くにゅくにゅの黒いきゅうり

昭和のきゅうり
 幼い頃、初採りのきゅうりは仏壇に備えられた後、味噌をつけて食べた。夏の始まりである。うやうやしく食べたきゅうりは、じきに大量に収穫できるようになる。するときゅうりは漬物になった。我が家はぬか漬けではなく、味噌漬けにしていた。2〜3本を夜のうちに漬けて朝食べる。朝漬けたきゅうりを夜食べる。あっさりしていて美味しい。台所は祖母の仕事場であったが、これは母が担当していた。
 塩もみもよく作った。しゃかしゃかとスライサーで薄切りにし、塩で軽くもんで冷蔵庫で冷やす。夕飯前には水気をしぼってわかめと一緒にポン酢で食べた。帆立の水煮が添えられることもあった。豪勢だ。
 しかし、子どもにとって「きゅうりとわかめと帆立の酢の物」がご馳走であるわけがない。きゅうりの薄切りならば、きゅうりの上にみょうがの薄切りや青じそ、かつおぶしかちりめんじゃこがのっているところに醤油をかけまわしたものの方が好きだった。しゃきしゃきしたきゅうりとみょうがの組み合わせが美味しい。
 それにしても、漬物とスライスだけで大量きゅうりを消費できるはずがない。どうしていたのだろう。それで思い出したのは「味噌を作るときの大量のきゅうり」である。
 実家では味噌も自家製だった。4月に1年分の味噌を仕込む。この時にたらいに入った大量のきゅうりが出現する。黄色っぽく変色したきゅうりは全く美味しそうではない。祖母は、このきゅうりを大豆や麹と一緒に樽の中に入れた。味噌が完成し、少しずつ味噌を食べるようになると、この味噌漬けきゅうりも一緒に出てくる。黒いが薄く切ると飴茶色になっている。母はこのきゅうりと一緒につけておいた昆布をみじん切りにしたものを食卓に出してくれた。生姜も混ぜ込んである。白飯にかけて食べるのが楽しみだった。
 あれだ! きゅうりは味噌漬けきゅうりになっていたのだ! 塩漬けにして春まで保存しておいたのだろうが、どこでどうやって保存していたのか、全く記憶がない。

平成のきゅうり
 いつの間にか味噌を仕込むことはなくなった。祖母は台所仕事から引退し、完全に母が担当するようになった。初物きゅうりを仏壇に備えるのは変わらない。
 味噌樽に1年分入れるという使い方ができなくなったせいなのか、母は様々なきゅうりの食べ方を模索するようになった。バンバンジーにしたり、ゴマ油としょうゆで和えたりもした。酢醤油と生姜の効いたパリパリの漬物にもした。辛子漬けにもした。甘いのに辛い。目が飛び出そうなくらい辛い。辛いけれど美味しい。
 それでもきゅうりは食べきれなかった。そのうち、「きゅうりの佃煮」という料理を教わってきた。これはきゅうりをたっぷりの砂糖と醤油で煮詰めたものだ。鍋いっぱいに煮てもちょっとだけになってしまう。真っ黒な外見はなかなかの迫力だ。クタクタクニュクニュの食感もきゅうりとは思えない。
 この佃煮を誰よりも好んだのは祖母だった。祖母は毎食これを食べた。きゅうりを大量に消費することができ、祖母も喜ぶ。これはありがたかった。
 祖母が亡くなると、この佃煮はあまり作られなくなった。

私のきゅうり
 平成末から、私もきゅうり消費作戦に参加するようになった。今の自宅には仏壇はないけれど、初物きゅうりは家族全員で味噌を漬けて食べる。
 佃煮は作らない。スライスきゅうりやバンバンジー、漬物もよく作る。炒めものにしてみたこともある。様々な食べ方に挑戦してきたが、結局、スティックきゅうりにはかなわない。最初は味噌、次にマヨ味噌、梅味噌、にんにく味噌と味を変化させていく。青じそやスライスハムを用意して巻いて食べる。もしスティックきゅうりが余ったら、そのまま浅漬けにしてしまえばよい。
 余ったきゅうりは塩漬けにする。冬になると塩出しをして、味噌漬や粕漬にする。弁当の端っこや朝食の箸休めに活躍してくれる。無事に夏越ししてくれることを祈っている。
 
 

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