精神疾患の研究と世界で初めて投薬無しで乗り越えたエピソード1鬱病編

私は、2012年7月に鬱病、2015年の2月に統合失調症、2020年に躁鬱病を発症しました。今までの人生を私なりに研究し、どのように投薬無しで精神疾患を乗り越えてきたか皆様にお伝えしたくて文章に残します。

2008年 国立大学を卒業した私は某外資企業に就職しました。自動車部品のサプライヤーで製品のカスタマーエンジニアとして働きました。

仕事は準備で自動車部品の設計開発を担当して様々な車種の部品を受け持ちました。

2011年に入社当時からお付き合いしていた同僚の女性と結婚しました。そして2012年の1月に妻が懐妊し、とても嬉しい気持ちとこれから仕事を今以上に頑張らないといけない思いが湧いてきました。

2012年の4月から突如、それまでの仕事とは違う製品のチームリーダーを任されました。
全く知らない製品について海外部署と英語でミーティングをしなければならず、かなりプレッシャーがかかる日々でした。また妻は妊娠してから精神的に不安定になり、私が残業で遅くに帰宅すると激しく怒り、早く帰宅して妻に寄り添わなければという思いもかなりのプレッシャーになりました。
6月ころから仕事が手につかなくなり、また食欲不振や睡眠障害に悩まされて、日に日に元気がなくなっていきました。

8月のお盆休みの前には、毎日会社に行っては、イントラネットを眺める日々で全く仕事が出来ない状態でした。また、妻の出産予定日が10月に迫る中、育児休暇を取得するように言われ、上司に相談しましたが、育休を男が取るのは前代未聞と反対されました。このことも
私にとって大変なストレスとなっていたと思います。

お盆休みに北海道実家の帰省した際、全く生気が無く、布団で寝てばかりいる私に両親は驚きました。妻の母親に、私の母親が電話して事情を聞きましたが、相手方を怒らせてしまいました。

お盆休みが終わり関東に戻って出社しましたが、全く元気が出ず会社では何もできない日々が続きました。9月に入り、妻も出産に備えて
育児休暇に入る直前の事でした。
ある夜、私が育休を取得できないことについて妻に酷く言われ、またヒステリックに暴れて私は酷く落ち込みました。その夜は眠りにつき次の日起きた瞬間に目の前が真っ暗になり、頭の中に鉛を詰め込まれた様に重く思考回路が死んでしまったかの様に何も考えられなくなりました。
異変を感じた私は妻に
もう会社にいけない、心療内科に連れて行って欲しいと頼みました。

会社の上司に連絡し、調子が悪いので当分休ませて欲しいと言いました。

上司は驚き、何で休むんだ!会社に来いと言いましたが、私はそれどころではなく、その日は会社を休み、妻とつくば市内の心療内科に行きました。

初めて心療内科内科に入った瞬間、他にも来院していた患者さんがいたのですが、雰囲気が暗くて重い感じがしたのを覚えています。

女の先生に話を聞いてもらい、それまでの経緯と、仕事が手につかない事、考えがまとまらない事を伝えると鬱病の診断がくだされました。


その際、私の妻は
良かった、病気だったから私の相手もしてくれず、悩みも聞いてくれなかったんだ。

と泣きながら言いました。
その時に、何故か怒りが沸いてきて、
俺が、鬱病になった事が良かったとは、何だと思ってるんだ。妻が育児休暇を取れとか残業するなとか飲み会に行くなとか、少なくともストレスを与えていたのはお前じゃないかと言う気持ちになりました。

その瞬間、鬱病になった事が、心底バカらしくなり
女医の先生に
私は、薬を飲みません。投薬なしでお願いします
と頼みました。
先生は驚きましたが、週3回のワークショップに参加する事を条件に認めてくれました。

鬱病の診断書を書いてもらい、会社に提出し9月の上旬から休職しました。
また時を同じくし、妻も出産の為、休職しました。

休暇して最初のうちは病院に通い、同じ鬱病患者と話しをしたり、運動をしたり、塗り絵をしたりして過ごしました。

調子は全く良くなく気持ちが沈んでいるとともに酷い頭痛で全く何も考えられない日々が続きました。
その頃には酷く自殺願望に襲われ、どうにかして死ねないかと考える日々でした。

妻のいない間、風呂場で包丁を首に当てて死のうと数時間後過ごした日もありました。

しかしながらどうしても死ね事ができず、また死ぬ事に対して大変な恐怖を覚えて、こんな怖い思いをするくらいなら、鬱病を克服して生きてやろうという気持ちになりました。

9月の下旬に妻が出産の為、実家の群馬に帰省しました。

マンションに1人になった私は、鬱病でまともに思考できない頭で自炊し、病院に通っていました。

ある夜、会社の同期2人が、私のマンションにお見舞いに来てくれました。
2人はツーリング仲間でもあり、私も大型バイクを所有していたため、一緒成田空港に航空機を見に出かけました。
気持ちは全く浮かない状態でしたが、久しぶりの仲間とのツーリングを楽しみました。

マンションに帰ってきて、3人ともバイクをエントランス前に停め、部屋でゆっくりしてから改めてエントランスに出ると

私のバイクだけ盗まれて無くなっていました。
泣きっ面に蜂とは正にこの事で
私は酷く落ち込み、次の日に何もかも投げ捨てたい気持ちで、1人北海道の実家に帰省しました。

妻からは子供のエコー写真がメールで送られてきて、嬉しい気持ちもありましたが、無事に産まれてきてくれるか不安な気持ちもありました。

実家近くの心療内科を受診して、薬を出してもらい初めて薬を飲む事にしました。

それまで頭が鉛のように重く、ゆっくり眠ることが出来なかった私は、薬を飲んだ途端に深い眠りに落ち、半年ぶりに休むことができました。


それから2週間ほど北海道で過ごし、心療内科で、復職できるよう診断書を書いてもらいました。
医師は、まだ休職期間が短いからもう少しゆっくり治療してから復職したほうが良いと言いましたが、私は何としても子供が産まれる前に復職したいと頼み、何とか聞き入れてもらいました。

つくば市に戻ってからは薬を一切飲まずに復職しました。10月中旬に復帰し、休んでいた40日間は溜まっていた有給休暇をあてました。

10月下旬に男の子が産まれました。

この子の為にも鬱を必ず克服すると決意し、服薬せずに仕事に復帰しました。

復帰した部署は入社当時の慣れ親しんだ仕事だった為、順調に進める事ができました。

気持ちの浮き沈みがあるものの、半年後には通院もせず、調子の良い日々が続き、鬱病を一旦克服したと思いました。

この後、気持ちの浮き沈みが激しくなり
2015年に統合失調症を発症

鬱病を克服した後の過去な試練が待ち受けていた。エピソード2 躁状態からの統合失調症編
へ続く^_^

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