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美しく、美味しい料理を住民に食べてもらいたい😊

 私は、シアトルにある、老人ホームのレストランで、ウェイトレスをしている。
 ここのところ、「ウェイトレスとクックの戦い」、「クックのボイコット」、施設のボス、ベッツィーが「目障りな従業員を退職に追い込む」、このような事件が連日起こり、不穏な空気が流れている。

 つい最近、ディレクターに昇進したジャックは、ベッツィーのパペットだ。そのジャックが、我々の周辺をウロウロしている。ウェイトレスのリーダー、アンを監視しているらしい。
 アンは、クックのアラーナがキッチンを独裁し、住民の希望に応えていないことをベッツィーに報告した。ところが、ベッツィーはノーアクションだ。そこでアンは、本社にその事実を報告した。現在アンは、ベッツィーのターゲットだ。

 他の従業員が、ジャックのことをどう思っているのか、私は知らない。パペットの時点で興味がないけれど、私の印象は「へなちょこ」だ。
 アルツハイマーなど、特別なケアを必要とする人が入居する、メモリーケアに向って、カートを押していたときのことだ。カートには、15枚の大きな皿と、15の大きなマグカップ、1ガロンのジュース、シルヴァーウェアが乗っていた。
 ダイニングルームを出たところで、カートの車輪のひとつが、突然はずれた。カートが大きく傾き、1ガロンのジュースが床に落ちた。クランベリージュースが絨毯を真っ赤にしたけれど、どうにか体勢を立て直す。
 とはいえ、15枚の皿は異様に重い。外れた車輪の部分に、何か差し込みたいけれど、ひとりの力ではどうすることもできない。近くにいたロンが、
「ユミ!俺が支えとく!」
 大急ぎで来てくれた。
「ロン、あかんあかん!」
 足の悪いロンには重すぎる。
 ジャックが、この騒ぎに気付いて、ヘルプに来た。
「あら~、大変!」
「車輪を入れるから支えといて!」
 床に座り、カートを支えながら、車輪を押し込もうとする私にジャックが言った。
「あ~、重すぎる。もう、ダメ。ムリ。これ以上はムリ!手を離すわよ!」
「ノー!!!老人ががんばってるのに、ジャックが離したらあかん!」
 パペットジャックは手を放し、逃走した。ジャックの心は女性だけれど、力も根性もないのか⁉
 身動きが取れず、ひとりでカートを支えている私を見て、他の従業員が集まって来た。
「皿を他のカートに移して!」
 アンがカートを持って救助に来てくれた。
 この日以降、ジャックに対する私の印象は「へなちょこ」で「役立たず」だ。

 へなちょこで、役立たずのジャックは、昇進した途端、コロリと態度が変わった。わかりやすくて、腹も立たない。
「はーい!元気?」
 これまでは、大声で住民に挨拶しながら、ダイニングルームを通り抜けるだけだったジャックが、ひとりひとりの住民に声をかけるようになった。
「今回、ディレクターになったの」
 という報告も忘れない。
 ある日、張り切りまくっているジャックは、食事もせずに、うつ向いているメリリンに気付いた。
 施設内には、二人のメリリンがいる。ひとりは常に元気だけれど、こちらのメリリンは、普通か鬱かのどちらかだ。仲良しのキムがメモリーケアに移ってからは、うつ向いていることが多い。
「おはよう、メリリン」
 メリリンのドリンクは、アイスを入れた水と、彼女の好きなコーヒーだ。元気がない日は、砂糖を1袋、コーヒークリームを3つ入れてあげる。朝ごはんはイングリッシュマフィンとベーコンだ。焼き上がったイングリッシュマフィンにジャムを塗り、ベーコンを挟んで、半分に切る。
「メリリン、半分に切るから、お皿おさえてくれる?」
 少しでも役に立っていると気付くと、元気になることもある。
 「ありがとう」と言った後、うつ向きポジションに戻った時は、そのまま1時間は見守る。空腹を感じて、突然、食べ始めることが多いからだ。
 一方、ようやくメリリンの鬱に気付いたパペットジャックは、何も知らない。メリリンの傍に座り、ずーっと話しかけている。
「食欲がないの?部屋に戻る?」
 レストランに来て5分しか経っていないメリリンを、部屋へ連れ戻したこともある。
 メリリンの鬱に気付かないよりマシだけれど、メリリンの鬱は、今始まったことではない。彼女を心配することに疲れて、逃走する日は近い気もする。

 パペットジャックとは違い、心からメリリンを心配している人もいる。
 96歳の住民、ヴァージニアはそのひとりだ。
「ユミ、私にできることってあるかしら?」
 そう言うと、メリリンと同じテーブルについた。話しかけても効果がないとわかっても、ヴァージニアは食事をしながら、なんとなく一緒に時間を過ごしている。
 もうひとりの住民が、ドーリーだ。
 彼女も、メリリンを元気づけるために、同じテーブルで食事をするようになった。
 ドーリーには妄想癖がある。「誰かが盗聴した!」「誰かが鍵を盗んだ!」と言って、よく怒っている。多くの場合、疑いは従業員に向けられる。

 少し話は変わるけれど、2週間ほど前、住民のサンドラが亡くなった。
 サンドラは、とても静かな人だった。きちんとお化粧をして、お洋服と靴の色を合わせて食事に来る。
 朝ごはんは、フレンチトーストと水だ。亡くなる少し前から、時々、ジュースを注文していた。
 ウォーカーも使わず、ゆっくりだけれど、しっかり歩いていた。亡くなった日も、朝、昼、夕食、いつもと変わらない様子だった。
 夕食を終えて部屋に戻って2時間後、サンドラはたったひとりで旅立った。
「あぁ、疲れた。もういいや」
 そう思って、苦しまずに逝けたと信じたい。
 特におしゃべりをしたことはないけれど、サンドラがよく座っていたテーブルを片付けるたびに、彼女のことを思い出す。

 話はドーリーに戻る。
 サンドラのニュースを聞いて、驚かなかった人はいない。ドーリーも同じだ。けれども、我々とは違い、ドーリーには妄想癖がある。
「サンドラは殺された!」
 他の住民に吹いて回っている。
 キムに対しても、我々が何かをしたと疑っている。大切な友達に、悪い薬を盛られたメリリンが気の毒で、彼女のテーブルで食事をしているようだ。   
 私がドリンクサーヴィスへ行くと、
「ポイズン(毒)」
 下から私を睨みつけながら注文する。
「はい、毒の入ってないグリーンティー」
 いつものようにテーブルに置く。
 片付けに行くと、食事も終え、グリーンティーも飲み干している。空腹、喉の渇きには勝てないようだ。

 サンドラに続いて、新しい住民のダーリーンも亡くなった。ダーリーンは、入居してから1か月も経っていない。
 サンドラはもちろん、ダーリーンの死も、誰も予期していなかった。「なんで?」と思う気持ちは、ドーリーと同じだ。
 それでも、老人ホームで働くということは、こういうことだと改めて思う。誰の人生も、明日のことはわからないけれど、80歳、90歳を超えた彼らの場合、明日が来ない可能性は、私のそれよりもっと高い。
 多くの住民が、体の痛みと戦っている。生きているだけでも辛そうだ。とはいえ、自ら命を絶つこともできない。皆、がんばって生きている。
 サンドラは、最後の食事を楽しめたかな?ダーリーンの好きなメニューだったかな?
 
 生きているとつらいこともいっぱいあるけれど、死ぬより大変なことは、そうそうない。人生の終わりを目の前にした住民たちに、”今回”の食事が最後の食事になるかもしれない彼らに、
「わぁ、綺麗!」
「あぁ、美味しかった!」
 こう言ってもらえる料理を食べてもらいたいなぁ。

 私はもちろん、ベッツィーもジャックもアラーナも、いつかは彼らと同じ場所へ行く。
 因果応報、アンを応援して、自分の正義を貫くぞ💪

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