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人と関わりたくないけど人の心には興味がある

 いつからか自宅でながら見するようになったNetflix。おかげでだいぶ孤独が軽減されている。料理・洗い物・掃除などしながら観ると、退屈しないで楽しめる。試しに文章書きながら流してみたこともあるが、頭脳労働中にはさすがに同時進行はできなかった。
 過去数ヶ月の私は自分の心に翻弄されていたのでフィクションを楽しむ心理的余裕がなかった。しかし今は集中力と時間がある限り、自宅では何かしらの作品を流し観ている。月額1,000円でこれだけたくさんの作品が見放題なんだから、サブスク様々だ。ありがとうございます。

 実は27歳のころが私の人生で一番創作に近づいた瞬間だった。オタクとして最後にハマった作品のキャラクターの心情を知りたいあまり、何度も繰り返し視聴し、さまざまな二次創作を読み、彼女らのツイートにも目を通し、当時の私なりの解釈を創りあげた。
 作品とまではいかないが、ツイッターの公開アカウントで自身の解釈や二次創作もどきを上げたりした。どうしても彼の心情を知り、彼に追いつきたかった。その一心だった。最高の作品だったし、最高に楽しかった。
 しかし、そこを最後のピークとし、私はオタク業界から足を洗うことになる。もちろん今でもオタクの精神は持っているし、アニメやマンガが好きなことは変わらない。しかし、10代20代のように熱狂的にすべてを捧げることはもうできない。オタ活に関しては悔いなくやれた唯一のことのような気がする。
 今はむしろ、純粋に「わー!!!おもしろいね!!!」というよりも、ちょっと創り手側寄りの楽しみ方をしてしまう。いや純粋に楽しんでいる部分ももちろんあるが。
 どんな作品であれ、人間心理は必ず描かれている。だから私は何を観てもおもしろいと感じる。(うわべだけなぞったようなクソ作品も数の中にはあるけれど。基本的に流し見だからダメージは少ないし、本当につまらなかったら視聴をやめてしまう)。

 「あなたは何に興味があるの?」と聞かれれば、「人の心です」と即答できる。(もちろん日常でこんなこと答えたらヤベーヤツと思われるから言わないが)。
 かつての私は何にも興味がなかった。オタクであることは唯一の趣味であり、他のことにはビタイチ興味がなかった。その上、二次元のことを「自分を楽しませてくれるコンテンツ」という程度にしか捉えていなかった。
 そもそも人間心理にここまで興味が湧き、おもしろいと思うようになったのはここ一年程度のことだし、自分の心と向き合うようになったのは、このnoteを開設してからだから、大体半年程度ということになる。
 いやどうなんだろう。自覚がないだけで潜在的に興味はあったのかもしれない。

 人生は楽しくないもの。休日は現実逃避のためにあるもの。そんなふうにしか思えないくらい私の心は弱くて、だから現実で起こることもどこか常に他人事だったし、自分がどうなってもよかった。感覚を鈍くすることで自分の心を守っていたのかもしれない。あのころの抑うつは、そうとしか説明のしようがない。自分が楽しいと思える唯一のものが二次元だった。現実の日々がつまらないから、ただただ他者の創り出すコンテンツを貪るしかなかった。
 当時の私に「毎日をつまらなくしてるのはおまえなんだぞ」と言ったところで聞く耳持たないだろう。若い時間の持ち腐れだよなホントに。言い訳はなんぼでもできるけど、変えようと思えば、変わろうと思えばいくらだって行動できただろうと言われたら何も反論できない。好んで地元から離れなかったのだという見方をされても否定できない。

 今の自分にだって同じことが言える。今年が始まって1/3が終わろうとしているけど、あなた何かやった?もしくは継続してやっていることはある?毎日は楽しい?そう問われると、何も答えられない。言い訳もできない。
 だけど、頭はだいぶクリーンになってきている。気持ちのコントロールをヘタクソなりにできるようになってきた。それがふつうの人と比べて「がんばりましょう」だとしても。
 前回の長期休暇は年末年始の5日間で、今思うと私は「おまえこんなんでよく生きていられたな」というレベルでうつの大波に襲われていた。孤独は人間を狂わせる。そのことをよくわかっている。孤独って何かと言えば、現時点での私の解釈は「愛情への飢え」。

 明日から3日間働いたらまた休みだと思うとちょっと気がラクよねぇ〜
 前半はダラけることに時間を使ってしまったから、後半はお部屋のお掃除をする予定。

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