処かな? 国木田君ならどう答える?
国木田 薫ですか、そうですね……
国木田 ここで、恋をしたんだよね?
田山 まア、こう聞かれても「輝日東」としか言いようがない。イギリスのリヴァプールの何処其処と違って、君の言うように、現実の地理が反映し得ない聖域に居るんだ。言わば輝日東は架空中の架空にあるのだからね。
国木田 しかし……現実の地理はなくとも架空の地理はあるはずですよ、田山君。
■ 国木田は懐から丁寧に蛇腹折りされた紙を取り出した。紙には「アマガミ 背景相関図」と書かれている。
国木田 ここから、棚町家の位置関係についてある程度の目星はつけられるはずです。薫の通学手段は徒歩[1]であり、かつ“まっすぐ帰る”イベント(54, 17)では「通学路 063」を背景に別れます。設定上、棚町家は輝日南小学校の学区外にがあるのでしょうから────
田山 国木田君、一旦そのへんで。
国木田 失敬、つい。
■ 田山は燗徳利の剥がれかけた籐を薬指で弄っていたが、漸く錫猪口へと燗を注ぎ込んだ。国木田は背景相関図を丹念に折り畳むと、咳払いを一つして、懐の中へそれを仕舞った。
国木田 ……けれど、何となく話が見えてきました。なまじ実在する地域名や特徴的な風俗が作中に登場するものですから、相対的に「輝日東」の非実在性が浮き彫りになると言いたいんですね。
田山 そういうことだね。
国木田 創作の世界じゃア珍しくもなし、ただの難癖ですけどね。野暮なこと言うなら輝日東というのは格別に抽象度の高い地域だと評することは可能です。
田山 すると、むしろ沖縄やイギリスといった地名の中にこそ我々の生ける現実界を規定することになるだろうね。
国木田 そうでしょうか。
田山 さて、そこから海を越えた東の彼方にある「輝日東」とは、何ぞ。国木田君、何ぞ?
国木田 ……ニライカナイ、ですか?
田山 国木田君! 輝日東とは他界だよ。有り体に言うならば死者たちの理想郷だね。信仰上の他界概念というのは垂直型他界と水平型他界とに大別されることは松岡君から聞いたかな。特に琉球の信仰では垂直的に表象する他界をオボツカグラ、これに対して水平的に表象する他界をニライカナイと呼んだ[3]。ニライカナイっちゅうのは、はるか東の海の彼方にある楽土だね。折口君は方角に依らないと主張しているようだが、松岡君は東という方角に拘っていた。というのも、これは常世の国《トコヨノクニ》信仰と同根のものであり、輝ける旭日の立ち昇る東方を憧憬する民間信仰に由来するのだと彼は主張したいのだろうね[4]。常世の国、分かるね。古代日本の水平型他界の代表だね。ともかく輝日東っちゅう地名の由来は、ここにあるんやね。
国木田 ……これ大丈夫ですかね?
田山 先の「聖地」の話じゃあないが、地理的な視点を加えるならば輝日東っちゅうのは常陸国(現茨城県)を含み持つ。「古の人、常世の国といへるは、蓋し此の地ならむか」と言えば『常陸国風土記』の冒頭だよ。それに輝日東といえば言わずと知れた常陸国一の宮、鹿島神宮とも縁のある土地だろうからね。モチーフのレベルから東方浄土と言っても良かろう。
国木田 いやいや、田山君、田山君。ちょっと反論させてくださいよ。輝日南もありますし現実的に考えれば「東」の部分は単に廃置分合やらの都合で生じた方角地名でしょう。百歩譲って「輝日」が“日立ち昇るところ”のイメージだとしても、「東」に東方〈アガリカタ〉みたいな意味合いを見出すのはどうかと思いますよ。
田山 むー。
国木田 それに騙されそうになりましたが鹿島神宮はアマガミの「聖地」とは違いますから。
田山 そもそも古代には現銚子市の辺りから鹿島にかけて海上郡という郡域が広がっていたんだって。あの辺一体は一つの島のように見えたらしく、それが鹿島という地名の由来でもある。
あと、先に聖地を広く解釈したのは国木田君だと思いますーう。
国木田 そんな唇とんがらすのやめてくださいよ。海上郡こそ廃置分合の都合で消滅しましたからね。ちょっと本筋から逸れてしまうのでこの話を膨らますのはここでやめましょうよ。
田山 そうか。
国木田 ……えっと、名付けの観点から言うならば、僕はキラキラとした校名ありきなのではないかと思っています。『ときめきメモリアル』の「きらめき高校」などの例に倣って「輝かしい日々を過ごす」ようなイメージで学校名が先に決まっていたんじゃないかな。これが輝日南に始まり、輝日東にも踏襲された。地名は後からついてきた副産物と考えてみるのは如何でしょう。
田山 まアね、そう言われてみれば輝日南高校も輝日東高校も私立高校ながら地域の名前そのままの公立高校みたいな校名だね。高校名が先行していると考えれば少し納得感はあるよ。
国木田 もちろん実在する私立高校にもそういうところはありますがね、花巻東高校とか川越東高校とか。『アマガミSS +plus』の第12話 Bパートでは校門の銘板に「輝日東市立輝日東高等学校」と書かれていますが、これは誤りです。しかし混乱するのも無理はないでしょう。
ちなみに各ヒロインのナカヨシクリスマスイベントにおける絢辻詞の挨拶内に“輝日東市役所”という単語が出てきますので「輝日東市」自体の存在は確認されています。まアともあれ、どんな校名であっても半ばギャルゲ的都合により私立高校に設定せざるを得ないのですよ。そもそも「創設祭」が私立高校ならではの設定ですからね。
田山 ……国木田君! それ! それだそれ!
国木田 私、今なにか?
田山 ギャルゲ的都合だよ。そう……輝日東とはギャルゲ的都合の威力が支配する領域なのだよ。
国木田 はあ。
田山 つまりね、輝日東における殆ど全ての都合は恋愛に指向しているんだよ。放課後の教室では偶然に手帳を拾い、黒猫を追うと偶然にスカートを覗く。屋上は施錠されておらず、クリスマスイブには学校行事が設定されている。何より見渡せば彼方此方に僕を好いてくれる美少女がおる。
国木田 そりゃ恋愛SLGですからね。都合の良いシナリオとかいう指摘すらも野暮です。
田山 これはちょうど折口君が常世の国を「恋愛の浄土」と評したことにも通じている[2]。常世というのは“巫女が人間と婚する事実の婚譚化した女神の、凡俗で唯倖運であった男を誘うた”エピソードに溢れているというのだ。僕ら現代人の感覚で言うなれば、まさしく「それなんてギャルゲ(エロゲ)」的であるね。
国木田 それ言うほど現代人かなア。
田山 輝日東とはね、これすなわち古の民間信仰から連綿と継がれてきた理想郷への憧憬だ。少ない男神と多彩なる女神からなる“永遠の情欲の国”。これが輝日東の正体であると言っていい。
国木田 それを言ってしまうとおよそ全ての美少女コンテンツの舞台は常世の国ってことになりますが……まアいいでしょう。大体言いたいことはわかりました。色々と引っかかるところはあるけれども、一旦ここまでの話の筋をまとめましょう。
田山 頼むよ。
国木田 まず、ゲーム版『アマガミ』は「聖地」の解釈が複雑だというところから、現実の地理を厳密に反映しているものではないことを確認しました。それから田山君は「沖縄」「イギリス」等といった作中に登場する実在の地名を引き合いに出しては「輝日東」の非実在性が強調されることを指摘しましたね。
以降の主張はその非実在性はなんらかの意図があって表現されたものであるという仮説を補強するためのものだったと思います。語り口はもう如何にもオカルトでしたが、つまりギャルゲ的都合の威力が支配する理想郷として描くために敢えて抽象化されたのだと説きたかったのですよね。それでもって高山氏の原風景やら作中の地理やらについて考えを巡らせた結果、常陸国としばしば同一視される「常世の国」をモチーフとして関連付けるに至った。……こんな感じですかね。田山君はこの論を前提として「考察」をしていきたいと、そう考えているわけでしょ?
■ 田山は、国木田の言葉を聞き終わるや否や、頷きながらぱちぱちと手を打った。
田山 さすが、国木田独歩。わが生涯の盟友よ。
国木田 はぁ……いやアね、田山君、あまり言いたかないのだけれどサブカル批評に他界モチーフの話とかもうお腹いっぱいなんですよ。何に影響されたのか知らないですけれども。
■ 国木田は徐々に語気を強めながら言った。田山は拍手をやめて、目を瞑りながら国木田の言葉に耳を傾けていた。
国木田 そればっかりじゃないですか。この頃アニメ映画などは全部それですよ。画面にヒョイと異界の表象が映ればそれに呼応して、ここぞとばかりに 「考察」という名を掲げて、なンの捻りにもなっていない深読みゲームが始まる。
僕はもうウンザリだ、根の国だ、妣の国だ、國男柳田────
田山 まア、まア国木田君、まアね、君の言い分も分かるよ。
国木田 よもや田山君まで、そんな手垢のついたベタベタの「考察」をするとは。しかもこの期に及んで『アマガミ』で。平素のナチュラリズムはどうしたんですか。
田山 国木田君、だがね、いま──
田山 いま、『アマガミ』を語るんだよ。切り口が何だ、なんだってさいわいじゃないか。
僕はこれでも童貞を失っていないんだ。
国木田 ……うーん、童貞の話はおいといて、まア確かに未だ語る余地があるとすれば、それはやはり大元が豊かなコンテンツだからでしょうね。けれど無理くり論点を拡げて喧伝するというのはどうも……
田山 だからこうして“討論会”をやってるわけじゃないか、僕の言い分に異論があれば普段の通り、なじれば良いさ────ほれ。
■ 田山に促されると、国木田は自分の猪口を差し出した。二人とも酒は飲めぬ口だが、その晩は田山が珍しく是非飲みたいと言うので国木田も付き合った。
3.桜と橘
■ 二人の若者は、鰹節を肴に少量の燗をちびりちびりと飲んだ。淡い月明かりが庭の樹々や石組みを照らし始めていた。その間隙に微かな影が躍動している。山寺の一室は閑かだが、時折そよと風を切る音が響いた。
田山 さて、少し温まって来たところでキャラクターのお話をしようか。
国木田 気を取り直して行きましょう。
田山 アマガミの主人公っちゅうのは「常世の花」たる橘の名を冠しているね。常陸国風土記にもよくよく登場する。
国木田 そうかなア。単にありふれた苗字じゃないかなア。
田山 七咲逢の『ちょおま』には『みかんちゃんとプー』というタイトルの絵本が登場するが、これは松谷みよ子作『モモちゃんとプー』というの実在する作品のパロディなのだ。黒猫のプーが七咲逢と強く結合することは自明だが、さらにここでは「橘純一」という主人公のデフォルトネームが果樹の橘……すなわち、みかんに喩えられている。橘という苗字が単なる記号を越えた表象作用を果たしている例だね。
国木田 いや、その説はだいぶ怪しいですけれどね。関係あるのかなア。
僕も読みましたが、その児童書においては「木」にまつわる表現が人間模様を象徴する大事な要素であることは確かです。夫婦関係の葛藤を鉢植えの木に喩えて語るのが有名ですね。
田山 そだつ木、あるく木、あと宿り木の話ね。
国木田 『モモちゃんとアカネちゃんの本』シリーズ終盤ではアカネちゃんが人語を話す木から金色の“夏みかん”を採って病気のパパに渡すという挿話[5]があります。クジラに乗って川を上って会いに行くのですよね。次のエピソードの時点でパパは既に亡くなっていました。
田山 流石に象徴的だよね。松谷みよ子と言えば『日本の神話』を描く作家でもある。金色の“夏みかん”は非時香菓〈トキジクノカクノミ〉を指しているのだろう。つまり田道間守が垂仁天皇の命を受け常世の国へ橘の実を取りに行く説話[6]をなぞっているんだね。田道間守が都に帰った時には垂仁天皇は既に崩御していた。
国木田 まア、これについては首を縦に振っても良いでしょう。非時香菓、すなわち橘というのは常緑樹であるし、いつ何時でも芳香を放ち輝いている。それに由来して恒常性や永続性の象徴であるところから不老長寿の霊薬として尊ばれたのですよね、確か。
田山 ──それ、国木田君! ポイントはやはり橘っちゅうのは「常」なる樹木ということなんだな。常木。「橘」を冠するっちゅうことは、彼が少女らに永続性のまなざしと永遠の生命を与え得る存在であることを暗示しているんだね。
国木田 なんですか? 彼っていうのは橘純一のことですか?
田山 もちろん。それでもって、七咲逢が「ずっと」を強調するのも(13, 45)森島はるかが繰り返し告白されたがるのも、エンディングテーマが『ずっと、このままで・・・』っちゅう題名なのも、そういうことやね。
国木田 田山君、出身は館林でしたよね。
田山 “道端に咲く季節外れの白い花”というのも橘の花のことやね。橘っちゅうのは初夏に白い花を咲かせるから。
国木田 いやア、道端に咲くって言ったら木の花のイメージじゃないですけどね。聖夜の話してるからか私は勝手に白百合を想像していました。
田山 聖母マリアのアトリビュートやね。国木田君はクリスチャンだっけか。
国木田 それはそうですけども。うーん、田山君がそんなにシンボリズムの人だとは思いませんでしたよ。むしろそういうの嫌いだと思ってましたが。
田山 ワタシラシクナイ SYMBO-LISM
国木田 柳田君らに毒されすぎじゃないかな……まアそれはそれとしても、「橘」が象徴表現だという指摘だけでは「考察」としても不十分ですよ。問題はそれが──
田山 くふふ……それがどう意味してくるのかというのだろう。よろしい、これをご覧に入れよう。
国木田 ……田山君?
■ 田山は徐に立ち上がると2回手を叩いた。すると、モーターの忙しない駆動音を伴って床の間の拙い山水図が巻き取られていく。間もなく、それとすれ違うように120インチのスクリーンが降りてくる。
国木田 田山君、これは……
■ 田山が指を鳴らすと、先ほどまで鉄瓶を吊るしていた自在鉤が上昇していく。やがて魚の形をした横木の口が光りだし、白いスクリーン一面を青で満たした。画面の隅には白字で[入力]と表示されていたが、数秒後以下のように切り替わった。
田山 まず……恒常の象徴たる橘というのは、無常の象徴たる桜と対比されます。この2つは古来より縁のある樹木なのです。
国木田 は、はあ。
田山 国木田君、雛壇飾りに「桜橘」なるものがあるのはご存知かな。
国木田 ええ。「左近の橘・右近の桜」といって、京都御所内に植樹されている木を模しているのでしょう。対極をなす花ということは何となく知っとりましたが、そういうことなんですか。
田山 そういうことです。七咲逢の二期桜の話も強く関連してくるが、ひとまずそれは置いておくとして、アマガミの作中では桜井梨穂子の「桜」の対として「橘」が描かれるものであると言いたい。
国木田 両者にある古来からの縁を幼馴染という間柄に重ね合わせてるということですか? 何だか二次創作小説のネタみたいな。可愛らしい。
田山 左様。しかしそればかりではありません。桜井梨穂子の「桜」も単なる苗字ではなく少なからず象徴的役割を担っているんです。これはスキBESTとナカヨシエンドが共に桜の花を背景とすること、特にスキBESTはイベント名からして「桜の木の下で、伝えよう」とコンセプトが明白なわけです。とりわけ最終局面に桜の木の下で愛を告白することが恋愛SLGにおける儀礼的意味を持つことは皆まで言わずともお分かりだね。
国木田 藤崎詩織のアントニムとしての桜井梨穂子論ですね。
田山 加えて画面中央をご覧いただきたい。これは桜井梨穂子の自宅前にある高峰橋をイメージしたものです。
国木田 高峰橋は梨穂子のシナリオの要所でたびたび登場する背景ですね。純一と梨穂子は幼少期にこの橋の欄干の上を走り回って遊んでいました(31, 23)良い子は真似しないように。
田山 その思い出の高峰橋っちゅうのは基本シナリオ上「ずっと」工事中なわけです。要はお互い思春期を迎えて純一が蒔原美佳に恋をしたあたりから、そういった天真爛漫な幼馴染関係は破綻しているんです。まア、これは何も悪いことではなく、彼らが成熟する途上にあることを示唆しているものでしょう。ただしこれに甘んじてしまうのが橘純一のダメな方の恒常性です。刻々とダイナミックに変化する梨穂子を前にしても惰性で関係しようとする。
スキGOODでは告白シーン直前に梨穂子の口から工事が終盤に差し掛かっている旨が告げられます。その時の純一の反応というのは「高峰橋」を梨穂子との関係性に喩えつつノスタルジアを吐露するものでした。
国木田 やっぱり梨穂子のスキGOOD良いなア、一番好きかもしれません。
田山 ここでは、既に「スキ」でありながら橘純一が一歩踏み出せなかった理由が語られているわけです。つまり彼が極端に変化を恐れていたからですよ。そもそも橘純一と梨穂子の関係性について言うなれば「日常」をコンセプトとしているんです。『アマガミSS』の桜井梨穂子編のED映像では『恋はあせらず』のサビに合わせて環状の矢印の中で左右に腰を振る梨穂子が描かれている。僕はこれ、フラフープ的なモチーフの中に繰り返される「日常」の円環構造に囚われている彼女を重ねているものだと見ました。他でもなく変化を恐れる純一君によって作り出されたループです。
高峰橋がリニューアルされることはすなわち変わり映えのしない日常が更新されることを意味します。2年前に経験した思春期の挫折を上手に乗り越えられず「子供返り」しているのかもしれませんが、純一君は心のどこかでずっと古い橋に縋っていたのでしょう。
そして、スキBESTエピローグでは遂に修繕が終わります。
この橋の前で梨穂子とキスをして一歩踏み出す(35, 18)ところからもわかりますが、高峰橋とは明らかなる変化・成長の兆しであるわけですよ。
そして橋の象徴性を加味するならば当然、越境のシンボルとして在るものです。「楽しいだけの関係」と「恋人同士」の間に引かれたむつかしい境界線を越えられたっちゅうことですな。やがて橘君は梨穂子との結婚という将来へ指向するさまを見せてくれる。またそれは桜の木が負う「移ろい」のイメージに後押しされるものであるとも言いたい。思い出の中の梨穂子との折り合いがついたということであり、惰性が形作っていたループを飛び越える覚悟をここに見ます。
ここで梨穂子が敢えて「……関係ない?」とプレイヤーに目配せと問い掛けを行うのは誠に重要なことなんですよ。
国木田 いくつか気になる点はありましたが、その辺りについては概ね同感です。特に橋の象徴的な役割というのが明喩的であることもあって、その部分に関してはあながち深読みとも言い切れないのかな。アマガミ自身が象徴で読み解く遊びを助長しているとしたらば主にこの箇所であって、「高峰橋が象徴ならあれも…これも…」と欲張った人間の中から田山君みたいなモンスターが生じるんです。この辺にしときましょ、田山君。
■ 田山は何か思い出したように何処かへ歩いて行ったかと思うと、囲炉裏の側へ戻って足し炭を始めた。国木田の向けた抗議の眼差しを気にも留めぬ様子だった。
4.水平と垂直
田山 さて、ここからが本題です。桜井梨穂子というのは言うなればアマガミで最も「水平的」なヒロインなんですね。
国木田 水平的な。えー、他界観の話に戻るんですか。
田山 先に少しだけこの作品における水平的表象・垂直的表象の話に触れておきましょうか。『アマガミ』の優れている点を分析するときシステムのお話は欠かせませんな。……国木田君は何かピンとこないかね。『アマガミ』のゲームシステムに関わるところで非常に重要な水平性・垂直性があるのだが。
国木田 うーん、なんかあったかなア。
田山 ずばり「レベル」と「クラス」です。
国木田 「レベル」と「クラス」……あ、好感度マップのことですか?
■ 田山は何も言わずに頷くと、肉厚な手のひらでリモコンを握りしめる。するとすぐさま画面が切り替わった。
田山 『アマガミ』の好感度マップにおいてレベルは横軸……つまり水平方向に、クラスは縦軸……鉛直方向に推移します。
国木田 はいはい、この好感度マップによる関係性の見える化は確かに『アマガミ』の画期的な要素の一つです。好感度とはいいつつも数値化されたパラメータではあり得ないどこか有機的な感触がミソでしょう。
田山 レベルというのは単に時間経過でしかなく、どのヒロインも特定の期日を迎えれば自動的に次のレベルへ至るのです。この水平的な進行は時空間のひろがりにすぎないと言えましょう。ただヒロインらはおよそ40日間に自我の発達を見せてくれるのでありして、単なる時間経過といってもライフサイクルのシミュレーションとも言うべき劇的な変化をもたらします。ここに何も介入しなければヒロインとは「ソエン」になってしまう。ある意味「ソエン」のルートが最も純粋に彼女らの自我と社会が結ぶ関係性を観察しているということになるでしょう。
対する縦軸 クラスの方はと言うと当然ヒロインと純一君の「親密さ」であるわけですが、そればかりじゃアないことはお分かりですね。
原則的にクラスが高いほど彼女らのルーツに関わる問題を紐解くことができるようになっている。とりわけ「スキ」では親子・家族間の関係に関して取り沙汰されることが多いのが特徴です。平たく言うなら橘君がヒロインらのconsciousnessにどこまでの深度で触れることができるかといったところですかね。詳しくは割愛しますが、これらは絢辻詞のシナリオを一つ例にとれば分かりやすいかと思われます。垂直的表象の担う役割の1つにはこの意識や無意識の超越を見せるものであるっちゅうことです。実は『アマガミ』では随所にこの垂直方向の超越軸というものの神聖性を担保するような演出がなされています。垂直方向のクライマックスといえばスキBESTエンドでありますし、橘純一の高所恐怖症が意味するところは垂直的な超越への畏れであります。
国木田 なんか一気にとっつきづらくなったなア。こういう話するとき田山君、目が据わってるもの。
田山 垂直性というのはやはり天との交流を象徴するものです。塔を建てること、塔を登ること、花火を打ち上げること、これらは全て象徴的に天上と通じ合う呪術です。こういった垂直軸の視点の動きはいずれのヒロインのスキBESTでも顕著に見られるが、こと桜井梨穂子に関しては大変に印象が薄い。
国木田 うーーーん。
田山 強いて言うなら、梨穂子については「電話」が垂直性のシンボルであると指摘できるかもしれません。
これは純一とふたり迷子になって公衆電話から母親に電話をかけた時のお話です。専用のスチルまで用意されている重要なイベントであることを付け加えておきましょう。
梨穂子が語る電話の思い出と言えば、これともう一つ「お父さんサンタ」の件で登場するサンタさんとの電話のエピソードです。
純一の力を借りて背の届かない「電話」に手を伸ばすという垂直方向への運動と、それからサンタさんとの通話──すなわち天との交流を──どちらも「電話」が担うているんです。
国木田 その垂直性とやらに家族のイメージを据えつけたいのは分かりますが、ちょっと……ちょっと無理がある気がしますよ。
田山 そうでしょうな。というのも梨穂子はそもそも垂直的な超越に見られる変化が乏しいヒロインなのです。スキGOODとスキBESTの最大の相違点はというと、「電話」を介した天との交流が嘘だと判った後も梨穂子がずっと「サンタさん」に恋愛の成就をこいねがっていたことを告白するところにあります。が、言ってしまえば殆どこれだけ。あとは一応「桜の木の下」か否かは垂直的と言えるかもしれませんが、こじつけと言えばそれまで。
国木田 全部でしょう。こじつけと言えば。
田山 そう、桜井梨穂子を読み解く上ではやはり水平的な表象に目を向けるべきなのです。ここでは「橋」と「手紙」について取り上げることにしましょう。
スキGOODエンドでは「サンタさんへの願い事」の告白がない代わりに、「手紙」が非常に重要な要素となってきます。梅原と伊藤香苗のイタズラで贈られた嘘のラブレターを承って、それを橘純一が書き直すことで2人の恋がようやく実るという展開でしたね。これは梨穂子の父親が用意した「嘘のサンタさん」と梨穂子がいまだに信じる「サンタさんへの願い事」の関係と構造の似通ったものです。僕の言う「水平」と「垂直」の軸が異なるだけで本質的には同じだと言えますでしょう。
さて「橋」と「手紙」の幸福譚と聞いて思い出されるのは橋姫の伝説[7]です。
■ 田山がリモコンを握ると、白い画面一杯にぎっしりと引用文が表示される。
このように遣わされた手紙の内容を書き直すことで幸福を得る話は「水の神の文使い」とか「ウリアの手紙型説話」と呼ばれているものであって、世界中に類型の話がある。特に橋姫伝説は橋の持つ境界性を絡めたモチーフであり、桜井梨穂子スキGOODもまた特殊なアレンジではありますが、これをなぞったエピソードであると言えましょう。
国木田 ごめん、なんか具合悪くなってきました。……なんですかこれ?
田山 再び桜井梨穂子と橋の縁を鑑みることにします。仲直りや恋愛成就といった人間関係の「橋渡し」は勿論のこと。先ほど触れた水平型他界観ですが、その基本中の基本が「川を越える」そして「橋を渡る」ことに象徴されるものです。高峰橋が担う越境の象徴性というのは生と死の境を越えることをも包含しているのです。
国木田 田山君、もう夜も更けました。今晩はこのぐらいにしましょうよ。
田山 その通り。実に2年前のクリスマスに「他界」してしまった橘純一との関係修復であります。彼の経験した象徴的な死については言うまでもなく、蒔原美佳の手によって彼が“永遠の情欲の国”に行ってしまったことを考えるならば如何でしょう。桜井梨穂子は現世に、お宝本や輝日東の女神らに魅せられている橘純一は常世におるのです。梨穂子とくっつくことは脱・理想郷、脱・蒔原美佳でもある。梨穂子からすれば何としても彼を現実界に引き戻したいわけですね。
ここで再び「橘」と田道間守の話に戻りますが、非時香菓という名からもわかる通り橘とは最上級の菓子として珍重されたものでした。橘を持ち帰った田道間守命は菓祖神(お菓子の神様)として現在も祀られているのはご存知かと思います。桜井梨穂子が「橘」を得るときもまた、それは常世の菓子を現世に持ち帰ることを意味するのです。思い返せばスキBESTは指輪の入った「シュークリーム」を、スキBADは「驚天動地風林火山パフェ」を得るエンディングでした。
ただし同じ菓子とはいえど時間的な指向性で見たときには両者に雲泥の差がある。シュークリームを捧げるのはプロポーズですから、彼らの将来を約束する前向きの菓子であります。高峰橋の修復と同様に将来への指向性と変わり映えのしない日常からの脱却を象徴するものだと言えます。これに対して、驚天動地風林火山パフェとは橘純一の裏切りを「済んだこと」として思い出にするための後向きの菓子です。いずれにせよ菓子を得ることには「ぽっちゃり」の属性を補強する以上の儀式的な意味合いが確かにある。
菓子を得られなかった暁に何が待っているかを考えてみればお分かりの通り、ソエンになった桜井梨穂子はダイエットが成功し、KBT108というアイドルグループに所属してしまいます。純一と梨穂子の間に橋が渡ることなどなく、KBT108……すなわち彼岸と此岸を別つ煩悩の川によって永久に阻まれてしまうのです。
国木田 そうですか……
■ 田山は袖を捲って腕時計をちらと見る仕草をする。またひとつ咳払いをしてリモコンを握ると画面がフェードアウトしていく。
田山 と、言うわけで、はい。大体こんなところかな。国木田君、何か質問はあるかね。
国木田 ……うーーーーーーーん、それじゃアもう、一個だけいいですか?
田山 どうぞ。
国木田 仮にですけれども今の田山君の話を一旦ぜんぶ受け入れてみたとしても、なぜ桜井梨穂子が「現世」とか「現実界」の人なのか全然分からないのですが。
この場合、幼馴染キャラを選ぶことが“現実的な”選択だとか、そういう評し方も違う気がしました。田山君が常世とかニライカナイとかいうのは輝日東のことなんですよね? そもそも当然のことですが彼女も昔っから輝日東に住んでいましたし、輝日東高校にも通っている。田道間守の説話を引っ張ってくるにしても彼女が遠来者でないと説得力がありませんよ。
田山 なるほどね。いいでしょう。
国木田 ……
田山 確かに国木田君の言う通り、梨穂子もまた輝日東の女神であり巫女だ。先ほど僕はこう言った。「むしろ沖縄やイギリスといった地名の中にこそ我々の生ける現実界を規定することになるだろう」と。
例えば今までの話がそっくり「上崎裡沙」に置き換わったらどうか。そうなると輝日東 vs. 現実界という構図も幾分か説得力が増してくる。
国木田 ……だが梨穂子は違いますよね。そう言っているのです。
■ 国木田がそう言うや否や突然にエンディングテーマ『ずっと、このままで・・・〜シンセver.〜』が流れ始めた。
田山 おっと……国木田君、残念だがお別れの時間が来てしまったようだ。
国木田 ええ……
田山 なに安心したまえよ。君の問いへの答えは用意してあるともさ。部屋に帰ったらアマガミをプレイしてよくよく梨穂子の立ち絵を見直すことだね。
国木田 いや、そんなまどろっこしいことせず答えてくださいよ。
■ 音楽は急きたてるように盛り上がりを増してくる。国木田が音の鳴っている方向を一瞥すると、BOSEのスピーカーが天井に吊るされていた。
田山 ……それでは皆さん良いお年を。お相手は田山花袋と!
田山 国木田独歩でした!
田山&田山 「「メリークリスマス!」」
・・・
・・・
■ 深夜、国木田は日記を綴っていた。襖を一枚隔てた隣の部屋からは、地鳴りのようないびきが聞こえてくる。
■ 筆をとめて、国木田はまた瞑想に耽った。若い血の漲った頰をPlayStation Vitaの画面は明るく照した。画面に映る桜井梨穂子の立ち絵。彼女の洋服の胸元にはポップな字体で“Chelsea❤︎”と書かれている……。
☆ 第二夜につづく
[1]『アマガミオフィシャルコンプリートガイド』
[2]折口信夫『国文學の発生(第三稿)まれびとの意義』
[3]谷川健一『常世論』
[4]柳田國男『海上の道』
[5]松谷みよ子『アカネちゃんのなみだの海』
[6]折口信夫『妣が国へ・常世へ』
[7]柳田國男『橋姫』
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