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東日本大震災

Q私の被災した体験を記録しました。
新たな発見、変化に繋がればと思います。


地震が発生した時、私は病院にいました。


初めはただの地震かと思いましたが大きな揺れに変化するにつれ、周りにいた看護師の人の悲鳴、メスやハサミが床に落ちる音などが大きくなっていき、次第に恐怖が襲ってきました。私は必死にテーブルの下に隠れました。


しばらくして揺れが収まり、外に出てみると異様な光景が広がっていました。地面がひび割れ、隆起し、電柱が傾いていました。とても衝撃を受け、受け入れがたい現実でした。その後急いで自宅へと向かった途中、海沿いの道からは津波も見かけることができました。


自宅に戻ると部屋はとても散らかっていましたが、幸いなことに飼っていた犬含め、家族全員が無事でした。倒れた棚が多く、片付けには何日もかかりました。電気や水道も止まり、近くの山まで水を汲みに行ったり、自衛隊の方の給水で一時期生活をしていました。


その後少したってから、避難を開始します。

2 避難所での出会い

当時小学1年生だった私は家族と一緒に福島から新潟へと避難しました。避難生活を通して様々な経験をしたのですが、その中で私の人生に大きく影響を与えてくれた人を紹介します。


昔の話です。私が最初の避難所についた頃、両親は知り合いの人との連絡や今後どうするか考えるのに忙しく、子供の私の相手はしてくれませんでした。そのため、一人でずっと遊び場で遊んでいました。周りの大人も同じように忙しく、誰も私を見るだけで相手をしてくれませんでした。そんな時、私をみた一人の若い女性職員は話しかけてくれました。初めて知らない人から優しくされた私は、その時のことをよく覚えています。なんの関わりもない赤の他人がたった一人の子供相手に、大きな愛情をもって接してくれたのです。私は終始笑顔のまま会話をし、すぐ次の避難所へと向かいました。このことをきっかけに、優しく素晴らしい人になりたいと思うようになり、勉強に取り組んだきっかけにもなりました。


他にも様々な出会いがありました。

3 避難生活

避難所での生活は子供の私にとって、とても楽しく新鮮なものでした。お風呂は銭湯へ行き、近くの大学の授業への参加や大学生との交流、お花見や動物を見たりなど、楽しいことしかありませんでした。また、ありがたいことに、多くの食料や玩具、服などの支援物資も届いており、私のいた避難所では、あまり不自由を感じず生活を送ることができていたかと思います。


4 最後に


避難生活では様々な人達と出会い、人の温かさを知ることができました。


本当に多くの人に感謝しています。ありがとうございました。


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