【シリーズ第73回:36歳でアメリカへ移住した女の話】
このストーリーは、
「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」
と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
前回の話はこちら↓
プチ鬱になっても、立ち止まるわけにはいかない。
怒りをエネルギーに変えて、グングン突き進む。
朝5時、同居人が出かけると、アパート付属のジムへ行き、ジョギングをする。
ランナーズハイになってやる!
学校へ行く前に、掃除や洗濯をする。
スッキリ!!
学校は、相変わらず英語のクラスだけれど、”石の上にも三年”とはよく言ったもので、シアトルに来てから、突然英語が聞き取れるようになった。
ようやく、英語で会話をすることが楽しくなってきた。
イェ~イッ😁
授業が終われば、レストランのバイトだ。
バイトのお楽しみは夕食だ!🍚🥢
お気に入りは鯖定食🐟
とはいえ、シカゴシックはそう簡単には治らない。
大好きなライヴやコンサートがない。
大好きなベーシスト(同居人)の演奏が聞けない。
何を楽しみにがんばればいいんだーーーっ!
シカゴを思い出すと、自動的に涙がこぼれ落ちる。
シカゴが恋しすぎて、免疫力が落ちたらしい。
珍しく風邪をひいた。
シカゴでも一度や二度は風邪をひいたと思うけれど、寝込んだ記憶はない。
二人で暮らし始めて、病気で寝込むのは初めてだ。
「風邪ひいたみたい」
「その風邪、どこでもろてきてん? 俺は知ってた!
お前が部屋に入って来た途端、胃の具合が悪くなった。
お前の症状とまったく同じや。俺には風邪やってわかってた!」
「・・・」
風邪って、こんな扱いをされる病気だったんだ。
風邪の出所なんてわからないし、わかったところで、何かが変わるわけでもない。
それに、私の知識では、風邪は瞬間的にうつるものではない。
「風邪って潜伏期間があるから、それは別の風邪やで」
「他の人には潜伏期間があるけど、俺に潜伏期間はない!
菌が入ったらすぐにわかる!
お前の症状と一緒や。これはお前の風邪や!」
ひどい・・・。
間違っていると思うけれど、体のことは本人にしかわからない。
本人が、風邪菌が体に入ったと感じるなら、感じるのだろう。
私にはどうすることもできない。
とはいえ、私だって好きで風邪をひいたわけではない。
滅多にひかないだけでも褒めてもらいたい。
私のことを病原菌のように見る同居人の視界から消えるために、とっととベッドに入ることにした。
こちらは、風邪をひいたことを怒られている気がしたけれど、どうやら思ったことを口にしているだけで、責めている気はないらしい。
張り切って看病をしてくれた。
半時間毎に寝室の扉を開けて、
「喉は乾いてないか?」
「お腹空いてないか?」
「スーパー行くけど、欲しいもんあるか?」
「ビデオ見るか?」
至れり尽くせりだ。
病原菌(私)は完全に隔離された。
「喉かわいた」
と言えば、ただちに水が運ばれてくる。
けれども、コップの受け渡しは慎重だ。
コップを受け取る時に、ちょっと指に触れてみたら、悲しくなるくらい、不快な顔をした。
「チョコレートが食べたい」
と言えば、スーパーへ行き、私の好きなブランドのチョコレートを買ってきてくれる。
しかも、食べやすいようにひと口サイズに割ってくれる。
どうするのかなと思ったら、かなり高い位置から手のひらにポトリと落とされた。
チンパンジーでも、もう少しマシな餌のもらい方をしていると思う。
子供の頃は、病気も悪くなかった。
姉や私が風邪をひくと、母は、家族が集まる、テレビのある部屋に布団を敷いてくれた。
ひとりにしておくのはかわいそうだと思ったのだろう。
体はしんどいけれど、いつも誰かが居たし、テレビは見放題、食事は部屋まで運んでもらえるし、特別扱いで結構幸せだった。
不安になったり寂しくなる要素など全くない。
あの頃は情報も少なかったし、世間の人も病気に対して暢気だった。
家族の風邪がうつっても、”そんなもん”と思っていたような気がする。
そして、子供の頃は、親の言葉がすべてだった。
「風邪なんか1週間も寝たら治るわ」
と言われたら、1週間で治ると信じていた。
お腹の調子が悪いな、と思っても、
「お腹が冷えたんやね」
母にお腹をさすってもらっているうちに、痛みは消えた。
怪我も同じだ。
擦り傷だらけで帰宅しても、
「こんなん唾つけといたら治るわ」
と言われれば、そんなもんかと思っていた。
指を数針縫う怪我をした時も、
「指があって良かったやん」
父に明るく言われると、
「良かったー!」
と思えたからすごい。
彼らの大らかな対応のおかげで、病気や怪我をしても不安になることはなかった。
けれども、彼は私と同じ環境で育っていない。
パパはいないし、ママは仕事で留守なので、看病をしてくれたのは、おばあちゃんだ。
おばあちゃんは、彼のことをとても愛していた。
けれども、危険な世の中を生き抜いてきたおばあちゃんが、これから厳しい社会で生きなければならない彼に、大らかで、優しい言葉をかけるとは思えない。
パパやママはもちろん、信用できる大人からの、
「大丈夫やで。すぐ治るで」
という魔法の言葉がなければ不安だろうな。
13歳からは、家出をしてひとりで生活しているので、病気になったら、もっと不安だ。
彼は、おばあちゃんがしてくれたこと、そして自分で見つけ出した治療と予防方法で、私を看病しているのだろう。
私を隔離することは、間違いなく一番の予防だ。
風邪にうつりたくない気持ちもわかる。
看病していただいてるだけでも有難いので、文句は言わない。
とはいえ、元気になってくると、食欲も出てきて、じっとしていられなくなる。
寝込んでいる間、彼はアジア系のカップ麺やスープを買ってきてくれた。
残念なことに、ここはアメリカだ。
私の求める味は手に入らない。
自分で作る味噌汁が飲みたい!
そして、味噌汁を作るためには、寝室から出なければならない!
さて、どうするか・・・。
味噌汁を作って飲むことは、悪いことではない。
けれども、これまで全力で病原菌を隔離してきた彼が、それを快諾するとは思えない。
味噌汁を作らせないわけではないけれど、思ったことはすべて口にする。
それが彼だ。
しかーし!私が求めているのは快諾だ。
ということで・・・
彼が買物へ行った隙にキッチンへ行き、味噌汁を作った。
・・・バレた。
発酵食品の味噌と、魚の出汁は思った以上ににおうらしい。
同居人の鋭い目が光る。
味噌汁を作っているだけなのに、コソコソするから立場が悪くなる。
わかっているけど、コソコソする。
それが私だ。
二度と風邪はひかないぞ💪
最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!