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【瞑想】真の苦しみは「二の矢」が刺さるかどうかで決まる

皆さんは部活動やクラブチームでスポーツをしていて、怪我をしてしまった事はありますか?
または風邪やインフルにかかって休んだ事はありますか?

どちらも、まず怪我の痛みや病気の症状といった苦しみがあり、それはそれは辛いものですよね。

そしてその後、多くの人はこう考えるのではないでしょうか?
「何で自分が。どうしてこんな目に」
大会前であれば、「何故このタイミングで」

本当に苦しいのは、怪我や病気の苦しさではなく、そこから生じる不安や後悔や恐れなどを、感じる瞬間ではないかと思います。

鈴木裕さんの「無」という本曰く、前者を一の矢、後者を二の矢と呼びます。今回はこれらの説明と、瞑想について書いていこうと思います。

チンパンジーは下半身不随でも幸せ

皆さんが仮に明日事故に遭って、下半身不随になってしまったとします。
この場合、一の矢とは、下半身不随になった時の痛みそのものです。
そして二の矢とは、この先どうしよう、といった不安や葛藤になります。

人間は、虚構を作る能力によって進化してきたという話があります。本来使い道の無い紙切れに、1000円という価値が付く。
破った瞬間に死ぬ訳でも何でもない誰かが作った法律という名前のルールで、秩序が保たれる。
これら昔も今も変わらず存在する、貨幣や法に限らず、あらゆる虚構が存在します。

存在しないものを在ると考えられる能力が人間にはあるということです。
下半身不随は事実であり、紛れもなく存在するものです。
しかし、それによって生じる不安や葛藤は、存在しない、頭の中で作られた物語ということです。

この虚構、物語を作る能力こそが進化に貢献する一方、人間の悩みを作り出す要因にもなっています。

実際、人間以外にはこの能力はなく、チンパンジーは下半身不随になっても、痛みで苦しむことはあっても絶望することはなく、笑顔を浮かべる余裕すら見せた、というエピソードがあります。

怒りは6秒しか続かない

近年の研究で、一の矢の脅威が思ったより長く続かないことが分かってきたそうです。

例えば、誰かから暴言を浴びせられたとして、脳内ではアドレナリンやノルアドレナリンなどの、心身を戦闘状態にする物質が分泌されます。
しかし4~6秒ほど経つと、理性を司る前頭葉が働きそれらの影響が無効化されていくようです。
10~15分もすれば、ほとんど影響が無くなります。

つまり、最初の一の矢を受けた時に、そのままやり過ごして時間が経てば、新たに自ら負の感情を作り出すことも無い、ということになります。

止想と観想

一の矢を受け止めて、二の矢を放たないようにするために重要なのは大きく2つです。

停止と観察です。

一の矢を受けてから、二の矢という物語を作り出す前に、思考を止めることが停止。
一の矢の苦しみと、二の矢を作り出そうとしている自分を客観的に認識するのが観察。

全然簡単なことでは無いのですが、理論上はこの2つを続けることで、余計に悩まない、無我の境地のような、自分になるようです。

本には様々な瞑想の種類が書いてありましたが、個人的にやりやすくて良い瞑想が2つあったので紹介します。

止想
体の一部分に、意識を集中します。部位はどこでも大丈夫ですが、呼吸をする時に動く部分に集中するのがオススメです。他のことを考えても自分を責めず、また一部分に集中します。時間は好きに設定して大丈夫ですが、僕は3分で設定してます。

観想
意識をどこにも向けずに、頭を空にします。そのままボーッとして、意識が体のどこかに行ったり考え事をし出したら、「今手のひらに意識が行った」「頭が考え事をした」というように自分の意識を客観視します。そしてまたボーッとする。
これをひたすら続けます。時間は好きに設定して大丈夫ですが、僕は5分でやってます。

僕のイメージは、身体感覚を雲に例えて、空に流れる雲を見ながら、それぞれの雲が流れていくのをただ客観的に見る感じです。

以上、真の苦しみは「二の矢」が刺さるかどうかで決まる、についてでした。
ありがとうございました!

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