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【こころ】わたしってすごいのかも。

はい。今回の記事のタイトル『わたしってすごいかも。』です。
みなさんこのタイトルの後ろに(失笑)ってつけといてくださいねw

この前書いた記事に同僚のことを心配に思う自分の気持ちがよくわからないというものがあった。端的に話せば、普段他人に滅多に興味を示さないしこんなに心配してるのってもしかしたら下心があるんじゃないか?みたいな。なんか人を心配するってよくよく考えるとなんかよくわからんね。みたいな内容だったのね。

ちなみにこの記事。

それでね。この記事を書いた後も職場で例の同僚とほぼ毎日顔を合わせて密かに
「この感情は本当になんだろう?」と自分の気持ちを研究し続けた。

わたしが同僚を心配してしまう(過度に)のには3つの仮説があると思いついた。

1 :「わたしは同僚に下心を持っている」
まずはこれについて考察してみた。一緒に働き出してから1年半ぐらいだろうか。正直見た目は今風の可愛らしい顔をした誰からも好かれそうな男の子という感じで第一印象はとてもよかった。だが、心を病んでしまっているという相談をされるまで一度たりとも彼に対して“きゅん”とかそういった類の気持ちを感じたことはなかった。
それにわたしが相手のことを下心ありで見ているかどうかの判定基準にしていることがあって、それは「その相手にパートナーがいたら悲しい気持ちになるかどうか?」を考えること。その結果、
“わたしはその同僚に異性としての魅力があるから心配というなのからを被せた好意を抱いているということではない”
という結果に落ち着いた。

2 :「わたしと同じ症状を患っていることに勝手に仲間意識を持っている」
これも考えてみる。考えてみてすぐにわかった。この気持ちは絶対にあると思う。
身の回りの人間に心療内科に通っていて自分が感じている苦しさや、言いづらさを感じている人間がいない。そんな中、自分に相談をしてくれて同じ病院に通院していて同じ仕事をして同じようなことで悩んでいる人間がいるとなると、仲間意識を持つのはごく当たり前のことなのではないかと思った。
それに相手の苦しみが自分のようにわかるからこそその辛さからわたしが救ってあげたいという気持ちが人一倍強くなってしまっていると思う。そのせいか、最近では同僚が少しでも困っていたり、苦しそうな顔をしているとすぐに仕事を変わってあげたりしてしまう。この説が最も有力な説だと思った。

3 :「過去の自分に同僚を重ねている」
2番目の仮説と近しいけれど、これもあるのではないかと思う。
同僚が仕事帰りに歩いている後ろ姿をみていると「今こんなこと考えてるんじゃないかな??」とか勝手に想像して「自分もそうだったな」とか思って声をかけてしまう。自分が辛いときにどうされたかったかを同僚に重ねて同僚のことを心配しているようで本当は過去の自分を助けてあげたいという気持ちからの行動なんじゃないか?と思う。

以上がわたしが仕事中に考えた仮説3つだ。(仕事中は働けw)

色々考えて思ったんだけれど、まず下心で動いているという線はなくなったことに安心した。下心でしか人を心配できないなんてわたしは人として何か欠けているような気がするから。
そして思ったのが、
“わたし、ちゃんと人の感情を考えて辛さから救ってあげたいって純粋な気持ちで人を心配できる人間だったんだ”ってこと。

だから、今後もわたしは一生懸命、自分のことも同僚のことも大切にしようと思った。

なんの決意表明だ??意味わかんな!って思われると思いますが、ここに書くとわたしの脳内の考えが整理されるので書かせていただきました。

わたしも、同僚も、それ以外の今色々なことを抱えている人が少しでも明るく笑顔になる時間が増えますように。そう願って。

今日はここまでにしておきます。
今回は本当にわたしのメモみたいなもんです。読んでて意味わかんないと思う。w

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