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でもこの記事、ミッチーとヨシりんが書いてるのかあ...

会社の先輩と雑談していた時のこと。
「千鳥の鬼レンチャン」というテレビ番組の話になり、「一緒に住んでる彼女といつも見てますよ〜」的なことを言ったら、
「え!彼女と一緒に住んでるの!ラブラブだね〜若いっていいね〜」と彼女の話ばかりされてしまい、正直まいった。

別に彼女がいることをアピールしたかった訳では無い。大学生ならまだしも、アラサーで彼女がいることを自慢したい奴なんかいる訳がない。
話を盛り上げるための補足情報として話しただけなのだが、先輩には「一緒に住んでる彼女」というワードがやけに引っかかったのだろう。そこから話題が完全に切り替わってしまい、結果的に会話のノイズになってしまった。

でも「一緒に住んでる彼女」というワードが会話に出てきたら、色々突っ込みたくなってしまう気持ちはわかる。
この言葉だけで色んなイメージが浮かび上がる。
まず、地に足をつけてない、なんだか浮ついた生活をしているイメージが浮かぶ。若さに身を任せ、やたらイチャイチャしてそうなイメージも連想できる。いってらっしゃいとただいまのキスは欠かさなさそうだし、休日はお揃いのTシャツを着てデートしてそうだ。家にいる時はベタベタな青春モノ映画を二人で見て涙し、抱き合いながら眠りにつく。イメージで言うとクレヨンしんちゃんの「ミッチーとヨシりん」だ。

現実ではもちろん、そんな生活を送ってはいない。デートというデートをすることはないし、最近は屁の大きさを競い合い、互いに称え合うことにハマっている。イチャイチャの「イ」の字もない。
そんな関係ではあるが、婚姻関係は結んでいないので会話の中では「彼女」と呼ばざるを得ない。「彼女」と聞いて浮かぶイメージと現実の関係性のギャップが大きすぎるので、彼女と口にするたびに違和感しか感じない。正直「彼女」と呼びたくはないが、他に当てはまる呼称がないのでやむなくそう呼んでいる。

note上でも「一緒に住んでる彼女」と書きたくはないので、「同居人」と書くようにしている。「一緒に住んでる彼女」と書いてしまうと、ミッチーとヨシりんの生活が無意識に読者の頭に浮かび、記事のノイズになりそうでイヤなのだ。もし今後私が、読者を驚嘆の渦に巻き込むような知的で圧倒的な記事を書き上げたとしても、「一緒に住んでる彼女が言うには〜」みたいな文を入れただけで「でもこの記事、ミッチーとヨシりんが書いてるのかあ…」と読者を萎えさせてしまうかもしれない。

反対に同居人は私のことを「彼氏」と第三者に話す。これも照れくさい。同居人の友人に「うちの彼氏です」と紹介された時、どんな顔をして現れればいいのか。「どうも、私が彼氏です」みたいな顔ができないので困る。

もう「男」と「女」呼びでいいのかもしれない。間違っていないし、抽象的で良いかも。「コイツはいつも家にいる男です」くらいの抽象度で紹介されたい。




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