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【東南アジア】シンガポールはマレーシアから追い出された?

経済・観光共に成長著しく1人あたりGDPでは日本の上を行っているシンガポール。

ゴールデンウィークで旅行先として選択している方も多いのではないかと思います。ポイ捨て禁止、ガム持ち込み禁止など罰金が多い点に旅行者は気をつける必要があると思いますが、皆さんはどのようなイメージ・知識を持っているでしょうか?

今回はそんなシンガポール🇸🇬について、その特徴と成り立ちを書こうと思います。


イギリス植民地から独立

マーライオンでお馴染み(?)のシンガポールですが、成り立ちを話すにはマレーシアと共に歴史を振り返る必要があります。もともとシンガポールとマレーシアはイギリスの植民地でした。

それが第二次世界大戦後にマレーシアが独立し、シンガポールはマレーシアの中の1つの州に加わることで一緒に独立を果たします。これが1963年のこと。つまりシンガポールはマレーシアの州だったんですね。

ちなみに更に歴史を遡ると、シンガポールが歴史上に登場するのは3世紀頃で中国の文献では「プ・ルオ・チュン(Pu-luo-chung)」と呼ばれていたそうです。これはマレー語で「半島の先端にある島」という意味です。その名の通り半島の先端にあるシンガポールは中継貿易の地として栄えてきた歴史があり、中世から近代にかけて戦略的に重要な位置にあるとしてイギリスの支配下に治められるようになりました。

経済格差によってマレーシアから追い出される

マレーシアの人口のうち圧倒的に多いのはマレー人で、その他に華人やインド人(インドからの出稼ぎ)の大きく三つに分かれていました。マレーシアの宗教はイスラム教で、マレー人の多くはイスラム教徒です。華人もインド人もイギリス領時代に同じ英語が使われていたため基本的には共存できていたようですが、華人とマレー人の対立によってシンガポールがマレーシアから追い出されるという事態になります。

華人は教育熱心であり社会的に成功する人が多く、国内の富は華人に集中していました。その貧富の格差に対抗して、マレー人が地位向上のためにマレー人優遇政策「ブミプトラ政策」を行います。これにより華人も反発して、1965年8月にシンガポールはマレーシアから分離独立します。

ちなみにシンガポールの大きさは東京23区とほぼ同じと言われていて、且つシンガポールには経済的に裕福だった華人たちが集まったため、分離独立後からシンガポールは豊かな国でした。その点でも、東京23区と似通っていて、日本から東京23区が抜けたら?、と考えてみると興味深いですね。

明るい北朝鮮

独立後のシンガポールはリー・クアンユー首相の手腕によって急激に経済成長していきます。与党は人民行動党です。民主的な選挙は行われているのに、なぜ「明るい北朝鮮」と呼ばれているのか。

それは選挙制度が与党の人民行動党に非常に有利な作りになっているため、民主的な選挙が行われているものの、結局人民行動党が勝つようになっていることから事実上の一党独裁政権となっているからです。

ですが経済的に非常に豊かになってきていて、国民も生活に関しては特に不満を感じる訳ではないので、その体制が変わらず続いています。中国もそうですが、開発独裁は結果として経済成長の面では強いなと思います。

以上、シンガポールはマレーシアから追い出された?、についてでした。
ありがとうございました!

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