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【私小説】僕の映画青春日誌 3

あの時、僕にはたしかに夢があった。

映画という魔力に魅せられて
ただあてもなく右往左往した日々。

冴えない日々が多かったけれど
確かにあの時、青春の中にいた。

でも今は遠い過去のように思える。
このまま靄の中に紛れてしまうのか。
記憶も風に吹かれた砂のように消え失せてしまうのか。

だから僕は今覚えていることを全力で書き記す。
そこには今は忘れてしまった大切な何かが
生きていく上で源泉になる力のようなものが
きっとあったはずだから。

【私小説】僕の映画青春日誌 3

2003年5月

ゴールデンウィークになった。
しかし私は学生に戻ったこともあり、年中ゴールデンウィーク気分だ。

小津安二郎の「麦秋」を見る。面白い。

黒澤明の「わが青春に悔なし」を見る。これぞ青春映画!

天願大介監督の脚本演習。厳しい指摘と鋭い視点が刺さる。
彼は今村昌平監督の息子。カンヌ映画祭パルムドールを獲得した「うなぎ」の脚本も書いている。彼の授業で「せせらぎの音」と題した脚本を書く。

小津安二郎の「稲妻」を見て、そしてメロドラマの傑作「浮雲」を見る。

男と女のもつれあう
どうしようもない愛を
ここまでしみじみと
味わえる恋愛映画を
私は知らない。

男のズルさとクズさと
情けなさを全身に滲ませる
森雅之と

「二十四の瞳」の対極の
日本映画最高女優
高峰秀子の味わいが
ジワジワ糸を引く。

まさに成瀬巳喜男メロドラマの
不朽の名作✨

腰までズッポリ浸かって
身を委ねた心地よさが
いつまでも続いた。

学校で「近松物語」を見て佐藤忠男さんの溝口健二監督論を聴く。

しみじみ傑作だと思う。

監督は『西鶴一代女』『雨月物語』『山椒大夫』と3年連続でヴェネツィア映画祭にて銀師子賞を受賞した溝口健二監督が身分が違う男女の道ならぬ恋を描いた。

時は江戸時代。
京都で羽振りよく商売を広げる当主の若き後妻おさんと腕利き職人の茂兵衛の道ならぬ恋。

不義の疑いをかけられた2人が逃げて追手が2人に迫る。険しい道をボロボロになって逃げる2人。

「もう、疲れた。死にたい」おさんの言葉に覚悟を決めた茂兵衛は船から一緒に身を投げようと決意するがその時、茂兵衛は、おさんに「今まで慕っておりました。私の意思で一緒に死にたいのです」と告白。

茂兵衛の気持ちを初めて聞いたおさんは、泣き崩れ、死にたい気持ちが、茂兵衛と共に生きたいという気持ちに変わってしまう。

2人は結ばれ、誤解から生じた駆け落ちは、本当の駆け落ちとなり、命からがら逃げる果てに2人は捕まって。。

流れゆく愛の果ての悲劇。
見事な傑作。

妻と息子は義父の実家の甲府に1週間ほど里帰り。

1・2年生合同のクラスコンパに出席。
10歳近く年下の先輩たち(2年生)が頼もしく見えた。

久しぶりに青山ブックセンターで映画本をチェックし、運動不足だったので表参道→西麻布→六本木→渋谷とぶらぶら散歩して、渋谷パルコブックセンターでも映画本を探す。

その後、渋谷のスタバで隣に座った数人組が映画の話をしていたので、声をかけると映画の自主制作をしている人達だった。こういう繋がり面白い。

私はあまり人見知りをしない。だからよくスタバで隣の席になった人と仲良くなった人が何人もいる。ADHDの衝動性が発揮されているのかもしれない。それか前世でイタリア人だったのかもしれない。

「一人でもできる映画の撮り方」という本を読み進める。

王様のブランチで温泉特集をやっていて、家から近い温泉宿を探し、本厚木にある「七沢荘」に行く。波動温泉と称しているのが怪しいが露天風呂は気持ちよかった。

帰りに本厚木ブックオフで唯川恵の恋愛小説を10冊くらい買う。今、恋愛ものの脚本を書こうとしているからだ。彼女の「肩ごしの恋人」(直木賞作品)は好きな小説だ。

慶應の友人から立て続けに連絡が入る。私には大学時代の親友とも言える存在で女性が2人いるが、その1人が結婚するとのこと。

また、大学時代国際政治のゼミが一緒だった友人が三菱商事を辞めて、ハーバードに行くと連絡があった。彼は今某省庁の副大臣だ。

日本映画学校とハーバード大か。随分差が付いたもんだな。でも、後で全部ひっくり返してやるよ。と心の中で思った。

鎌田敏夫の「29歳のクリスマス」脚本を読み進める。

逸見政孝の「ガン、再発す」を読む。素晴らしいキャスターだった。

脚本演習で学校周りの新百合ヶ丘を「人・街」をテーマに取材する。
と言いつつ、沢山の猫を庭で飼ってるおばあちゃんと話して終わった。

写真撮影講義で一眼レフの使い方を学ぶ。後日、父からも教わった。

私の父は写真を撮るのが好きで、定年退職後は写真の会に入って毎年写真展に出していた。今、父はパーキンソン病が進み、写真を撮るのが難しい。我が親ながら父の素晴らしい写真の数々は以下のシネマエッセイにも掲載している。noteのプロフィール写真も父の写真だ。

録音講義の後、1年時のメインの共同実習の1つ「人間研究」のテーマについてクラスで話し合う。

人間研究というのは映画学校に入学して最初に取り組む実習で、「人間を徹底的に観察する」ために、グループで徹底的にインタビューを中心に取材調査し、写真とインタビューをドキュメンタリー構成で発表する。

私は「性同一性障害」や「結婚しない族」というテーマで幾つか企画を出したが、皆、あまりピンと来ていないようだった。皆のポカンとした表情に28歳と18歳の世代間ギャップをしみじみ感じた、

この頃、放映していたドラマ「ブラックジャックによろしく」が面白かった。脚本の後藤法子さんに後年会って、大好きな作品であることを伝えた。

学校で「チョムスキー9.11」を見て、ジャン・ユンカーマン監督の話を聴く。

「アメリカ映画ベスト100 コメディ編」を見る。

5月12日。結婚記念日(2周年)で妻とワインを飲む。

「哲学」チョコボール向井を読む。いまだになぜ読んだのか分からない。

クラスの女性陣3名とジョナサンで「人間研究」企画について語る。

翌日、クラス一人一人が個人の企画を発表した。色々と面白い企画があった。「未確認生物を追いかける人」や「幸福の科学」「難民問題」「内部告発者」「ペルー日系三世」「風俗嬢」「ボディビルダー」「戦場カメラマン」「不老不死の研究をする人」など…

そして一番票を得られたのは「戦時中、満州で秘密工作を行っていたおじいちゃん」の話を聴くことだった。企画を出した女性Kさん(今はプロの脚本家だ)の知人ということもあり、取材もできる。私も興味を持った。この頃、映画「ラストエンペラー」を見直していたところだった。

第60回アカデミー作品賞含む9部門受賞👑

豪華絢爛✨
色彩豊かで眩いばかりに美しいベルナルドベルトリッチの映像美学がアジアの世界観とバッチリハマって素晴らしい!

20世紀初頭の中国、3歳で清朝最後の皇帝となる溥儀の人生がいかにドラマティックか。

大スクリーンで改めて観たいなぁ。
ジョンローンも良かった。

そして我らが坂本龍一先生も出演しつつも見事、アカデミー作曲賞受賞❗️

ほんと音楽も素晴らしかったなぁ✨😌✨

私の企画は敢え無く0票でスルーされたが、年齢的なこともあって自然にプロデューサーになった。進行スケジュールや役割分担などをリードして決めていく。

その後「満州秘密工作お爺ちゃん」へ依頼の手紙を皆で書いたり、当時の年表を作ったり、「実録・満鉄調査部」「図説 満州帝国」を読んだりして当時の背景知識を学び、また取材対象のお爺ちゃんはしっかり自伝まで書いていたので、読ませて頂いた。

まさに戦時スパイの映画を見るようなエピソードの数々に、ほんとか?と思いつつも引き込まれ、後年、私が自己啓発的に興味を持つ中村天風の若き満州スパイ時代も想起させた。

企画のKさんと副プロデューサーのKさんはどちらも女性でプロデューサーの私は、2人と幾度かジョナサンで打合せをした。世代が違うが興味の対象といいものを作ろうという志は一緒。とても楽しかった。

担任の渡辺千明さんと途中経過の会議をした後、クラスで600ページ以上に及ぶ秘密工作員のお爺ちゃん(KOさん)の自伝を代わる代わる朗読して読み進めた。

この頃、奨学金の育英会の審査が通り、月10万円を受け取る(借金)し生活費に充てることになった。この頃バイトもしておらず、貯金を切り崩して生活していた。

「人間研究」の対象者・KOさん(仮名)の自伝を皆で読み進める内にクラスの中で「彼の戦時諜報活動は妄想なのか?」という疑問が湧いてきた。

レジュメを作り、インタビュー内容を確定し、いざ、KOさんのインタビュー。84歳とは思えないほどかくしゃくとしていて、3時間近く話してくれたと思う。本当に面白く意義深い話が聞けた。でも本当なのだろうか?

気分転換にジャック・ニコルソンの「アバウトシュミット」を見る。

ジャック・ニコルソン。
定年退職。妻の死。娘の結婚。孤独。不安な日常。

7時きっかりに目覚めるがやることがない。退職した会社に後任の若造を尋ねるがもちろん居場所もない。

人生で意味ある事は何か、、何も見つからないまま時は過ぎていく。

人生の目標が見つからない時、自分が命終える時、何を思うだろうという視点から想起するといいと言うが、この作品もまた観ながらにしていつのまにか自分の人生を考えている。

自分の心に潜む願望があるのなら、それは必ず挑戦した方がいい。

死ぬ前に後悔するのは目に見えているのだから。

それと今目の前にある幸せをしっかり感受しよう。

分かりきった感慨なのだけど、こういう作品を観ることで普段忘れている、ある感覚を思い出せる。

映画にはそんな力もある。

私はこの映画を見た後、花粉症でぼんやりした頭で死ぬ前に挑戦したいことをノートに書き留めた。

インタビューのテープ起こしをして、「甘粕大尉」を読んだり、「スパイゾルゲ」ドキュメンタリーを見たり、最後のプレゼン資料の構成をマインドマップにしたりしたが、何か足りない。皆で話し合い、我々の素直な疑念「本当に彼の言っていることは妄想ではないのか」という疑念も織り込んで、虚実皮膜のスリリングなところに人間の面白さがあるという視点でまとまった。

虚実皮膜とは、芸は実と虚の境の微妙なところにあること。 事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論だが、 江戸時代、近松門左衛門が唱えたとされる芸術論だ。

その上でKOさんの2回目のインタビューも終えた後に、家族で多摩川沿いをドライブしたり、散歩したり、町田に買い物に行ってリフレッシュした。

映画「二重スパイ」を見る。スパイものって本当に面白い。

劇場で「スパイ・ゾルゲ」を見る。

黒澤明の「生きものの記録」「蜘蛛巣城」「どん底」「隠し砦の三悪人」を見る。

この後、「人間研究」プレゼン用の脚本会議を重ね、スライド順やインタビュー録音の抜粋・編集なども合わせ、プレゼンの全体構成を詰めていく。毎日が皆であーだこーだと話し合う日はとても楽しい。

そしてようやく最終脚本が仕上がり、リハーサルを経て「人間研究」合評会で皆で協力してプレゼンを行い、評判も上々。やり切った満足感の元、魚民と笑兵衛をはしごして皆で打ち上げ。18歳の皆はお酒飲めないけど、担任の渡辺千明さんが飲みまくるので、普段は飲まない私も少々付き合った。

ああ、何だか学生してるな。青春してるな。としみじみ思った。

打ち上げの翌日に慶應の頃に入っていたダンスサークルのパーティがクラブチッタ川崎であった。現役もOBも入り混じって皆踊りまくっていた。OBで同じ時を過ごした仲間と久しぶりに話すと、皆、ビジネスでバリバリ稼いでいるようだった。その翌日にはハーバードに留学する友人のホームパーティだった。がっちり握手してエールを送った。

でも、少し、自分が置いてかれているような一抹の寂しさ。

一人だけ遠くに来てしまったような気がした。

人間研究が終わって数日後、息子が生後9か月となったある日。

息子はテーブルに手をかけ、その後、手を放し、初めて自力で立った。

なんだかとても感動した。

妻と目を合わせた。少し泣きそうだった。

息子は足をプルプルさせながら踏ん張っていた。

足元を見ると畳が禿げかけていた。

そうだ月18万の吉祥寺の新築マンションから、月6万の新百合ヶ丘の築20年の中古アパートに妻と生まれたばかりの息子を連れて引っ越してたんだ。

畳が禿げているのも気がつかず、学校の実習に夢中だった。

やりたいことをやらせてくれてありがとう。

息子は初めて立ったのが嬉しいのか無邪気に満面の笑顔で笑っていた。

妻も本当に嬉しそうだった。

妻にも息子にも申し訳ないような、情けないような、愛おしくもありがたい、感謝の情が溢れ出た。

絶対、成功してやる。

心の奥でそう誓った。







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