元校長先生のお話

これも正月に父方の実家に帰省した際のこと。

私の父方の祖父は昔、小中学校の教員だった。まだ新米のころ、山間にある小学校に赴任したことがあった。その学校の規模は本当に小さく、全校生徒が十数名しかいなかったらしい。

ちょうどその頃、学校にプールができた。25m2レーンの、これまた小さなプールではあったが、その山間部に住む地域の人たちが汗水流して子どもたちのために拵えたプールだった。

そこで祖父は、「この学校に通う子どもたちは毎日山を歩いて学校に通っている。ということは、足腰が強いに違いない。水泳を仕込んだら、きっと速く泳げるようになる」と思い、子どもたちに毎日毎日泳ぎを教えた。極端に言えば、通常の授業は午前中だけで終わりにし、昼からはずっと泳がせていたらしい。今の世の中でそんなことをしたら一発で問題になるだろう。おおらかな時代の出来事である。

で、祖父の読みは見事に的中した。学校対抗の水泳大会で祖父の小学校の子どもたちは、並み居る他校をやっつけて全種目で上位を独占し、周囲を驚かせたのである。祖父たちは興奮のあまりプールサイドを走って応援し、後で注意されたとか。それにしても、今までプールもなかったような、全校生徒数十名という小さな小さな学校に、他のマンモス校たちが完敗してしまったわけだから大変な評判にもなったし、祖父としてもその当時のことが一番印象に残っているとのことであった。

「水泳でも何でも、子どもたちに自信を付けさせてあげられる何かに集中する」というのが、祖父が語ってくれた教訓である。

数年後、その学校はいよいよ生徒数が少なくなって廃校になった。祖父はそれからも教員を続けた。時には夜中、宿直中に学校で麻雀をしていたのがバレ、上司に怒られて逆切れしたり、生徒の死亡事故や家族内でのトラブルを垣間見ることもあったりと、(当たり前だが)悲喜こもごもの教員人生を送った。

曰く、「何かをやらせたり、教えたりするだけでは子どもは伸びない。どんなに人数が少なくても、子どもたち自身が勉強に立ち向かっていけるようにしないといけない。教えたりやらせたりするだけじゃだめ、そんなことではいけない」と。最初のころは非常に厳しく、子どもたちから恐れられる教師だったそうだが、今はこのように語ってくれる。教員人生を通して磨かれてきた祖父の教育観がうかがい知れる言葉であった。

祖父の頭は白髪で真っ白である。私が生まれたときから真っ白であるが、ではいつから真っ白なのかというと、何と私の父が物心ついたころにはすでに真っ白だったという。祖父はひょうきんな人だし、私は教員時代の祖父を知らないので分からないが、ああ見えて大変な心労を重ねてきたのだろうと思う。

祖父はやがて校長先生になった。そして定年退職を迎え、今はただの白髪のおじいさんである。頭の中まで白くなりつつあると言うべきか、最近認知症が進んで、かなり物忘れが激しくなった。たまにしか顔を見せない私のこともちゃんと覚えているのかどうか、少し怪しいところがある。が、体は元気だし、この正月はまあまあ大丈夫そうな様子であったので多少安心した。

教員として、校長先生として、子どもたちや保護者の前で話すという経験を積み重ねてきた祖父なりの「話すコツ」は、

「その場で上手に話すというのは難しい。だから自分の思いを書き溜めておいて、こういうことを言おうかなとか、そういうのを準備しておく」
「偉そうに話したら、聴いている人の心は離れてしまう。だから自分が損をする。人に話をするときは、真っすぐに素直に思いを伝えることが大事」

というものだった。

じっさいに祖父が折々の場で行ったスピーチの原稿を読むと、すごくシンプルで分かりやすい言葉で、ユーモアも交えながら真っすぐで素直な文章が綴られている、という印象をもった。

腹の底から湧き上がってくるような、その人だけの言葉というものがあると思う。上っ面でない、飾らない、真に自分の腹の中から出てくるような、正直な本当の言葉というものがあると思う。祖父の原稿はそういう文章であると思った。静かな感動を覚えた。



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