すべては、どの角度から捉えるか。の話。
久しぶりに友人と会っていました。
お互いの近況を報告しあい、その友人の仕事であった話になりました。
友人は介護の現場で働いており、そこであった、とある、おばあさんの話。
そのおばあさんは耳が遠いけど、頭のいい方だと。その家系は代々医者の家系であり、そのおばあさんの孫も医者である。
そして、とある資産の手続きをするのに、おばあさんと、孫が面会をする事になった。
手続きが終わり、友人がおばあさんを迎えに行き、耳が遠い為、ホワイトボードに「大丈夫だった?」と書き声をかけた所、おばあさんは「全部取られた!」と言ったと。「これまで、面倒見てやったのに!」と。
友人は、「それが全てだ!」と思ったと。
それを、聞いた私は、母を思い出した。
私の母は両親を介護施設に入所させてからも、懸命に日々通い、買い物にも連れ出し、呼び出しがあれば行き、「おばあちゃんは買い物が長い!」とグチを、こぼしながらも最後、両親を看取った。
病院だったか、どこだったかは、覚えていないけど、最後に言っていたのは、
「最後まで、面倒を見させて貰って感謝している。」
という言葉だった。
面倒を見てやったのか。
面倒を見させて貰ったのか。
すべての物事は、どの角度からの視点で捉えるかに、よって変わる。
正解は、人それぞれだから、
どちらも、正解なのかもしれない。
けれど、私は、後者を選びたい。
それは、自分の母だからとかよりも、
自分の心が軽く、少し優しい気持ちになれる方を選んだ自分が良い。って事。
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