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精神疾患の研究と世界で初めて投薬なしで乗り越えたエピソード3 躁状態で細木数子から言われた衝撃の一言からの鬱病再発

1.躁状態で細木数子先生から言われた衝撃の一 
 言から気がついた事
2.鬱病の再発と躁状態を繰り返す日々
3.2015年 Twitterでイスラム国戦闘員と喧嘩
 し統合失調症を発症

1.2013年7月に、興味本位で細木数子の講演会に参加した私ですが
最前列にいた私は細木数子に指さされ
「お前の心は腐っている!」
と衝撃の一言を言われました。
あまりにもショックを受けて狼狽していましたが、講演が進むなかで、色々と人生について学ぶ事がありました。
その中で特に印象的だったのが
「1日24時間ある中で8時間は睡眠にあて8時は労働か勉強をし、残りの8時は遊びなさい。」
という話でした。
人生はこの毎日の積み重ねで、何を学び、いかに働き、いかに遊び、人生を楽しむか。
それがその人の生き方になり、人生は天国にも地獄にもなる。
そして、思うがままに生きられるようになった人は地上楽土をこの世に築ける。

またイメージとして、人の魂は丸くなくてはならない。
今の世の中鬱病の方が多いけれど、魂が欠けている。

講演会の最後に細木数子が私にこう言いました。
「お前、だいぶ態度が変わったね。あと声が良い。それが男だ。良い仕事をしろよ。」

正直、この人は何を言っているんだと思いましたが、この体験は私の人生で最も衝撃を与えました。

講演会の後に、建物の外にある喫煙所でタバコを吸っていると、白塗りのセダンが現れ、スモークのかかった後の窓が開きました。

そこには細木数子がいて、私を何も言わずに見つめていました。私は軽く会釈してよく見ると
彼女は両手に可愛いトイプードルの様な犬を2匹抱えていました。暫くすると窓を閉じそのまま去っていきました。

細木数子先生の印象は正直怖い人としか感じませんでしたが、その光景が今でも脳裏に焼き付いています。

2.それから暫くして躁状態が続いて、活動的な日々が続いていました。お盆休みに家族でグアムに旅行したり、函館の父の実家を訪れ、祖母のお墓参りをしたり、母校の函館ラ・サール高校でお世話になった先生に挨拶にいきました。

しかし2013年10月頃から徐々に調子が悪くなり、またその頃会社で受けた資格試験に落ちてしまった事で鬱病が再発しました。
ある日、会社で仕事をしていると、急に気持ちが悪くなりトイレに駆け込むと吐き気をもよおし、胃の内容物を全て吐き出しました。

気分が最悪で、その時、また鬱病が再発したなと思いました。

それから半年ほど調子の悪い日々が続きました。仕事が終わって家に帰るとそのまま寝る日々。土日の休みも、育児を頑張っている妻を尻目に、寝続けました。

頭が重く、起きていることができない状態でしたが、それでも私は通院せずに
剣道の稽古にはなんとか参加していました。

そんな状態が半年続いた
2014年の4月妻からの要望で家を建てることにしました。
それまで会社の社宅に家族で住んでいましたが、その年家賃手当がなくなる事もあり、また将来子供が増えた場合に家が手狭になる事も考えた末のことでした。
ハウスメーカーを訪れて、新しい家の設計を進めていくうちに徐々に、気持ちが明るくなって元気をまた取り戻していきました。

また、その頃、お祭りで子供が金魚すくいでもらった金魚2匹と、ペットショップで買ったゼニガメ2匹を飼い始めたのですが、
金魚と亀の世話をする日々が、私の心を癒し鬱病が改善していきました。
妻にも
「金魚と亀を飼ってから、あなたの調子が良くなっている」
と言われました。

3.2014年の10月ころ、神奈川にある大手自動車メーカーに、ゲストエンジニアとして、出張することになりました。
自動車メーカーと一緒に安全部品の開発設計に携わり充実した毎日を送っていました。

またその頃、妻が昔オーストラリアに留学していた時の外国人の友達が家に遊びに来て、
年末休みに、一緒に伊豆旅行に出かけたり
上野のアメ横で、海鮮を買って料理して振る舞ったり、とても楽しい日々を過ごしていました。

その頃には、調子もすっかり良くなり、元気を取り戻していました。剣道の稽古も熱が入り、みるみる上達し、剣道を始めて2年で初段審査を受けることになりました。

3.年が明けた2015年1月中旬ころ、車で神奈川の自動車メーカーに出張で移動中、ラジオから衝撃のニュースが飛び込んできました。その頃話題にあがっていたイスラム国(ISIS)に、日本人2人が捕えられ、日本政府に身代金を要求する事件が発生しました。

私は、このことに非常に怒りを感じました。またイスラム国がTwitterで戦闘員を募集している事を知っていた為、Twitter上でイスラム国戦闘員を探し出してどうにか2人を解放できないかと考えました。

すぐにTwitterでイスラム国らしき人物たちと英語でやり取りが始まりました。その頃外資企業でビジネス英語を使っていた私は、

Twitterで日本人2人を解放するようにやり取りをしました。イスラム国は
72時間以内に日本政府が身代金を払わなければ、1人を殺害すると宣言していたため時間がない状態で焦っていました。

仕事終わりに、家に帰っても、Twitterを続け、睡眠時間を削って交渉を続けました。
そんな日が2日過ぎた後、私の一個人の努力も虚しく、一名の日本人がイスラ国に惨殺され、私は酷くショックと、心のそこから怒りが沸いてきました。

Twitterで、怒りをぶつけ、怒り狂った私は、イスラム国に関連すると思しき人物に片っ端から喧嘩を売り続けました。

ある夜、Twitterの画面を見ている時に、急に画面が歪みはじめ、ふとテレビを観ると番組が早送りの様に進み始めました。

異常な興奮状態にあった私は、統合失調症を発症していたのでした。

続きは
エピソード4 統合失調症を発症し、精神病棟への強制連行と、日本の精神医療の実態を知る




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