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日韓ハーフの独り言

はじめに

私の人生背景はとても複雑だ。純粋韓国生まれ韓国育ちの母親が仕事を機に日本に来て、純粋日本生まれ日本育ちの父親と結婚して、私が産まれた。母親は日本が好きで来たのか、お金を稼ぐために来たのか面と向かって聞いたことはないが、日本文化はあまり詳しくない。日本人の友人が学校にいたわけでもない。今でも母の日本語は韓国人が話す日本語だ。

2歳の時、父が亡くなった。父方の祖父母は父が幼い時に亡くなっている。私は日本生まれ日本育ちだが、日本の祖父母像を知らない。おばあちゃんの家にあるやつの当たり前が合わない。

こうして、家族の中で唯一の日本生まれ日本育ちの日本人が韓国人に囲まれて育ったわけである。K POPブームが来る前の韓国に何があったか、説明できる日本人は何人いるだろうか。多くはないだろう。韓国が脅威的な発展を遂げたのは2000年以降の話である。今有名な観光名所も、何もかもがなかった時代。

この状況で日本で私が暮らし、当然の如く差別にあった。朝鮮系の血が入っているからではない。純粋に「カルチャーショック」という言葉が人々に馴染みがなかったからである。言葉としても、経験としても。家族は日本の文化や言動を知らない。だから、私が幼くして学ばなければならない。適応しなければならない。混血児として生きるということはそう簡単ではなかった。

「アイデンティティは日本人なの?」

幼少期から英会話教室に通わせてもらい、家では韓国語、外では日本語の自動的トリリンガル生活を送っていた。小学生くらいまではそれがかっこいいと思っていたが、そう考えない人ももちろんいる。私は、意識しなければ言葉が混ざってしまうタイプの人間だった。今考えれば母音が少ないものを無意識に選んでいたんだと思う。例えば、「おっと!」より、「Whoops!」が楽だった。だから私は転けそうになったらWhoops!が出てくる。想像してみてほしい。今ほど英語教育が叫ばれていない2000年代前半、純ジャパに囲まれて唐突にWhoops!。普通に誰も汲み取ってくれない。しかし、唯一お母さんが英会話教師をやっている子が解説してくれた。私はその時「おっと」という語彙を知らなかった。

月日は流れ、私は韓国語の読み書きができないことに気づいた。聞いて理解できても、言葉が日本語ほど出てこない。だからもう一度外国語として学んで留学に行くことにした。そこで日本の大学に入学した韓国人の人とご飯を食べに行った時、アイデンティティの話になった。「アイデンティティは日本人なの?」と聞かれた私は固まってしまった。「私って何人なんだろう?」旅券は日本旅券、住んでいるのも日本。じゃあ一番話すのが楽な言語は?日によって違う。話すペースも話す説明量も性格も相手の言語能力とバックグラウンドによって変えている。じゃあ、私は何人?これをアイデンティティクライシスというらしい。アイデンティティクライシスは青年期に起きることが多いらしい。調べて後で知った。成人してるんですけど?

それに、私は韓国に来て初めて自分の漢字の漢字自体の意味を知った。日本ではあまり名前には使われない漢字で、ずっと「なんでこの漢字なんだ」と気にしていた。家族は漢字がわからないし、日本の漢字辞典を開いてもあまり名前に使う意味はない。しかし、中国語ではものすごくいい意味だと教えてもらった。おそらくそこから来たのだろう。やっと自分の名前を知れたと思った。漢字を変えようかと思っていた私は幸せだった。

結婚は韓国式?日本式?

大学生の私は何をとち狂ったかマッチングアプリを始めた。話せる言語欄にとりあえず3ヶ国語チェックして、あと大学の2外の中国語もチェックした。話しかけてくれる人の第一声はほとんど「たくさん話せるんですね!」だった。もちろん褒めて言っているんだと思う。(私観)ここで初めて、普通はそんな話せないのかと知った。同時に昔の記憶がフラッシュバックした。

「私の母親が韓国人だから、この先結婚したりして不利に働いたらどうしよう」

自分はマイノリティなんだと、初めて「マイノリティ」という言葉を通して痛感した。韓国人と結婚しようかとも思った。相手をみたいのに国籍が先に入る現実に嫌気がさした。それに、誰を責めればいいのかと思った。見慣れぬ外国人を好奇の目で見る気持ちもわかるからである。純粋に慣れてないのだ。(もちろん差別的な人もいるが)

それに幼少期のアニメの話も違う。幸い、私が今おつきあいしている人は私と同じディズニープラスを見ていたので話があった。アメリカナイズされた混血児としての幼少期、ここで話し合う人は初めてだった。嬉しさと同時に、混ざってなければ他の人とでも話が合うのかもなと悲しくなった。それに地方出身者で多少の違いには別に慣れていた。地方差と同視できるというのは新しい視点だったし、言われてみればそうかもと思った。

私は留学生?在学生?

韓流ブームはありがたい反面、大迷惑でもある。外国の人の想像する韓国は韓国ではない。外国の人の想像する日本が現実と違う側面があるように。留学に来た初月、私はものすごく苦しんだ。私は韓国人の家族を通して他の人より少し韓国に詳しい。そして、その部分に懐かしさを覚えていたりする。だから、お客様待遇の留学生扱いが余計しんどかった。自分の幼少期の思い出がある場所から締め出されたような気持ちだった。これもまた誰も悪くない。

「地元がたまたま韓国だっただけ」

この感覚になるために時間を要した。今でもまだ完全にはなっていない。だって、日本のいわゆる地元感わからないし。幼少期の思い出韓国語だし。

「みんなってお雛様飾る派?」

友人の用意してくれるアイスブレイクがほぼ異文化交流になるという異常事態を想像できるだろうか。例えば祝日関連。うちには言わずもがなひな壇も兜も鯉のぼりもない。嘘、鯉のぼりはスーパーでお菓子についてるの昔買ったわ。他にも、「お母さんの振袖リメイクしてもらったの」というセリフ、うちの母は振袖を着ていない。韓服しか着てない。着物は買ったのがあるが、訪問着がなぜかド派手。韓国カラーチョイス。ずっとどう返すのが正解なのかわからなかった。だから濁して逃げる。アイスブレイクどころかアイスバーン。

最大の違い、食文化

個人的に一番苦労したのが食文化とにおいだ。例えば、韓国のお弁当と日本のお弁当は全然違う。幼少期、子供からしたら見慣れないものを食べる私は完全に変な人だ。露骨に言われる。だからか、私は成人した今でもお弁当が食べられない。においで吐いてしまう。加えて、日本食はにおいがあまりしないものが多い反面、韓国は全然においがきついものが多い。普通にくさがられる。ものすごいコンプレックスだった。考えてみてほしい。自分の親の手料理をゲテモノのように扱われたらどんな気分だろうか。おかげでキムチもいまだ食べられない。

おそらく、インターや混血児の多い環境であれば特に言われなかったのかもしれないが、日本は近くで転校する人はあまり多くないので入ってみて今更変えることもできない。まさか入学時に外国人の割合なんて聞けない。誰が教えてくれるんだ。でも、そういった情報なしに子供の環境を多様化しているところに整えるのはかなり難しい。

最後に

カルチャーショックをたくさん書いただけになってしまったが、これはほんの一部に過ぎない。私はトルコ系移民の子と自分のhomeについて話し、移民と同じ状況なのだと気がづいた。そして、誰も助けてはくれない。不親切だからもあるかもしれないが、それ以上に「わからないから」だ。

私は自分の将来を考えた時、言葉の面でも、混血児や国際系の仕事に就くのが自分が楽だと思った。純日本の会社でアルバイトやインターンをしたが、あまり合わなかった。かといって外資過ぎても合わなかった。だから、自分のバックグラウンドに理解のある人が多い会社に入ってマイノリティから脱却したいと思った。悲しい理由だと思う。

ぱっと見似ているアジア系の混血児。でも、文化や習慣は大きく違うのである。個人的にだが、安易な考えで国際結婚を選択しないでほしい。子供が背負うものが多すぎる。私はもちろんここに書いたことを家族の誰にも言ったことはない。私しか混血はいないのだから。



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