わすれないために
あれからもう13年もたったのかと思うと、あっという間だなと思う。
311の地震が来た時、私は畑のあぜ道を歩いていた。大きくたっぷんたっぷんと水が揺れるみたいな力強い揺れで歩けないわけではないけれど、足がとられそうな勢いだった。外でこんなに地震を感じることはなかなかない。
近くの送電線の鉄塔に電線が打ち付けられてバチンバチンと大きな音を立て、遠くまで続く畑の表面がこんにゃくみたいにプルンプルン動いているのが見えて恐怖を感じた。
畑のすぐ前に住んでいる人が「こわいこわい」と泣き叫んで道路に出てきたところに遭遇。きっと建物の中は想像以上の揺れだったに違いない。私は外にいる時でよかったと思った。けっこう長い時間揺れていて、こんなに揺れるのはなにか普通ではない気がすると強く感じていました。
帰宅するとコンポの足が一つはずれてスピーカーが傾いているだけ…だと思ったが、なんと壁と床の間にすき間ができていてびっくりした。これはやばいぞ…と思った。テレビをつけて初めて事の大きさを知った。
これが私の、地震と地震直後の体験。内容的にはかなり省略して書いているんだけれど、頭の中にはあの日の午後のあたたかい陽ざしとか、電線のバチンバチンいう音とか、こんにゃくみたいにぷるぷる揺れる地面とか色付きで鮮明に残っている。それくらい忘れられない出来事でした。
私は神奈川県在住なので、揺れたことでの直接的な被害はほとんどなかったけれどスーパーから食べ物がなくなってしまったり、車が無いと生活できない地域なのにガソリンが買えなかったりする現象が発生。私はお米が大好きでストックをけっこう持っていたので、持ってない人に分けたり、私も食べ物をいただいたりと「助け合い」をした。これがとても貴重であったかい経験でした。なんていうか、食べ物は少ないんだけれどこころが満たされるからなんとか過ごせてしまうのです。
ガソリンも買えなかったから、なるべく車を使わないなど生活面でもずいぶんがんばった。
そして計画停電という珍しい経験もした。
電気が来ているうちにお風呂を沸かしておいて、夜になったらろうそくの灯りでお風呂はいって、ご飯食べて、すぐに寝てしまう…という生活をしました。暗いとなにもできないから、寝るしかないんです。でも、電気、ガス、水道が使えることがありがたいと思った。当時は停電がずーーーっと数か月間にわたって回復できない地域があったし、水が出ない地域、ガスもだめな地域がたくさんあったからです。まだ3月は寒いし、とてもたいへんだったろうなと思います。
当時仙台に知人が住んでいて、連絡したら大丈夫だよって返事が返ってきてすごくほっとしたのも印象的で忘れられません。まだ宅配便などがそんなに復旧していなかったけれど必要なものを聞いて送りました。その時、コーヒーの粉末とかミルクティーの粉末とかいつもだったら飲んでるだろうなというものも入れたら、そういう精神的にほっとできるものがあるとうれしいと教えてくれたのが印象的だった。知人は水も電気もガスもすべてダメで、マンションだったんだけれど、部屋の壁におおきな亀裂が入ってしまい「長くはいられないな」と思ったそうです。どれだけの揺れがきたのか想像するとコワイです。その後知人は、愛猫と一緒に無事に隣県にある実家へと引っ越ししていきました。
震災で気が付いたこと。
豆電球は意外と光が弱い。
10個あっても光が弱くてなんも見えない…工作しようと思って持ってた。
ろうそくを立てたり支えたりするものが無くて、みかんにろうそくをさして使っていました。お風呂もトイレも安心して入れた。
人んちの庭に刺さっているソーラー充電タイプのガーデンライトが
ほしいなぁ…と思っていつも眺めていました。
部屋の中のどこへ行くにも、いつ溶けたロウがたれるかわからない「ろうそく」をもって移動するのは、やけどとか、火事とかになりそうでコワかった。
懐中電灯買いました。
ろうそくあってもマッチとかチャッカマンみたいなのが無いと意味がない…ということに気が付いた。ガスがとおっていれば大丈夫だけど。
カセットコンロがあると便利なことがわかった。
自宅の近くの空き地に井戸があって持ち主のおじいちゃんが使っていいよと言ってくれてて心強かった。水は大事。
今年の元旦に能登半島の方々が地震の被害に遭われました。現地の映像をテレビで見ると心が痛いです。
私にできるのは募金することくらいしか…ということで、させていただいた。そのわずかなお金がお役に立てれたらうれしいです。そして被害に遭われた方がなるべく早く普通の暮らしができる状態に戻ってほしいなと願っています。
今年も311についての記事を書かせていただきました。ありがとうございました。
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