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現代人は余白を楽しむフェーズに来ている

「1ヶ月間、1日に2時間以上ラジオを聴き続けた人は、右脳の記憶機能が発達した」という研究結果があるらしい。
ソースは↓の本。


ラジオの情報ソースは「言語」に限られる。そのため人はラジオを聴くとき、足りない部分を補完しようと右脳の記憶系を働かせて様々なイメージを思い浮かべる。その結果、ラジオを聴いているだけで右脳が発達したのでは。という考察だ。

この研究結果はめちゃくちゃ面白い。確かにラジオを聴いているとき、話題に沿ったイメージを次々と頭に思い浮かべている。1時間くらい連続で聴いていると、脳に軽い疲労感を覚える。知らないうちに右脳のトレーニングになっていたらしい。
反対にショート動画などをただボーッと見ていると、脳の活動が停滞しているような感覚になる。動画の場合、耳と目から次々と入ってくる情報をそのまま享受するだけなので、脳が補完しようと働く余地がないのだろうか。

この研究結果から、ある程度余白のある空間の方が脳に良いことが窺える。
例えば、風呂。思えばnoteのネタの9割は、湯船に浸かっている間に思いついている。
風呂に入るという行為は、実はめちゃくちゃつまらない。湯船に浸かっている間は、目の前にある白いタイルをボーッと見つめることしかやることがない。あるのは「お湯あったけえ…」という感覚だけ。でもそのつまらなさを埋めようと、無意識のうちに脳が働いているのではないだろうか。その結果、色んなアイデアが出てくる。
散歩も同じかも。景色が少しずつ変わるだけで、面白いことは全くと言っていいほど起こらない。それでも散歩中は絶えず色んな考えが頭に浮んでくる。これが音楽を聴きながらだと、あまり浮かんでこないから不思議だ。脳を活性化させるためには、つまらなさという余白が重要なのではないか。

常に情報過多の世界で生きる現代人は、そろそろ余白を楽しむフェーズにシフトするべきなのかも。つまんなさに価値が生まれる時代が来る。

足りない部分を補完することで脳が活性化するのであれば、ラジオだけでなく小説も脳に良いのではないか。私たちは小説を読むとき、文章という限られた情報ソースから絶えず様々な場面をイメージしている。視覚と聴覚の両方から満遍なく情報が得られる映画よりも、情報が文章だけに限られる小説の方が、脳の活性化に繋がるのではないか?どちらが面白いかは別にして。
思えば私は、同じ作品であれば映画やドラマよりも小説を好む傾向がある。自分で勝手に色々想像できる余白を楽しんでいるのかも。


小説を読む時のあるあるを思い出した。小説の登場人物って、美男美女をイメージしがちじゃないですか?私だけだろうか。
私の場合、登場人物の名前から直感的にキャラ像を連想するケースが多い。物語の序盤でしっかりとキャラ像を固めてしまうので、途中で「彼女の長い髪がたなびいて〜」とか「彼は無精髭を撫でながら〜」といった外見の追加情報が加わってくると、最初のキャラ像と矛盾が生じて混乱する。


↓最初に紹介した「すごい左利き」について書いた記事。






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