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神々が生んだ狂乱

前回は、死んだ妻を蘇らせるために冥界へと侵入したオルフェウスは、冥界の王との約束を果たせなかったため、妻を取り戻せなかったという切なくて悲しい神話のお話でした。そこから現代の土台となる物質的哲学が誕生したということでしたね。

それでは、今回は反転させて信仰的な面を見ていこうと思います。

実は、オルフェウス神話には続きがあります。
妻を取り戻せずに冥界から地上に帰ったオルフェウスは、妻を取り戻せなかったことをひどく後悔して禁欲的な生活を送りながらオルフェウス教を布教しはじめます。しかし、ギリシャ人のオルフェウスは太陽神を崇拝したためにすでにギリシアにいた別の神によってトラキアという地域にいたたちに引き裂かれて殺される結末を迎えます。

すでにギリシアにいた神とは何者なのか?



デュオニソス神

ヘロドトスによるとギリシアで最も古い神はデュオニソス神として記録されています。オルフェウスはこのデュオニソス神によって殺されることになりました。歴史家の間では、今までは前700年ごろギリシア本土に入ってきた外来宗教と見なされることが通説でしたが、最近では線文字Bの解読により、ミケーネ時代(前1600年ごろ)の文書の中にはすでに存在していたとされています。

デュオニソス信仰の秘儀は、
狂乱的秘儀オルギア
神は引き裂かれ、動物のように食べられる。
②幼児の誕生と神の死

の二つの要素があります。

①の狂乱的秘儀では、バラバラに引き裂かれた神の肉による食事を神聖な食事としました。若い犠牲獣を八つ裂きにして生で食べる行為が儀式化されています。この儀式は考古学者であるニルソンによるとオルフェウスを引き裂いた女たちがいたトラキア起源とされています。
儀式は、陶酔神秘的舞踊葡萄酒によって信徒たちを催眠状態にさせ、その狂乱的興奮の極致で行われました。時期は真冬です。
この儀式の様子は、教父たちの記述によって書き残されています。

デュオニソスの秘儀の信徒たちは、狂乱したデュオニソスを祝して儀式を行う。彼らは、生肉を食べることによって神の狂乱を祝う。彼らの祭司の最終目的は、屠殺した犠牲獣の肉の分配である。彼らはの王冠を頂き、によってこの世に罪が始まったとされるエヴァの名を叫ぶ。そして彼らのオルギアの象徴は、神に捧げられた蛇である。

さらにクレタ人たちの異様な慣習についても言及されています。

クレタ人は正確に、幼児が行ったり被ったりしたことすべてを執り行う一定の儀式によって幼児の死を祝った。(中略)彼らは一頭の生きている雄牛歯で八つ裂きにする。そして森の秘密の場所を徘徊して、耳障りな叫び声をあげ、泣き叫ぶことによって激しく興奮した狂気のふりをしている。

アリストファネスの時代までには中止されていた可能性もありますが、秘儀に参加して食べるという人々は、古代アテナイではかなり有名でした。

生肉を食べなくなっても、神聖な肉を食べるという儀式は後の時代に残ることになります。ギリシャ世界の多くの場所で行われていたディオニュソス神の秘儀では、参加者たちは夜通し熱狂的な祝祭の中で酒を飲みながら踊り狂いました。この行為は、神の力を甘受したいという期待から生じたことからであり、人が人であることを止め、自分自身の外に出て神の内に入ることを意味します。

②の幼児の誕生と神の死については、デュオニソス神は神話上で様々な過程がありますが、童神の頃の幼児を指します。もみ殻から誕生する幼児の概念は穀物農業と結びつきます。草木の精霊は毎年生まれ、死んでゆくべきものです。草木の概念は、フリギュアの春の祭りに起源を持つこと、デュオニソスの別名バッコスはリディア語の名前があり、フリギュア人リディア人の文化から借用されたと推察されます。さらに遡るとミノア宗教の中にもあったことが示唆されます。つまり、この概念もまた外来的宗教によるものということです。


クノッソス宮殿(ミノア文明)

しかし、それでもオルフェウス神太陽神を崇拝したからといってデュオニソスによって殺されてしまう理由はいったい何故だったのでしょうか?

これには、オルフェウス教もまたデュオニソス教のほとんどの内容を真似ていたことによります。黒海北岸のギリシアの植民地オルビアで発見されたオルビアの骨板は、オルフェウス教からディオニュソス神への呼びかけと思われる碑文があり、オルフェウス教におけるディオニュソス的要素の重要性を強調しています。
オルフェウス教ができたことにより、オルフェウスが主神とされ、先ほど説明しましたデュオニソス信仰①と②の要素を加えて第二の幼神デュオニソス・ザグレウスが誕生します。

引き裂かれる幼児

ギリシャ神話の最高神ゼウスは恋多き神で描かれ、様々な神との間に子どもを作りました。そのうちのザグレウス・デュオニソス童神への溺愛からゼウスはデュオニソス神を宇宙の支配者にしようしたところ、タイタン巨人(titan)たちはこれに反対し、少年を八つ裂きして食い殺してしまいました。都市の守護女神であるアテナザグレウス・デュオニソスの心臓を救ってゼウスに与えました。ゼウスは心臓を飲み込み、そこで生まれたのが二代目ディオニュソス・ザグレウスです。

この八つ裂きにしている光景をほぼ完全に近い形で表現したのはアレクサンドリア神学者クレメンスです。

デュオニソスの秘儀は全く残酷なものである。彼はまだ幼児であったが、その周囲を精霊たちは腕を組んで踊り回った。その時、巨人たちはこっそり幼児に近づき、最初におもちゃで誘惑してからバラバラに引き裂いた。(中略)そして、巨人たちは細切れにした幼児の肉三脚の上に鍋を置いて、体の断片を鍋の中に入れ、煮込んだあとにさしての上にかざした。

なかなかグロテスクな光景ですね😅
デュオニソス神を降下させて自ら主神オルフェウス神も、同じ殺され方をする結末になるとは、これもまた力を得たことによる代償だったのでしょうか。まるで呪いのようにも見えてきます。
ちなみにtitan巨人という言葉は、 teíno(張り詰める)tiaíno(teínoの叙事詩形:緊張させる)に由来します。
デュオニソス神はあらゆる緊張の原因であり、ティタン族全ての原因であって原理でもあります。デュオニソスが引き裂かれる場面は、エジプト神話でテュポンがオシリスに対して引き裂いた内容にも類似しています。


さらに最終的にはゼウスは雷でタイタンを滅します。タイタンの灰から人類が生まれ、彼らは神の部分(ディオニュソス)悪の部分(タイタン)を併せ持っていました。このディオニュソスとタイタンの二面性は、オルフェウス主義において重要な役割を果たしています。オルフェウス主義は魂の神的起源を肯定していますが、魂はそのタイタン的悪の継承から解放され、オルフェウスの秘儀に入ることによって永遠の至福を得ることができると信じられてきました。

神と繋がること

心理学者であるユング(1875年7月26日 - 1961年6月6日)の見解を参考にすると、オルフェウス教を、個人の精神の中にある相反するものを調和させる試みと解釈できるようです。超越と精神的解放を求める人間の深い精神性とし、オルフェウス主義は神とのつながりを求める集団的な結束の表れであり、自己と宇宙をより深く理解したいという人間の生来の切望を反映しているとユングは考えています。
彼は著書『心理学と錬金術』の中で、「オルフェウス教グノーシス的色彩の強い宗教心理学であり、人生を意味のある全体性として説明しようとする哲学的・宗教的努力の総体である」と述べ、オルフェウス教の伝統を、精神の意識的側面と無意識的側面の間のギャップを埋めることを目的とした、統一性と全体性の探求としました。
『原型と集合的無意識』(1934-1954年)の中では、オルフェウスの旅は自己発見と変容の過程であり、個人が無意識と向き合って自己を統合オルフェウスが冥界に下る過程は、旅を通じて個人の成長と精神的な成長を求める探求を成し遂げているという意味で、ユングの心理学における個性化の過程と呼応しています。

ユング

エジプト

デュオニソス教を真似たオルフェウス教神秘的な儀式黄泉の国での体験に関するほとんどの内容は、もともとエジプト由来とも言われています。冥界の神オシリスの儀式ディオニュソスの儀式と同じであり、エジプトの女神イシスの儀式ギリシャの穀物神デーメテールの儀式と非常によく似ているからです。そして、エジプトのオシリス神もまたバラバラに八つ裂きにされる運命を持っています。

ここからは少しエジプトとギリシャの習合を見ていこうと思います。

19世紀後半にエジプトのグロブで発見されたパピルス古代文書は、オルフェウス主義の実践に関連する魔術的呪文宗教的賛歌を集めたものでした。このパピルス古代文書は、オルフェウス教の神秘的な側面を解明する上で重要な役割を果たし、オルフェウス教の秘儀に関連する儀式信仰に焦点を当てています。

古代ギリシアのオルフェウス教的なカルトを調べると、ピタゴラスやプラトンの|「ソーマ・セーマ」《肉体は墓場である》の根本的な教えは、実際にはもっと古くファラオ時代のエジプトの神秘主義に見出すことができます。

ファラオは戴冠式に聖別を受け、その中で神々と密接な接触を持つとされていました。 古代エジプトの葬儀に関する文書には、ドゥアト(冥界)に関する秘密の知識が記され、亡くなった魂が楽園的な死後の世界に行くことができると信じられていました。 ヤン・アスマン(Jan Assmann)のような一部のエジプト学者は、葬儀の文書司祭の聖別儀式にも使用されたと主張しています。

古典学者のウォルター・バーカートとエジプト学者のフランチェスコ・ティラドリッティは、最古の神秘儀式はギリシアがエジプト文化とより緊密な接触を深めていたのと同時期の紀元前7世紀から6世紀にかけて発展したものであり、これらの主張には一面の真実があると主張しています。そのため、これらの秘儀と共通するような世界中の死後のイメージさえも、エジプトの死後の信仰の影響を受けていた可能性があります。

実際にギリシアとエジプトの習合は他にも見られます。ギリシア語の神名で、トリスメギストスはすなわち非常に偉大なヘルメス神を意味し、ヘルメス神は、ヘレニズム時代によくみられる混交宗教型の神で、ギリシア神話とエジプト神話が習合して生まれました。

ヘルメス神信仰占星術、錬金術、神智学を含む神秘主義が軸となっています。そのヘルメス神の後を継いでいるのもオルフェウス教であり、アグラオフェムスオルフェウス主義の宗教的密儀を伝授し、次にその教えを継承したのはピタゴラス(前570頃―前496頃)でした。このピタゴラスの弟子がプラトンの師のフィロラオス(前470頃)です。このようにヘルメス神に始まりプラトン(前427―前347)において最高に達する「原始神学」の系譜が想定されました。”

カゾーボン(1559年―1614年)の神秘主義的なヘルメス主義の名で流布している著作が世に知れ渡った後でも、ヘルメス主義の流れは途絶えませんでした。それはイギリスのケンブリッジ学派、ボーンのような形而上派詩人、薔薇(ばら)十字団運動、フリーメーソン、そしてヤーコプ・ベーメ スウェーデンボリなど、さらにはロマン主義の芸術運動にまで影響を与え続けています。

なんと、現代に至るまでしっかりと引き継がれてるようなんですね~。古代と繋がっていると考えるとなんともスケールが大きいですね😀

ところで前回フリーメイソンにおける「T」の謎について少し触れましたが、フリーメイソンはとくに「T」と「H」が合わさったトリプルティーを重要視してたようです。

下段がトリプルティー


「T」と「H」の意味が個人的に気なっているんですが、3の数字から考えるとヘルメス・トリスメギトスかもしれませんね。もしくは、ティラニアン・エルサレムかなと思っていますが、このあたりもまた機会があれば記事にしようかと思います😀

宜しければ前回のフリーメイソンの記事もご参照ください🙇


具体的にピタゴラスたちの影響を見ていきたいところですが、もう少しエジプトに関して深堀していこうと思います。

イシスの秘儀


イシス神

イシスの秘儀は、ギリシア・ローマ世界におけるエジプトの女神イシス崇拝で行われた宗教的な入信儀礼です。エジプトにもイシス神という神がいて、ギリシアにもイシス神がいました。イシスはギリシア・ローマ世界全域で崇拝されていましたが、秘儀はごく一部の地域でしか行われていなかったことが知られています。儀式が行われていた地域では、多神教を認めたはいたものの、信者のイシス崇拝への契約を強いる役割を果たしていました。儀式の内容は、女神の助けによって入信者の魂が死後も至福の死後の世界へと続くことを約束されることが信じられていたのではないかと考えられています。

イシスの神殿の最奥部に入る前に、信者たちは入念な儀式による洗礼を受け、そこで死と再生の狭間を漂いながら、神々と直に会うという強烈な宗教的体験をすることが特徴のようです。

イシスはもともと古代エジプトの宗教における女神であり、ギリシャ風の秘儀は含まれていませんでしたが、後のギリシャの秘儀に類似した要素を含んでいました。

エジプトの神殿における最も神聖な儀式は、人目に触れることなく高位の神官によって執り行われ、祭りは一般人が参加する正式な儀式でした。 祭りの中では、エジプト神話を再現したものもあり、特に死後の世界の神でありイシスの神話上の夫でもあるオシリスを祀るコイヤック祭では、オシリスの神話上の死、体を八つ裂きにされた死の結末と生への復活が演じられました。ギリシアの歴史家ヘロドトスコイヤックの祭りを使ってディオニュソスの秘儀になぞらえていると記述しています。

ヘレニズム時代(前323-前30年)には、ギリシャの人々と文化が地中海全域の土地に広がり、ほとんどがローマ共和国によって征服されました。 このタイミングでギリシア・ローマの伝統の影響からイシス神を含むこれらのカルトは独自の秘儀へと発展します。

ビチュニアのプルサ出土の碑文には、他の儀式的な要素の可能性もありますが、メニケテスという名のイシスの祭司が儀式の際に禁じられたベッド(リネンで覆われた寝台)を提供していたことが記されていて、それが何らかの形で秘儀と関連していたことが示唆されています。儀式と古代のカルトを専門とするスイスの歴史家ブルカートは、これらのベッドがイシスオシリスの結婚に関連する何らかの儀式に関与していたと考えているようです。

ローマ帝国時代の多くの文献がイシスの秘儀に言及していますが、それを記述した唯一の資料は、アプレイウスが紀元2世紀に書いた小説『黄金の驢馬』です。魔術に興味を抱いた主人公ルキウスが誤ってロバに変えられ、数多の不思議な試練に堪えた後、イシスの密儀によって再び人間の姿に戻るという内容となっています。

小説は第11巻と最終巻で構成され、ロバになったルシウスはギリシャのチェンクレアエの浜辺で眠りに落ちた後、満月を見て目を覚まして月に祈りを捧げ、ギリシア・ローマ世界で知られる複数の月の女神の名前を用いて、自分を人間の姿に戻れるよう神頼みをします。イシスはルシウスの前に姿を現し、自らを最も偉大な女神であると宣言します。そして、自分の栄誉を称える祭りを開催することを指示し祭りで並ぶ人々がバラの花輪を携え、それをルシウス食べれば人間の姿に戻れることを告げます。祭りの大祭司は、ルシウスが人間に戻れれば、ルシウスは女神によって不幸から救われ、彼が経験した多くの不運な出来事を引き寄せた自己中心的な性格からも解放されるとも言いました。
ルシウスはこれを信じて地元のイシス神殿に入り、彼女の熱心な信者となって最終的に通過儀礼を受けます。

小説によると、誰がいつ通過儀礼を受けるべきかを決定するのらイシス神だけでした。 アプレイウスと同時代のギリシアの作家であるパウサニアスは、ティソレアにあるイシスの祠で行われるイシスの祭りに参加するためには、イシスが信奉者たちに直接命令すると考えられていて、イシスが夢で招かなければ誰も参加することが許されなかったとも述べていています、またイシスの祭司たちは、イシスに召使になるように呼ばれたと記している碑文によって裏付けられています。 アプレウスの記述では、儀式を受けるために入信者が神殿に支払わなければならない拝観料も女神によって決められています。
さらに通過儀礼の事前に、ルシウスは一連の儀式的な清めを受けなければいけません。司祭はルシウスを入浴させ、彼に代わって神々に許しを請い、水をかけます。この過去の罪の告白と悔い改めは、イシス教団に関する他の多くの資料に見られる、貞節自己否定の強調と一致しています。次に通過儀礼が始まる前に肉とワインを断ちながら10日間待つ必要があります。浄化のための入浴は、ギリシア・ローマ世界の多くの儀式が一般的でした。赦しの嘆願はエジプトの司祭が自らに不義がないことを宣言する誓いを立てることを義務づけられていたことに由来しているのかもしれません。水をかけることと特定の食物を控えることは、おそらくエジプトの司祭が神殿に入る前に受けなければならなかった清めの儀式に由来しています。 10日目の夕方には、ルシウスはイシスの信者仲間から様々な不特定の贈り物を受け取るために清潔な麻の衣を身にまとって神殿の最深部に入ります。

このようにして、祭り形式的な儀式が完成しました。


エレウシヌスの秘儀

ギリシア・ローマ時代の秘儀になるとより自発的な入信秘儀式になっていきます。 特定の神または神のグループに捧げられ、夜の暗闇の中で明るい光を掲げ、大音量の音楽や騒音など、さまざまな強烈な体験をすることで、意識障害や強烈な宗教的体験を引き起こすものになりました。その中には暗号のようなシンボルを使ったものもあったようです。ギリシャ世界で最も権威のある秘儀は、地母神であり穀物神でもある女神デメーテールに捧げられたエレウシヌスの秘儀でした。少なくとも紀元前6世紀から紀元後4世紀末までアテネ近郊のエレウシスで行われていたようです。エレウシスの入門者たちは、暗いホールであるテレステリオンに入ると、松明で明るく照らされた部屋で恐ろしい光景にさらされたとあります。

テレステリオン

そこで儀式を司るヒエロファントは、プルートス神の誕生を暗示していると思われる謎めいた言葉を叫び、小麦の束など、デメーテールの豊穣の力を象徴する品々をお供えしました。というのも、当時は麻薬を使用した秘儀が一般的だったようです。デメーテールの場合は、大麦やライ麦に寄生する麦角菌が使用されていました。これにミントなどを入れてキュケオンと呼ばれる飲み物として体に取り入れるとLSDに似た向精神薬としての幻覚作用が出てきます。しかし、幻覚作用だけでなく人体にも悪影響があります。中世ヨーロッパでは麦角菌感染によって神経系には手足には燃えるような感覚があり、循環器系に対しては、血管収縮を引き起こして手足は壊死。脳の血流が不足することで精神異常、痙攣、意識不明、さらにに至ることもあり、子宮収縮による流産なども起こりました。

麦角菌

また、クレタ島ではアヘンが生産されていたことは間違いないのですが、デメーテール神の信仰はクレタ島からエレウシスに麻薬のケシの栽培をもたらしたとして、ケシから採取されるオピオイドが密儀に用いられた可能性もあります。

・・・なんと、覚醒剤というものは、もともとはカルト信仰からはじまったものだったんですね😲そう考えると当時の人々がどのように信仰していたのかイメージしやすいかと思いますが、この記事で最初に紹介しましたデュオニソス神もまブドウ酒と酩酊の神でもありました。酒や薬で酔いしれる感覚は当時の人々にとっては自我を忘れて神との繋がることと同等と見なされたということでしょう。

よって、当時の民衆たちは儀式の全ての意味を理解してはいませんでした。イシス神からデュオニソス神を経てオルフェウス神のまばゆい輝きに惑わされ、神々の真実誠実さに対する好意的な考えによって宗教的儀式を行うようになったようです。そして、オルフェウス神がギリシア人であることがいっそう新しい宗教を容易に受け入れさせました。

学問への発達

ギリシャの歴史家パウサニアスによると、知識グノーシス派と精神的な悟りを求める人々は、オルフェウス主義によって設立された神秘学校の入門者となっていました。これらの学校は、儀式魔術を教え、神の領域の謎を解き明かし、肉体への治癒神の怒りを避けるための薬草療法の知恵を伝授することに専念していました。

神々を喜ばせ、神々の寵愛を受けるような高潔な生活を送ることができるように、男女ともにこれらの学校に大勢が集まり、浄化と穢れた行いの赦しを求めたと記しています。確かなことは、オルフェウス教はギリシア、クレタ島、フリーメーソンの歴史に消えない足跡を残し、その影響は古典文学と現代文学の両方において、過去2,500年以上にわたって持続しているということになります。

彼らの教えと神話的伝記は、死、再生、魂の救済をテーマとする哲学と秘教を中心としたいくつかの通過儀礼的なカルトの基礎となりました。彼らはオルフェウス神話の伝説上の人物からインスピレーションを得て、信者たちに精神的な導きと悟りを与え続けました。

儀式には、浄化、犠牲祭、儀式的な食事や飲み物の摂取がしばしば含まれていました。この信仰体系は、生と死のサイクルからの解放に希望を与えるもので、究極の目的は魂と神との融合です。魂の神格化に至る人間の進化オルフェウス秘儀の源流であると考えられています。オルフェウス神はすべての秘儀の創始者として知られ、その教えはある種の秘密性をもっていました。

オルフェウスが亡き妻を生者の世界に連れ戻そうと、決死の覚悟に降り立った愛と献身の物語は、プラトン『シンポジウム』にも登場し、オルフェウスの死そのものに立ち向かう決意を抱きながら黄泉の国へと向かう旅が描かれています。また、プラトン『法学』第8巻にも、オルフェウス賛歌が言及されていて、プラトンは対話篇の中で、社会における音楽と賛美歌の役割を含め、さまざまな宗教的・哲学的問題を論じています。紀元2世紀のギリシャの旅行家であり地理学者であるパウサニアスもこれらの賛美歌に言及しています。

プラトンの師であるピタゴラスピタゴラス派たちの教えも、オルフェウス主義として知られる宗教的・哲学的体系が、彼ら自身の思想に大きな影響を与えたことがよくわかります。彼らはオルフェウス主義と同様、数学、音楽、哲学、神秘主義への貢献は歴史的にも有名です。オルフェウス主義に見られるように、ピタゴラス魂の転生に関するオルフェウス主義の信念を受け入れて、魂は永遠であり、循環的な再生の過程を経ると主張しました。彼は肉体を不滅の魂の一時的な器とみなし、輪廻のサイクルから魂を解放するために道徳的・知的に発達することの重要性を強調します。

19世紀のイギリスの作家で新プラトン主義の古典主義者であったトーマス・テイラーはこう書いてもいます。

「本論文の前の部分で、我々はオルフェウス神学に関するすべての情報をプラトン主義者の著作から得るべきだと主張した。なぜなら、この崇高な神学はオルフェウスからピタゴラスへ、そしてピタゴラスからプラトンへと受け継がれたからである。

「ティメウスは(プロクロスによれば)ピタゴラス派であり、ピタゴラスの原理に従っている。スィダスによれば、アテネのプラトンアカデミーの長であったシリアヌス『オルフェウス、ピュタゴラス、プラトンの調和』という本を書いた。
オリジナルのピタゴラス派は、不滅の魂への信仰を中心とする宗教を、彼らの科学的追求と融合させた。

シリアヌスの著書はあまり残っていないようですが、プラトン主義形而上学体系を拡張させた人物として哲学史上重要な人物でもあります。

プラトン

プラトンの哲学について見ていきたいと思います。
プラトンは『諸法則』における言及からわかるように、古代の格言、つまり明らかにオルフェウス主義の教義を、不滅の宗教的真理の核を持つ寓話とみなしていました。しかし、『共和国』第二巻における不道徳な神話と宗教に対する容赦ない批判からもわかるように、このプラトンの批判はホメロスよりもオルフェウスに向けられたものです。

古代の言説、とりわけオルフェウス主義に対するプラトンの見方は複雑でした。一方では、時代を超越した宗教的真理の核心が含まれてもいて、しばしば寓話の形で覆い隠されていることも認めています。著作『諸法則』には、プラトンがこれらの古代の教えに価値を見出していたことが示唆されています。

プラトンの生涯と著作の著名な研究者であるオーギュスト・ディエスは、オルフェウス主義の思想がプラトンの哲学に影響を与えたことを認めてはいますが、同時にプラトンの思想の独創性も認めています。ディエスは、プラトンはオルフェウス教の宗教的、通過儀礼的教義を哲学的完全性の追求に移し替えたと主張しました。この視点はアルベルト・ベルナベという学者にも受け継がれ、プラトンはオルフィズム主義的宗教慣行を哲学的生活に置き換え、通過儀礼の権利や浄化の代わりに道徳的義務や哲学的完全性を強調したと指摘し、「転置」の理論をさらに発展させたと言います。

哲学史家のジョヴァンニ・レアレは、プラトンだけでなく、ピタゴラス、ヘラクレイトス、エンペドクレスといった他の影響力のある哲学者を理解する上で、オルフェウス主義の重要性を強調しています。レアレによれば、オルフェウス主義は彼らの哲学的思想を形成する上で重要な役割を果たしたといいます。

プラトンの『オルフィカ』では、神話上の人物オルフェウスに起因する秘教的な宗教的伝統であるオルフェウス主義についての洞察を提供する古代文書を編集した『オルフィコルム・フラグメンタ』の中で重要な役割を果たしています。

プラトンの対話「パイドロス」の中でも、彼はオルフェウス主義の伝統にインスパイアされた神話が提示されてもいます。対話の中でプラトンは、転生と審判のサイクルを経る魂の旅という概念について論じていて、この考え方は、魂の転生に関するエジプトとオルフェウス教の教え、そして魂の不滅と超越的な領域との合一を切望するプラトンの信念と類似しています。

魂のソーマ「身体/墓」の意味も囚人であるというオルフェウスの信仰とともに、グノーシス主義に共鳴する教えを暗示されるようなりました。「sōma」の語源は、プラトンは肉体が魂の器であると同時に、閉じこめられた墓の役割も果たしていることを示唆しています。この対話は、物質的な領域における魂の囚われという概念についての洞察する機会を与え、後の哲学的・宗教的運動におけるオルフェウス主義の思想やグノーシス思想への影響、キリスト教を含む古代の知恵の伝統間の広範な対話を浮き彫りにしました。

しかし、プラトンの著作におけるオルフェウス教の描写は、賞賛と批判が混在していることに注意する必要があります。プラトンはまた、オルフェウスの信仰と実践のある側面について結論を出さずに保留を表明しているからです。

プラトンは『共和国』において、不道徳な神話や宗教的慣習を痛烈に批判していて、その主な標的はホメロスよりもオルフェウスでした。このことは、プラトンがオルフェウス教をはじめた頃は、オルフェウス信仰は衰退し、その信奉者たちは「恩赦」や「免罪符」といった低俗な商業的売買に手を染めるようになっていたと考えていたことを示しています。さらに『共和国』では、オルフェウス主義の伝統に関わる神官たちを批判する対話があります。この章でプラトンは、オルフェウス主義の伝統としばしば結びつけられる芸術の一形態である詩について論じています。これらの神官たちは知識の商業化に従事し、オルフェウス主義の書物の販売を通じて多くの人々を誘惑しました。詩人の影響力と、市民の心を惑わし堕落させる可能性が懸念され、旅するオルフェウスの神官たちを含む詩人たちは、しばしば感情的なアピールやレトリックに頼り、真の知識や理解を提供することなく、聴衆を操り動揺させています。特にオルフェウス教は、人々の知恵への渇望を利用し、真の知識の追求を損なっただらしない人間たちという、より広範な問題が浮き彫りになりました。こうした神官たちや、秘教的な教えに対する彼らの権威とされるものに対するプラトンの懐疑論は、外部の権威に頼るのではなく、理性によって真理を求めるというプラトンの哲学的信念を反映しています。

金銭的な利益のために精神的・霊的な搾取を行うこの古代の習慣は、何も目新しいものではありません。現在でもあらゆる宗教、秘密結社、さらには無神論者の組織の歴史を通して見ることができます。これも全てカルト信仰とともに商業的に受け継がれてきたということです。

ソクラテス

ソクラテスもオルフェウス主義に言及しています。『パイドロス』では、ソクラテスの魂の不滅性はオルフェウス主義に沿って論じられています。
少しだけ内容を見てみましょう。

神から授かる「狂気」が善いものである証拠として、第1に、デルポイドードーネーシビュラなどの神託や予言は、「狂気」(神がかり)によってもらたらされ、国家にも個人にも役立ってきた。(アポローンによる予言の霊感)
第2に、かつて先祖の罪の祟りによって、疾病・災厄に襲われた氏族があった時、神に憑かれ「狂気」が宿った者が、神々への祈願・奉仕によって罪を浄める儀式を探り当て、救ったことがあった。(ディオニュソスによる秘儀の霊感)
第3に、ムーサがもたらす「狂気」(神がかり)は、様々な詩に情を盛り込み、古人の業績を言葉で飾り、後世の人々の心の糧になる。正気のまま技巧だけで立派な詩人になろうとしても、うまくいかない。(ムーサによる詩的霊感)このように神から授かる「狂気」は偉大な善きものを生み出す。

デュオニソス信仰やデーメテール信仰に見られた『狂気』が思い出されますね。同様に『ゴルギアス』でも、ソクラテスは修辞学の本質とその道徳的意味を論じる際に、オルフェウス主義に関して言及しています。

ヘラクレイトス

ソクラテス以前の著名な哲学者であるヘラクレイトスもまた、その哲学的考察の中にオルフェウス主義の影響の痕跡を残していました。秩序と変化の普遍的原理としての「ロゴス」という彼の概念は、神の組織化力というオルフェウス的概念と類似しています。ヘラクレイトスが強調した現実のはかない性質と存在の循環的な性質は、何度も輪廻転生を繰り返す魂の旅というオルフェウス主義の考え方と共鳴しています。





ゴールド・タブレット、ダーヴェニ・パピルス、グロブ・パピルス、オルビアの骨板を含む現代の考古学的発見は、オルフェウス主義に対する我々の理解を大きく変え、学者たちの間で活発な議論を巻き起こしてきました。オルフェウス主義の伝統に関連する最古の遺物のひとつと考えられているこれらの遺物は、古代の宗教的・哲学的実践に関する貴重な洞察をもたらします。例えば、テッサリアクレタ島など様々な場所で金のタブレットが発掘され、古代ギリシャ語で書かれた碑文が含まれています。これらの石版は死者とともに埋葬されて、オルフェウス主義の信仰に従って死後の世界へのガイドの役割を果たしたと考えられています。石版には、にとって好ましい旅を保証する儀礼の指示や儀式が記されています。



されどカルト、たかが宗教、自分だったらそんな詐欺的な内容に騙されるはずがないと思われるかもしれませんが、物質的な資本主義社会を構成させた背景にカルト信仰があったことは驚くべきことだと思います。


カルト信仰に基づいていたからこそ発展したと考えるなら、それもまた神の偉大なる力だったのでしょうか。

神社参拝、厄払いや祈祷、お寺の先祖供養や葬式、お経なども神聖な雰囲気に魅了されて参加してしまうなんてこともあるかと思います。まぁもともと日本でも大麻は神事で使われていたものですからね。

大麻が神道の中で神の象徴であるという例の一つに、伊勢神宮のお札がある。このお札は「神宮大麻」という名で、現在は紙のお札であるが、その昔は大麻草が使用されていた
大正五年に神宮奉斎会本部が発行した『神宮大麻と国民性』によると、「大麻は之を仰ぎ崇敬の念を致すべき御神徳の標章」であるとされている。また、家庭においても大麻を奉安し、朝夕家族で拝むことは、子供たちの教育上も多大な効果があるとしている

お祭りも大音量で高揚感もありますし、お酒が使われることもしばしば。
子どもから大人まで欠かせない伝統だと思います。

そう考えると今も昔とあまり変わらないのかもしれません。

灘のけんか祭りのヤッサ屋台


長岡祭り



今回も長くなってしまいましたが、プラトンやソクラテスまで入れないと現実感が湧かなくて、どうしても省けませんでした😓
今日も貴重なお時間を使って最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました😊お陰様で無事、今回も記事にすることができました。懲りずに引き続きお付き合い頂けると嬉しいです。

それでは、またお会いしましょう✋✨


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