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オムライス日記1

 大学三年生の春。僕は、吸い込まれそうなほどに大きな虚無感を感じながら、代わり映えのない日々を送っていた。朝起きて、宅急便の荷物仕分けのバイトに行って、適当にアニメや映画を観て、昼寝して、夕方は塾講師のバイトに行って、家に帰って寝る。その繰り返し。やらなきゃいけないことはたくさんあって、本当は大学院入試の勉強をすべきだったし、英語だってもっとちゃんと勉強するべきだったし、本もたくさん読むべきだった、と思う。

 けれど結局、「これだ!」と感じたあらゆる物に触れたとたん、中途半端に寒い空気は指先から染み込んで、身体の内側から熱を奪っていくようだった。何に対しても興味を向けられないまま、春霞の中にただ漠然とした将来の不安だけが漂って、そんな春先のぬるい大気は、僕の首を日ごとに締め付けていった。

 大学の春休みも残り十日ほどに迫った、風の強い夜。僕は急に思い立った。「何かアホで馬鹿馬鹿しいことをしてみたい」と。くだらなければくだらないほど良い。勉強の邪魔になるほどではなく、かといって簡単すぎもしない。人に話した時に、「何だそれ(笑)」と半分馬鹿にされながら、半分すごいと思われるような、絶妙なバランスを保った挑戦。そういうことをしてみたい、と思ってしまった。

 さっそく彼女に相談し、いろいろ話した結果、実に多種多様なアイデアが出てきた。「ふわっふわのオムライスを作れるようになる」「ラーメンを作る」「味噌汁を究める」といった料理系。編み物やレザークラフトなどの裁縫系。一週間くらい音信不通になって旅に出るという旅行系もあれば、ピアノやギター、果てはカスタネットやマラカスなどをやってみるといった楽器系の提案も出た。

 実に良い。カスタネットとか、究めたところでいつ使うんだろう、と思う。僕がプロのカスタネッターにでもならない限りは、飲み会での余興でしか出番がないんじゃないか(カスタネッターという職業があるのかどうかはさておき)。旅行は本当を言うと今すぐやってみたい。死ぬほど乗客のいない超過疎路線とかに乗って、何にもない、つまらないド田舎をあてもなく歩いてみたり、海岸沿いのカフェのテラスで永遠に海を眺めながら過ごしたりしてみたい。すべての連絡手段を断って、独りぼっちで過ごしてみたら、何か面白いことが起きるんじゃないかと、ひそかに思っている。僕は夢見る大学三年生なのだ。



 でも一番ビビッと来たのは、「ふわっふわのオムライスを作る」だった。真面目にやってみたら面白いんじゃないかと思ったし、それができるようになったら、いつか誰かを喜ばせることができる、というのも大きかった。結局、楽器も旅も自己満足でしかない。オムライスだって自己満足には違いないけど、誰かが言っていた気がするのだ。「料理が上手ということは、人を幸せにできるということだ」と。

 だから僕は今日からオムライスを作ってみることにした。これから三十日間、毎日オムライスを作る。「飽きない?(笑)」と彼女には言われたけど、たとえ飽きようが飽きまいが、僕にはもうオムライスを作るしか道は残されていないのだ。一度決めてしまった以上は、このオムライスの道、そう「オム道」を突き進むしかない。オムライスだけが、僕をこの退屈な春の空から、果てなき宇宙の彼方へ、まだ見たことのない世界へ連れ出してくれるに違いない。知らんけど。

 というわけで、僕はさっそく今日のオムライスを作った。

 ひどい。見ての通りの大惨敗である。百点を満点とした時のふわっふわ度は、たぶん五点くらいじゃないだろうか。 

 どうしてこんなことになってしまったのか。考えられる理由は二つである。一つ目に、玉ねぎが焦げ付いた状態のフライパンでそのまま卵も焼いてしまったこと。それによって卵にも焦げが付着し、見た目が悪くなってしまった。そして二つ目に、焼きすぎてしまったこと。おかげで卵のトロトロみがほとんど失われてしまった。もしかして中はトロっとしているかも……などと馬鹿げた期待を抱いて、一応包丁で切れ込みを入れたものの、卵がトロ~っと流れてくるわけもなく、ただぱっくりと割かれた分厚い卵のかたまりが二つ、むなしくチキンライスの上に鎮座することとなった。 

 そもそも「チキンライス」などとのたまっているが、実は使用したのはチキンではなくベーコンであり、チキンのチの字も入っていない。明日から鶏もも肉で挑戦すればいいと思うかもしれないが、何を血迷っていたのかこの大学三年生(あと三日したら四年生である!)はオムライスの材料をろくすっぽ調べることもないまま、ただ「オムライスを作る」という情熱にのみ駆られ、なんとベーコンを十二パックも買ってきてしまった。オムライスチャレンジの三十日のうち、実に半分近くの十二日間は、チキンではなくベーコンで我慢しなければならないのである。 

 だいたい、焦げ付いたフライパンで卵を焼こうという精神がどうかしている。そんなフライパンで綺麗に卵が焼けるわけがないのだ。どうしてその程度のことも予想しなかったのか?今振り返ると、我ながら謎は深まるばかりである。

しかし、こうして大真面目に(?)オムライスを作ったことによって、自分自身の弱点に気が付けたように思う。

 事前に下調べをしない。「これくらい行けるだろう」と思って先走る。そして、満足な結果を得られないまま終わる。「何とかなる」という楽観的マインドは生きやすさを支えてくれるが、それが「いい加減」な態度になってしまうと、何となく不本意で、まるで噛み応えのない麩菓子のような甘ったるい人生になってしまうのだ。これまでも自分のそういうマインドのせいで大勢の人に尋常じゃない迷惑をかけ、自分自身、大失敗したという経験を積み重ねてきた。だが、「じゃあ具体的にどうするか」ということまできちんと考えてこなかったのかもしれない。

 これからは、可能な限り下調べをしたり、事前に段取りや計画を組んだりして、しっかりと準備をしてから物事に当たるようにしたい。行き当たりばったりの人生ではなく、自分で作っていく人生を生きるのだ。


 オム道……実に味わい深い道である。

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