いっせ
長崎原爆の資料が段ボールに1箱分ある。当時原爆とSFを織り交ぜたマンガを描いていた。長崎出身の編集者から不快だと伝えられた。お蔵入りだがその資料のことはよく覚えている。投下直後、子どもの首が入ったバケツを持ったお母さんが「首だけでもあって良かった」と言う。今もある似たような戦争。
社会が今ほど成熟していなかった頃、泣く泣く飼い犬を保健所にやってしまった人から話を聞いた。ペット可の住まいが見つからず闇雲に回ったが駄目でとうとう。それを聞いて自分は島まで叔父さん叔母さんを頼りに一人で行ってしぶとく頼んで本当に良かったなあと目を閉じた。自分を激しく責めずに済んだ
こちらはようやく仏頂面はいけないなと少ない愛想を振り絞るようになったというのに犬は最初から全身で喜びを表現する。うれしくてうれしくて仔鹿のように飛び跳ねてクルクル回り、息ができないほど人の鼻をなめ回す。テンション高い。何なんだこの生物は、いまだ思う。
彼は輝いていた。話したこともないのにそう見えた。顔はまともに見れなかったのでよく覚えていない。私はずっと日陰者だったので輝く人は眩しすぎた。何年も前、若くして彼が急逝したことを知る。自分の心の動きを観察した。そのとき90%が無常感、あとは引け目から来るやっかみ混じり、情けないが。
ヨガの先生から非暴力の考えを聞いた。ガンジー?と思っていたら違った。自分の身体だけでなく生体ではないモノにも乱暴に接しないという話だった。ざっと1分だったのでダイジェスト版。身の回りのモノにも丁寧にという発想は雑な自分からは遠いところにあった。きちんとするのは清々しい。たぶん。
節電だろうか、夏になると一斉にトイレの温水を切って普通水にするビルがあった。最初は知らずにヒャッ!と驚いてその後も体が局部から冷え続ける感覚に悩まされた。医学畑の友人たちに話をすると「水で洗うくらいなら洗わないがマシ、女性の身体に悪い」とアドバイスされた。夏が来れば思い出す。。
歩道のきわで目を真っ赤に泣きはらしてへたり込む女子に腰を下ろして一生懸命何かを語りかけている男子。本人たちにとってはまさにドラマチックなワンシーンだろうが道行く人から見れば異様。ほっとけ!と思いつつも物語をあれこれ想像してしまう。しかし怪しいぞその男。
地方に行くとたまに出くわす古い東京出身者。こちらが東京から来たと知るや否や「東京のどこ?私は◯◯生まれなの」と食いついてくる。私のことには本当は興味がなく自分の懐かしい話をどんどん重ねてくる。地方在住の鬱屈があるのだろうか?私が良い話し相手だとも思えないが。
よくよく考えたらこのシャツ2000年代に買ってないか?アンディ・ウォーホルのお母さんが書いたアルファベットがそのままデザインされている。手書き文字のクセって世界にたった一人だけでホント好き。
ママチャリが今ほどロボット化していなかった頃保育園の長男を後ろに乗せて未舗装のオフロードをショートカットしていた。ちょっとした登りで前輪が土を滑り倒れる!と思った瞬間に後部座席から足がスッと伸びて自転車を支えていた。怒っていた。彼が全く私の運転を信用していないことは明らかだった。
ワーキングホリデーを使って働いていた人から話を聞いたら浮かない顔で「友だちが選べなかったのが一番いやだった」と意外なことを口にする。狭い地域にそう多くはない日本人が集まっていて日本では友人にならないような人と友だちにならざるを得ないのだと言う。へー。その経験は何かの役に立つのか?
子どもがまだ幼児の時、友だちを作ってその母親と付き合わねばならない頃が私にとっては一番苦しかった。いや、不登校をしていた頃が一番苦しかったかな。しかし保育園からずっと学校をぐずっていたのでほぼ悩みは続いていた。過ぎてみれば何事も夢の如き一瞬なんだけどね。
どうしていいか分からないことだらけだった。第一におむつのやり方が分からないのに病院で「ハイッ」と看護師さんに渡されぼ~っと途方に暮れていた。隣にいた同時期に産んだお母さんが私に赤ちゃんの紙おむつの当て方を教えてくれた。どこの誰だか分からないけど、ありがとうございました。
子どもは持たないつもりだった。明確な思想というものではなく、親になるということにピンとくるものがなかった。だのになぜかできてしまった。青天の霹靂だったことは息子たちには永久に黙っていよう。まさかの親業をすることになると過去の様々を思い出し、自分の育て直しをするような感覚がした。
友だちの家で夜通しアニメを観ていた。いかにもミステリアスな展開だったので登場人物たちの裏を暴くつもりで観ていたら最後は意外にもハッピーエンドにまとまった。善意はまず疑ってかかるようなモノの見方に肩透かしを食らったようで。昨今の映像作品に対するアンチテーゼかな。
呆れて言葉もない。私は関係ないけど車同士がかすった事故でその老婦人はご自身は一時停止線できちんと止まったと主張される。だから右から走って来た相手が悪いと、一時停止した自分には間違いはないと思ってる。優先道路に飛び出したという認識はゼロだ。90歳。そのうち自分が呆れた老婦人になる。