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【東南アジア】ベトナム~各国の思惑が衝突した国~

皆さんはベトナムに訪れたことはありますか?。首都のハノイや、大都会のホーチミン、世界遺産のハロン湾など、旅行先として選ばれる確率が年々上がっているように思います。

そんなベトナムは近現代の歴史の中で様々な戦いを経験してきており、そこには日本も関わってきます。今回はベトナムの歴史や日本との関わりについて書こうと思います。


フランス領インドシナを日本が占領

フランス領インドシナとは19世紀にフランスによって植民地化された、インドシナ半島東部地域のベトナム・ラオス・カンボジアを含む地域のことです。

第二次世界大戦が始まり、ドイツがフランスに侵攻してフランスは降伏します。それに呼応してドイツと同盟関係にあった日本がフランス領インドシナを占領することになります。日本の思惑としては当時の日中戦争を有利に運ぶために、英米から中国へインドシナを通って送られる支援ルート(通称:援蒋ルート)を断ち切る狙いがありました。

ベトナム建国の父と呼ばれる「ホー・チ・ミン」は日本がベトナムに進駐する中、1941年にベトミン(ベトナム独立同盟会)をつくり日本からの独立運動を始めます。ちなみにホー・チ・ミンは共産主義者で、現在のベトナムは共産党一党独裁となっています。

かつて日本がベトナムを占領していたという事実。太平洋戦争での日本と東南アジア各国との詳細な関わりをあまり学校では学ばないので、こういうことを自分で知っておくのは旅行でもビジネスの際でも重要だと思います。

インドシナ戦争とベトナム戦争

日本が戦争に負けた後、1945年にベトナム民主共和国の独立が宣言されますが、再びフランスが支配しようと舞い戻ってきます。そして始まったベトナムの独立戦争が「インドシナ戦争」です。

この時既に世界は東西冷戦時代であり、このインドシナ戦争においても共産主義者のホー・チ・ミンが指導するベトナムをソ連と中国が支援して、フランスをアメリカが支援しました。社会主義vs資本主義ですね。

インドシナ戦争はフランス軍が最終的に降伏して1954年にジュネーブ協定で休戦が宣言されます。その後ベトナムの南北が統一への道を歩み始めようとしたところでアメリカが介入します。理由は統一された結果、社会主義国になっては困るからというものです。

アメリカの介入によって南ベトナムは混乱を極めて、南ベトナム政府vs解放戦線の戦いからベトナム戦争へと繋がっていきます。ちなみに南ベトナムが混乱を極めたのは、アメリカが介入した際に大統領にしたゴ・ディン・ジェムという人物がまさかの独裁者だったことも一因です。

ベトナムは中国と仲が悪い?

ベトナム戦争が終結してその後、ついに南北が統一されるのですが、その頃隣国のカンボジアで独裁者のポル・ポトが国民の不満を外に向けるためにベトナムのちょっかいを出し、ベトナム軍がカンボジアに攻め込みました。この時共産主義のカンボジアを助けるという名目で中国がベトナムに攻め入ります。最終的にベトナムは中国を撃退しましたが、この事件がもとで両国の仲は良好ではないようです。

現在のベトナムは共産党一党の独裁で社会主義国家ですが、ドイモイ(刷新)政策によって自由経済が導入されて、社会主義市場経済という本来相反する社会主義と資本主義をくっつけたような形をとっています。ちなみに中国も同じ形をとっています。平等で豊かな社会を目指すための社会主義ですが、実際は計画経済では上手くいかず市場経済を取り入れる方が国が安定するといのは歴史上の国々を見ていて感じることです。

最後脱線しましたが、東南アジアを学ぶことで日本が何をしてきて今どんな立場にいるのかが明確になるように思えます。

以上、ベトナム~各国の思惑が衝突した国~、についてでした。
ありがとうございました!

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