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どんだけ音楽好きなんだよ

「どんな習い事をさせようか」
 子どもが成長するにつれて、多くの親が悩むことだと思う。
 私自身は子供の頃、音楽教室に通っていた。練習は嫌だったが、演奏自体は楽しかった。グループレッスンで知り合った友達と、待ち時間に遊ぶのも楽しかった。

 というわけで、幼い息子に、音楽教室のレッスンを体験させた。息子の反応は薄かった。拒絶したわけではなかったが、特に面白そうでもなかった。全然決め手にならない。
 「男の子の場合、はじめから喜んで通う子ばかりではないですよ。試しに入会してみてはいかがですか?」
 楽器店と音楽教室を経営しているオーナーはにこやかに勧めてきた。そうだよね。すごく嫌がっていたわけでもないし。
 こうして音楽教室に通うようになった。

 通うようになっても息子の反応は薄かった。いや、だんだん嫌がるようになってきた。音楽教室だから、家でも練習する必要がある。面倒だ。グループレッスンだから、自分だけうまく弾けないと悔しい。でも、練習はしたくない。
 私も子供の頃、毎日の練習が本当に嫌だった。最初は1日30分、そのうち1時間、更に中学に入ると2時間くらい弾いていた。時計が止まっているように見えたものだ。手抜き方法も考えた。息子にはそんなふうに思ってほしくなかった。まだ幼いのだし、ちょっと練習するくらいでいい。自分自身の子供の頃に比べれば楽勝のはず。
 でも、息子は私の子供時代など知らない。ほんのちょっとの練習も嫌なのだ。レッスンには行きたくないとごねた。
 私はごほうび作戦をするようになった。「レッスンが終わったら、おいしいものを食べに行こうよ」と誘うのである。だまされないぞ、と顔をしつつも息子はレッスンに参加する。レッスン後、近くの喫茶店に入ってココアを飲む。店主が丁寧に丁寧に鍋でココアを練り、ミルクを注いで作る、濃厚なココアは絶品である。
 満足気にココアを飲む息子を見ながら考える。私は何をやっているのだろう。音楽教室に息子を通わせているのは私の自己満足かもしれない。

 ある時、知り合いの出ている定期演奏会に息子を連れて行った。最初だけでも聴くつもりだったが、息子が露骨に嫌がり、すぐに退出した。息子は言った。
 「お母ちゃん、どんだけ音楽好きなんだよ。いい加減にしてよ」
 私はそんなに音楽が好きだろうか? 高額のチケットを買ってコンサートに行った経験はない。知り合いの定期演奏会を聴きに行く程度の私は音楽愛好家と呼ぶほどの者ではない。だったら、なぜ子どもに音楽を習わせているのだろう。

 同じ音楽教室に、高校生の男の子たちも通っていた。彼らは言った。「僕も小学校の頃はいやいや練習していたし、辞めたかった。でも中学校に入った頃から急に面白くなってきて今も続けている。今、辞めてしまうのはもったいないですよ。嫌だな、というところで終わってしまいますよ」と。
 なんとなく説得力があった。そのうち、息子も前ほどは嫌がらなくなった。音楽教室の先生は、息子に合う、それほど難しくはないけれど達成感のある素敵な曲を選んでくれた。

 中学校に入ると、確かに変化が起きた。ある程度弾けるようになり、レパートリーが増えた。自分で楽譜を買って挑戦するようにもなった。まずはドラゴンクエストから。次にアニメの主題歌。面白がって弾くようになった。クラシックは苦手らしい。「クラシック弾く人の気がしれないね」と言う。

 コロナで部活も音楽教室も制約を受けたが、自宅でピアノを弾くことに制約はなかった。好きな曲を好きなように弾く。グループの友達に聴いてもらう。グループの友達も好きな曲を弾いている。それぞれ自分の好みの曲を弾いているので、技術の巧拙は関係ない。もう練習しろと言う必要はない。自分で勉強や部活とのバランスを考えて練習時間を確保する。

 高校に入った。音楽教室は継続することになった。更に、音楽系の部活にも入った。クラシックばかり演奏するのに。
 そのうち、ピアノでもクラシックが弾きたいと言い出した。別に何を弾いてもいいけれど、クラシックを弾くのは大変だよ。
 「うん、分かってる。先生に相談して基礎からやり直すことにしたんだ」
 あんなに嫌がっていた基礎練習を喜々とやるようになった。
 
 さて、さすがに部活が忙しくなってきたらしく、個人レッスンは卒業することになった。しかし、これからもピアノは弾きたいらしい。勉強と勉強の合間に、部活でも演奏活動をしてきたのに、楽しそうに基礎練習をやっている。幼い頃から一緒にレッスンを受けてきたグループの活動も継続だ。

 息子よ、君はどんだけ音楽好きなんだよ。少なくとも母よりは好きみたいだね。

 あの時、声をかけてくださったオーナーさん、おかげで息子は素敵な趣味を得ることになりました。

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