「どうする家康」第47回「乱世の亡霊」 少女の無垢な願いが呼ぶ乱世の悲劇
はじめに
乙女心…この言葉を聞いて何をイメージされるでしょうか?甘酸っぱさ、いじらしさ、恥ずかしさというストレートなものでしょうか?それとも複雑、面倒、わからんとネガティブなものでしょうか。乙女心は、人類の長きに渡る謎です。四大文明期のエジプトのヒエログリフにも、そのいじらしさや厄介さが描かれているとか。
いずれにせよ、乙女心を抱える当人たちにも、乙女心に疎い私のような周りの人々にも持て余すものではあるようです。
その乙女心をある意味、純粋に保存し、それゆえに拗らせてしまったのが茶々です。一般人であれば、大きな問題にはならないでしょうが、彼女は天下人の息子を産んだお袋さま(大野修理)、彼女の言動は天下を巻きこんでしまう。その顛末が、47回の軸になっています。
一方、今回は、冬の陣の和睦から夏の陣への開戦に至るまでが描かれました。何故、一旦は収めた矛を再び抜くことになるのか。そこには、古今東西言われてきた、戦は起こすより収めるのが難しいという問題が横たわります。
そこで、今回は茶々の乙女心の正体とそれが招いたことが、夏の陣へ突き進む豊臣家の人々とどう関わっていくのかを考えてみましょう。そして、その現実を家康がどう受け止めるかが最終回の鍵になってくるでしょう。
1.偽りの和議の中で燻るもの
(1)阿茶と初の駆け引き
オープニングは、信玄、信長、秀吉、茶々といった乱世を望んだ人々がぐるぐり回る中、中心から顔のわからない黒ずくめの武将と暗雲が浮かび上がるというものです。この乱世を生む武将が誰なのか…というのが、今回のテーマの一つですが、これについては後述しましょう。
さて、冒頭は前回の引き、カルバリン砲による砲撃という家康の苦渋の決断とその結果、崩落した天井から茶々が千姫を庇うシーンからです。
失神した茶々の脳裏に浮かぶのは、少女時代の自分の熱心な御百度参りです。ここでは時期やその対象は明らかにされませんが、「ご無事でありますように」と三度繰り返した後に、石を置いて更に三度「ご無事でありますように」と念入りに願う様、置かれた石の数の多さから、無事を願うその人への思いが一方ならぬ激しいものであることがわかります。
また死ぬかもしれないという際に思い浮かべることが、母お市でも秀頼でもなく、その方についての思い出だということにも、その強い思いこそが茶々の原点であり、未だにそれに縛られて生きていることが示唆されていますね。
そして、千姫の呼びかけに目覚めた茶々は、彼女の顔を見ると一も二もなく「お千や、大事ないか…」と母の顔を見せます。前回、note記事でも触れたように、茶々にとって、幼き頃から豊臣家に嫁いできた千姫は嫁であると同時に妹から預かった我が子同然の娘なのです。豊臣の嫁として厳しくしつける一方で並々ならぬ愛情を注ぎ込んだのでしょう。
息を吹き替えした義母に泣きじゃくる千姫にも、それをそっと抱き締める茶々にも通い合う情が感じられますね。そして、このわずかな一幕から、茶々にある母の顔と少女の顔の両面が察せられます。
何はともあれ、茶々まで怪我を負った今、戦を続けられるわけもなく…相変わらず写経を続ける家康の前で正純「和議に応じるそうでございます」との報告がなされます。
加えて、千姫無事も伝えられると、秀忠は安堵の表情を浮かべ、家康もまた「何よりのことじゃ…」と本音を漏らす家康。そんな家康を一瞥する秀忠の胸中は複雑でしょう。千姫を砲撃にさらしたのは家康自身であり、それを止められなかった秀忠です。一方でそれを命じるしかない家康の胸中が苦しかったことも理解はできる。どちらが強いかで秀忠の言動も変わるかもしれません。
家康は、有能なネゴシエーターでもある阿茶に「肝要なるはただ一つ、二度と大阪を戦えなくすることじゃ」と方針を伝え、和議を託します。つまり、資産や収入、兵力や人材を削いでいくことが重要です。家康からすれば、これを見せしめとすることで戦の根絶をはかりたいのです。
しかし、城郭の立体地図を見下ろす正信の難しそうなには、この先の戦の収拾こそが難儀であることが察せられます。
額に傷を負った茶々の元へ妹の初がやってきます。和睦交渉の豊臣方の全権使者を任せるため呼び寄せたのです、
「なんで私が…」と言いかけたところで大野修理から「お初さまは京極家に嫁がれ、徳川とも縁ある方、この役目是非お引き受けいただきたく」と強引に迫られ「あのう…」と口を挟もうとしますが、これまた修理に遮られ、豊臣方の願う和議の条件が示されます。せっかちな豊臣方の空気に引きずられてしまうのんびり屋で穏やかな初は、一見、頼りなさげに見えます。
それもあってか、茶々は「お初や、相手の阿茶というおなごは狡猾ぞ!」と忠告します。茶々と阿茶には因縁がありますから、人物評は辛辣です。一度は名護屋城にて家康をたぶらかそうとするところを絶妙なタイミングで邪魔され、二度目は関ヶ原の戦いに秀頼を送ろうとする企みを理路整然としたやり口で阻止されています。いずれも茶々が阿茶にしてやられたという体であり、関ヶ原の折には悔し紛れに、茶々の面前へ二度と来ないよう出禁を言い渡し、帰り道に気をつけろとの捨て台詞まで言っています。
その出禁にした女性が14年ぶりとはいえ、いけしゃあしゃあと和議の交渉にやってくるのですから、茶々がまなじりを上げて、「菓子だの持参していいように丸め込もうとするやもしれん。一切その手には乗るな。良いな」と釘を刺し、警戒するのも無理はありません。
案の定、山ほどの菓子を並べたて、満面の営業用スマイルを称えて阿茶が交渉の席につきます。対する初は、姉の忠告などどこ吹く風。甘いものに目がなく、卿された饅頭を美味しく堪能しています。
彼女の後ろでは大蔵卿局が不安げな表情で控えています。大野修理の母であり茶々の乳母であった彼女は、当然、初についても昔から知っているはずで、おそらく、のほほんとした初が徳川方に呑まれてしまうことを危ぶんでいるのでしょうね。
因みに台詞もないこの役に大竹しのぶさんが配されているのはサプライズですね。おそらく、大河ドラマ「徳川家康」(1983)で於大の方を演じたからでしょうか。そう言えば、前田利家を演じた宅麻伸さんは「徳川家康」(1983)では信康を演じていました。古い大河ドラマファンにはちょっとしたサービスになっていますね。
さて、その初、饅頭を頬張り、満ち足りた顔をしながらも「あのう…申し上げた三つのこと、約束してもらえませぬか、でないと、私は…」といきなり下手に出ます。居丈高に恫喝する姉とは正反対ですが、相手から自分がどう見えるかをよくわかった上での弱々しそうな振る舞いは、狡猾でしょう。
因みに「申し上げた三つ」とは、「1.豊臣家の所領安堵」「2.秀、茶々を江戸に出さぬこと」「3.浪人たちに所領与えること」の三つです。
阿茶は、1と2については快諾し、初も安堵の顔をします。しかし「浪人たちに所領与えることは到底、無理なお話」と3つ目は突っぱねます。家康からの厳命は「二度と大阪を戦えなくすること」です。大阪の陣では、豊臣に味方する大名はいません。ここで、浪人らに所領を与えれば、豊臣シンパの大名を作ることになり、また彼らに戦を行うだけの収入を与えてしまいます。ですから、ここは譲れないところです。
初は穏やかに「姉に叱られてしまいます…」と泣き落としをしかけ粘ります。なかなか狡い人ですね。京極家でも上手に旦那をコントロールしていたろうと察せられます
阿茶は少し思案げな芝居をしながら「せめて、罪に問わず召し放ちというのが精一杯かと…」と仕方なあなぁという雰囲気で譲歩案を出すのですが、ここからが阿茶の真骨頂、「ただしお堀を全て埋め立て本丸以外は破却するということならば…」とズバリ、徳川家の一番の目的、大阪城を丸裸にするための提案を切り出します。
通説においては、家康が和議を望んだのは難攻不落の城塞都市、大阪城に難儀したからで、落とすには堀を埋めるしかなかったとされます。徳川にしてみれば、本拠地、大阪城の無力化こそが第一義だったのです。
阿茶が上手いのは、一番欲しい和議の条件を最初から切り出さなかったことです。大阪城の無力化をいきなり切り出せば、突っぱねられるのは自明です。こちらの真意を悟らせないよう、相手への譲歩案の付帯条件というオマケに見せかけたのですね。確かに茶々が警戒したとおり、やはり阿茶は狡猾ですね(笑)
阿茶の提案に初はあっさり頷きます。カメラは、頷く初をなめて、不満げな大蔵卿局を捉えます。初が徳川に呑まれたかに見せる演出です。しかし、初は「では、お堀を埋めるのも本丸以外を破却することも豊臣にお任せくださるのならば」と逆に豊臣主導でそれを行う条件を提案します。豊臣任せでは、大阪城の無力化はいつになるかわかりません。
すかさず阿茶は「お堀を埋めるのは徳川がお手伝いいたしましょう」と、さも親切そうな物言いをしますが、初もこの程度の腹は読めます。「いえ、豊臣のことは豊臣にお任せくださいませ」ときっぱりと返します。初は大阪城の扱いの主導権を握るだけでなく、豊臣は徳川の配下ではないことまで明言してみせたのです。
直後に挿入される大蔵卿局の意外そうな顔は、のほほんとした初の交渉力が確かなものであったことへの驚きです。手強い相手に阿茶は愛想笑いを崩さぬままです。
因みにこの阿茶と初の交渉は、小津安二郎風のカメラワークがなされ、対面しながらもその駆け引きゆえに微妙に噛み合わない緊張した交渉を表現しています。
意外な難敵に「のんびりしてそうに見えてなかなかに賢いお方にございました」と渋い顔の阿茶ですが、より狡猾な正信は「ま、堀をどっちが埋めるなんざどうにでもなりましょう。城さえ丸裸にすれば、もう戦えませぬ」と、堀埋めさえ始まってしまえば、あれやこれやと言い訳をつけて、徳川が埋めてしまえばいいと言います。これには正純は素直に「自ずと豊臣は無力となり、後は我らに従うのみ。再び抗うほど愚かではありますまい」と父の言葉を補足します。
理屈は正しい…か、人が往々にして賢明な判断をくださないものであることは、「どうする家康」で度々、描かれてきたことです。
陣中に雪が降ってきます。高齢かつ時折、咳き込む家康を皆が案じ、和議が成れば暖かい駿府へ変えるよう勧めます。「だがな」と言いかけた家康に「お帰りなされ、後は我らで十分」と声をかけます。もしかすると、秀忠は家康の健康を気遣うのみならず、これ以上、家康の手を汚せないと思ったのかもしれませんね。
(2)大阪城の燻る様々な情念と秀頼
その後の和議によって、、城の破却と堀の埋め立ては二の丸が豊臣家、三の丸と外堀は徳川家の持ち分と決められました(阿茶は初から何とか折衷案までには持ち込んだのですね)。しかし、阿茶と初の駆け引きを見るように、徳川と豊臣の主従関係をどうするのか根本的な部分は先送りになっています。実質的に勝利は徳川にあるため、和議の内容は徳川優位の条件ですが、豊臣家は敗北を認めたわけでもなければ、徳川の配下になると決めたわけではありません。
相変わらず、天下を窺う姿勢を崩していません。ですから、自分たちを不利にするような、堀の埋め立てや破却は遅々として進めません。家康の名代である本多正純は、業を煮やし、豊臣の持ち分の埋め立ても行おうとします。当然、大阪方の浪人たちは「内堀はわしらがやる取り決めじゃろうが!」といきり立ち、揚句、「徳川卑怯なり、くそ狸が!」と抜刀、一触即発の状況へと陥ります。
そこへ「やめい!」と割って入ったのは修理です。といって、浪人たちを抑えたのは正純の味方をしてのことではありません。「埋めたければ埋めさせてやれ、後から掘り返せばよい。徳川が卑怯なことをすればするほど、我らの味方がどんどん増える」と彼らの戦ムードを煽り立てるために来たのです。和議がなったに以上、家康の名代でもある正純が、こうした挑発に乗るわけにもいかず、修理のアジテーションを苦々しく見る他ありません。相手が手を出せないとわかっている修理は調子に乗って、拳を握りしめ突きだすと「諸国の同志が集まってこようぞ!」と気炎を吐き、浪人たちの士気は高まります。
無論、大野修理は自分の意思など持ち合わせていません。彼は茶々のスポークスマンのようなもの、つまり修理の行動は茶々の意思そのものです。召し放つ約定の浪人たちを留め置き、和議を履行しないのも茶々の意向ということになります。
それを危惧する寧々は茶々の元を訪れ、「和議が相成った上はもう抗う意思はないと徳川にしかと示すべきだに」と説きます。寧々は、この和議が豊臣家の実質的な敗北であることを見抜き、弱った今ならば茶々を説得できるかもしれないと思ったのでしょう。
そのことは、「浪人たちは召し放ったほうがええわ。あの者たちは己の食い扶持のために集まっとるに過ぎん」という言葉に表れています。大阪の陣では、かつての豊臣恩顧の大名家が全て徳川家に尽きました。黒田長政など裏切りの可能性を危険視された者は江戸に留め置かれたものの、彼らの子息は徳川勢として参陣しています。
確かに、多くの浪人たちが集い、その数は10万になり、その数そのものは侮れません。豊臣家に心から臣従する者たちではないその軍勢は、己の欲望のために集まっただけの烏合の衆。かつて秀吉が九州征伐や小田原征伐で率いた無敵の豊臣軍とは別物なのです。そのような軍勢を豊臣家の力だと思うのは、錯覚であると寧々は指摘するのです。つまり、寧々は、大阪の陣とは、豊臣家が天下人としての求心力を失ったことを世に知らしめただけである、そのことを見抜いているわけです。
ただ、その豊臣家の凋落は、寧々や秀頼のせいではありません。時代の趨勢が、運の強い徳川家に移ってしまった。ただ、それだけのことなのです。かつて織田家から豊臣家へと権勢が急速に移り変わっていったときと同じことが起きているだけ。それを秀吉の妻という当事者として見てきた寧々にはよくわかるのです。
だからこそ、「秀頼を見事な将に育ててくれたこと、そなたには感謝しとる」とその労をねぎらい、茶々の顔を立てた上で「なれど、今の豊臣家が徳川にかわって天下を治められると思うか?」と豊臣家の置かれた現状をよく見なさいと諭すのです。
不貞腐れたように聞いていた茶々は痛いところを突かれると「また乱世に戻っても…」と続ける寧々の言葉を遮って「豊臣の正室であるお方の物言いとは思えませぬ!」と悔しさに涙目になりながら叫びます。
駄々をこねるようなその物言いに寧々は、静かに「そなたは豊臣のためにやっとるのか?」とぴしりと返すと「何のためにやっとる?そなたの野心のためではないのか?」と図星を突きます。正室としての洞察力と貫録で静かに叱るのです。
寧々にとって、茶々は監督すべき側室であると同時にお市から預かった娘の一人でもあるのでしょう。その眼差しには、母のような慈愛が宿っていることは見逃せません。通説にあるような、正室と側室の対立という安易な図式にしていないことで、寧々の人間性が際立ちますね。
茶々に手を出す秀吉は揶揄しても、彼女を恨むようなことがなかったのは、娘として見ているからなのでしょう。そんな義母のごとき正室の思わぬ叱責に、茶々は悔しさを滲ませながらも言葉を失います。
寧々はすかさず、「その野心を捨てれば、豊臣は生き残れる」と核心を言葉にすると「秀頼を…豊臣を守ってくりゃーせ、このとおりだわ」と茶々の母としての心に訴えかけ、懇願します。正室でありながら、子を産めなかったばかりに秀吉の死後は蚊帳の外になってしまった寧々。そうなっても茶々らに異議を唱えるでなく、茶々の顔を立て、苦言を呈しながらも彼女の判断に豊臣の運命を委ねる。並の胆力ではありませんね。だからこそ、彼女こそが、私欲なく豊臣家を真に案じているということは茶々にも伝わります。
だから、茶々は怒りを収めると伏し目がちに「私は世のため、この国のいく末のためにやっております」と本音をポツリと漏らします。土下座していた寧々は、茶々の安寧を願うという意外な言葉に「え?」と驚いた顔をしますが、その驚きは茶々の言葉にその場しのぎの開き直りではない、真心が含まれていることを察したからでしょう。それゆえ、彼女は茶々の説得を諦めるのですが、茶々の真意は誰も知りません。おそらく秀頼さえも。
安寧を願う寧々と茶々の二人の会話の最中、時折、挿入される秀頼の様子は不穏で意味深な空気を漂わせています。まず、寧々が浪人の召し放ちについて言及したときに挿入されたのは、庭に集まる浪人たちを見る秀頼です。その視線の先には、戦の話をして盛り上がる浪人たちの活気と楽し気な雰囲気があります。長年、雅やかな大阪城の中で生きてきた秀頼にとって、彼らの生き生きした姿は新鮮に映ったことでしょう。しかも、こんな躍動感あふれる彼らは自分のために集まり、今もそのためにいるように若い秀頼には見えています。
そして、寧々と茶々の話が終わった直後に秀頼が見ているのは、一人もくもくと武芸の鍛錬に励む真田信繁の姿です。一心不乱に槍を振るうその姿は、まさに武士の鑑と言えます。そんな信繁は、秀頼の視線に気づくと爽やかに微笑みます。陽の光に照らされた信繁の姿、先の戦いで徳川を苦しめたその武勇、これこそが理想の武将のように見えただろうと思われます。
寧々との会話は、茶々に母としての思いを気づかせ、徳川との戦いを諦めるか否かを悩ませますが、その一方で秀頼は、母の預かり知らぬところで、戦に集う侍たちの新鮮な活気と雄姿に徐々に毒されていっているのです。それは、元々、茶々の望んでいたことであり、謂わば目論見通りの成長です。しかし、茶々が思い悩み始めたことと反比例するように、秀頼が戦へ惹かれていっていることは皮肉なことです。
ところで、秀頼がこうも安易に戦に惹かれてしまうのは、戦が持つ業深さを彼が知らないことも大きく作用しているでしょう。先の戦でも結局は大阪城内で座っているだけで、直接指揮を執るでもなく、また実戦に出て人を殺したわけではありません。戦の恐ろしさを知らぬまま、カッコよく見える信繁たちを眩しく眺め、ああなりたいと憧れを抱いているのです。
まして秀頼は、知略においても武芸においても才のある万能の人。人間という者、自分が持っている能力は振るいたくなるものです。憧れは自分が武勇を振るうことへとつながっていきます。大阪城に集う浪人らに触発され、彼は内心、うずうずし始めているのでしょう。
実戦を知らないということで言えば、実は秀忠も同じです。家康自身は、人を殺す術を知らんでもいいと言っていますが、それは実際に人を殺したときに生じる業を背負わせたくない親心です。ただし、彼は秀頼と同じ道を歩むことはありません。彼が大阪の陣で見たのは、尊敬する父がもたらす戦の凄惨さと醜さと愚かさです。戦の負の部分を、家康によって教えられることになった彼は、戦に憧れはしないでしょう。
どこまでも対照的な秀忠と秀頼ですが、秀頼の不幸は戦を好む者たちばかりの中にいるため、誰も戦の恐ろしさと醜さを教えなかったことにあると考えられますね。
2.家康の諦観と茶々の憧憬~安寧を願う二人の心~
(1)家康が滅ぼしたいもの
豊臣と徳川の一触即発の状況は続く中、それを憂いた初は両家を取り持とうと家康のいる駿府へやってきます。菓子でもてなされた返礼か、初の土産は「丹波の小豆でこさえたぼた餅」…丹波と言えば、ああ、大納言小豆ですね、阿茶が嬉しそうに「まあ、たいそうなものを」と応えるのも当然です。それにしても、今回の「どうする家康」は和菓子好きには目の毒ですね(笑)
そこへ江が江戸からやってきます。意外な姉妹再会に共に目を輝かせる二人ですが、江から会いたいだろうからと招かれたと聞いた初は、すぐにそれだけのことではないと察すると「そうような理由で?」と阿茶に家康の真意を問います。いやはや、たった二話ほどの登場だというのに、初は知的なキャラがしっかり立っていますね。
その家康は相変わらず、自室で写経を続けています。大阪の不穏な状況を正純から報告を受けている最中です。家康と共に聞く正信は「大阪は静まるどころか、一層危うくなったようで、あーあ…」と、残念だけれど予想通りになっていましたなと家康の気持ちを代弁するように言います。正純は、膨れ上がる浪人の多さに「戦を飯の種にしおって!不届き千万!」と苛立ちます。
そもそも、家康たちは貧しいから戦をしたのです。そして食うためにあるときは臣従し、また裏切ってもきた…それが戦国の世の根本でした。正純の言葉は、食うにも困った苦しい時代を知らない次世代ならではの台詞です。武士とは志に生きるものだと思える時代の武士なのです。
家康は昔の自分たちを知っていますから、正純の言葉に「飯を食うために戦をする奴はまだいい。米を与えてやればよい」と答え、その者たちは為政者が豊かにしてやる、つまり政治をもってなんとかすべき人たちなのです。しかし、家康は、人間が貧しさからだけで戦をするわけではないことを知っています。だから、「誠に厄介なのは…」と核心について語ろうとする家康をカメラは、柱をナメて、その背中を捉えるように撮り、家康の体験から来る言葉を印象つけようとします。
そして、槍を交える鍛錬に励む信繁と後藤又兵衛を挿入すると、「ただひたすら戦うことそのものを求める輩じゃ」と言い切ります。そう、ただ戦をしたいだけの人間が世の中にはいるのです。「乱世を泳ぐは楽しきこと」と語る信繁がそうですし、真田家が属した武田家がまさにそうでした。思い返せば、瀬名の慈愛の国構想が脆くも崩れ去ったのは、武田勝頼の「仲良く手を取り合って生き延びるくらいなら、戦い続けて死にたい」(第24回)という言葉でしたね。
家康は事あるごとに、その「戦無き世」の理想を、そうした戦を好む者たちによって破られてきました。その多くの実体験が、家康に苦々しげに「百年にわたる乱世が産み出した恐るべき生き物…」と言わせます。最初は貧しさから戦っていったはずが、そこに悦びを見出すようになり、その刺激がなければ生きていけなくなる…戦の高揚感とは麻薬のようなものなのです。
そうした戦を好む連中から身を守り、ときには併呑してきた家康ですが、そういう強い家康を恐れ、また彼に挑む者がいて、戦は終わる気配を見せません。結果的に、そして知らず知らずのうちに、戦嫌いの家康もまた戦がないと生きている実感が得られない人間になってしまいました。それが「乱世を生き延びた貴方こそ、戦乱を求むる者」(第43回)で指摘されたことです。彼は骨の髄まで戦国大名…それは豊臣方に自身を恨む多くの者が集まっていることが何よりの証拠なのです。だから「今やわしもその一人なんじゃろう」と自嘲ぎみに答えます。「そんな…」という表情で着座する正純を尻目に「それが滅ばぬ限り、戦はなくならん…」と諦めたように呟きます。
家康は「ただひたすら戦うことそのものを求める輩」と共に滅ぶしかない自分を覚悟しています。つまり、戦乱の世の終わりとは、家康が臨終を迎えるその時なのです。だとすれば、家康は生きて「戦乱の世の終わり」を見届けることができないということになりますね。そんな家康を伏し目がちにじっと見守るの正信ですが、このところ正信はこういうシーンがひたすら多い。これは、家康の代わりに戦乱の世の終わりを見つめるのが正信ということではないでしょうか?
そこへ京より書状が届き、浪人たちが火を放ち不穏な動きをしていることが伝えられます。この報せは、先日亡くなられた名優、鈴木瑞穂さんが「葵 徳川三代」(2000)にて、演じられていたキャラクター、京都所司代:板倉勝重からのものです。筆を止める家康に、正信が「やはり起きましたな、あーあ…」とまたもその心を代弁します。
戦が起こらぬように手を打てば打つほど袋小路にハマっていきますが、この戦は既に一度起きたもの。簡単に収まりません。「一度火が着けばもう止められん…恐ろしい火種が…」(第43回)と自身の戦を望む心に戦慄した三成の台詞が全てを語っています。家康は三成の言葉の正しさを思い返したかもしれませんね。それでも、家康は「戦無き世」のために打つべき手を打つより他ありません。
家康は京からの書状を初に見せ、「最早、和議を反故にしたとみなす他ない」とどんな駆け引きも通じない事態になったことを告げ、わざわざ立ち上がって初の元まで進み出ると、傲岸と見下ろして「我が軍勢をもって、豊臣を攻め滅ぼす」と言い放ちます。当然、これは脅しですが、それがわかっても「お待ちくださいませ、浪人たちが勝手にやっていることと存じます」と追いすがるしか初にも手がありません。
その言葉に「ならば、今すぐに浪人たちを召し放ち、大阪を出て、大和伊勢あたりの大名となり、我が配下となることを受け入れてもらわねばならぬ」と、この大阪の陣という戦の真の目的、豊臣の徳川への屈服を突き付けます。ここまでせず、武家の棟梁と公家の住み分けで済ませたかったのが家康の本音でしょうが、結局は事態の先延ばしに過ぎません。戦国の世に対等はありません。何らかの形で上下関係をはっきりさせるしかないのです。それは、信長が同盟相手の家康にしたことであり、また秀吉が家康を大阪へ呼びつけ最敬礼させたことと同じことです。歴史は繰り返すのですね。
家康の言葉に進退際まった初は神妙に「説き聞かせまする、私が」と答えます。妹の「私が」という言い方に彼女の決意が見えます。そんな姉の決意と家康が駿府に自身を呼び寄せた真意を察した江は、初と二人して茶々の説得に当たることを申し出ます。勿論、この申し出は千姫を心配する親心からのもの。そのあたりを少し算段する様子の家康に、阿茶が、千姫の母なら説得に好ましいと口添えします。阿茶は江の親心、そしてそれに期待したい家康の本音を汲んでの助言です。やはり出来た人ですね。
そして、静かに家康は「これは…最後の通達であるぞ」と初と江に念押ししますが、それは自分自身に言い聞かせてもいるのでしょうね。
その頃、茶々は、秀頼の成長を刻んだ柱をなでています。愛らしい幼少期から立派に成長していく様を思い返しているのでしょう。その親心に響くのは、「秀頼を…豊臣を守ってくりゃーせ」という言葉と「その野心を捨てれば、豊臣は生き残れる」という寧々の言葉です。寧々の真心、その理屈の正しさがとうに分かっているのでしょう。
しかし、野心を失うことは、あの日の「母上の無念は茶々が晴らします。茶々が天下を取ります」(第30回)という約束を捨てることです。彼女のこれまでの半生を支えた信念を捨てることに踏ん切りがつきません。何故なら、その約束をした信念の裏にある想いがあるからです。それは後に妹たちから明かされます。
茶々は自身の願いに想いを馳せるように見上げると、今度は柱に刻まれた秀頼の存在を確かめるように柱を見つめます。彼女の心の揺れが窺えますね。
(2)女性たちの願い~寧々の想いと茶々の憧れ~
のっぴきならない事態になり、家康は幕府軍を率いて、京の二条城に入ります。豊臣家を徳川家の臣下とすることで事態を平和的に打開する、その最後の機会だけに、再び寧々に力添えを依頼します。しかし、寧々は「私にできることは、もうありゃしません…茶々に伝えるべきことは伝えましたに」と寂しく笑います。豊臣を守りたい彼女は、家康に言われるまでもなく最善は尽くしました。
しかし、「世のためにやっとるとあの子は言いました」と頑なに何かを信じる様子の茶々にかける言葉を失ってしまったのです。因みに「世のためにやっとる」との台詞の際、画面は初と江がそれを聞くショットになります。これは、この言葉に茶々の真意が隠れていることを、妹二人だけが気づくからですが、細かい演出ですね。
茶々の言葉に真実があることに気づいた寧々ですが、一方で「なれど、心の中は揺れ動いとるんではねぇか」と無理をしていることも指摘します。次に戦を起こせばどうなるかは分かっているだけに「自分はともかく、秀頼を死なせたいと思っとるはずはない」と母としての茶々は信じられると言うのです。
この台詞の最中に、大阪城にて家臣たちと打ち合わせをする秀頼を見上げる茶々の映像が挿入されるのですが、このシーンの北川景子さんの芝居は印象的です。茶々は秀頼を見上げ、初めは息子の行く末を心配する母の表情をしているのですが、そのうちテキパキ働く秀頼に見惚れるようにじっと見つめ出します。つまり、茶々の秀頼への情は、息子を思う母としての想いと、その息子に自分の理想を重ねる少女の想いが同居しているのですね。その繊細にして、微妙なところを北川景子さんが見事に演じています。
この印象的な秀頼への眼差しが挿入された後に、寧々の「本音ではこないだの戦で気がすんどるんではないかと。なれど、あの子の中の何かがそれを許せんでおるんだわ」という台詞が連ねられます。「何か…?」と思わず訝り首をわずかにひねる家康の言葉で、茶々の中の「何か」がクローズアップされ、それが先に挿入された茶々の眼差しとつながっていることが視聴者には見えてきます。
しかし、茶々を「あの子」と呼べるほどに彼女の苦しみを察する寧々をしても、茶々の秀頼への複雑な想いにまでは至りません。寧々は「思い返してみれば豊臣に来たときから、何を考えとるんかようわからん子でごぜえました。親の仇に娶られ、嬉々としてその男を喜ばせ、その子を産み、家を乗っ取り、天下を取り返すことを諦めようとせん…」と、彼女の野心を正確に見て取ります。この辺りの洞察力は流石ですね。
そこまで見える寧々だからこそ、その野心によって人生を歪めている茶々が幸せそうには見えないのですね。それだけに、茶々にとって、そこまで固執する天下とは何か、織田家の血筋がそこまでさせるのかと思いあぐね、「私のようなもんには思いがおよばん」と言うしかなくなってしまいます。ごく当たり前の幸せを望む寧々の理解の埒外に茶々はいるのです。
ただ「私のようなもんには思いがおよばん」と言うわりには、「わかるとしたらお二人でごぜえましょう」と妹二人を指し、揚句「あるいは大御所さまかと」と、大体、事の核心を当てているあたり、実はこの物語の中で一番、物事が見えているのは寧々ではないかと思いますね。彼女の原点は幼少期に共に過ごした初と江。そして、彼女が勝とうとこだわるのが家康であるならば、家康に特別な想いがあるだろうと考えたのだと思われます。寧々の鋭い指摘に対して、本気で「ん?なんで?」という表情になっている家康は、相変わらず女心には疎いですね(笑)
そして、茶々に関して全てを伝えると「私の役目は終わりましたに」と肩の荷を降ろした穏やか表情になります。そして、「あの人と二人で何もねぇとこから作り上げた豊臣家…」とここで目を伏せ万感の思いに少しの間ひたり、万感の思いを込め、まことに夢のごとき、楽しき日々でごぜぇました」と深々と一礼し後事を家康たちに託します。
何もないところから二人で作った豊臣家は彼女の人生そのものであり、また秀吉への愛情の結晶だったはず。しかし、子を成せなかったばかりに、最後は当事者という立場から離れ、傍観者として見守るしかなくなってしまった。今もまた滅びゆこうとする豊臣家をなんともできない無力感も感じているでしょう。
にもかかわらず、そうしたことも含めて「夢のごとき、楽しい日々」と喩え、儚く消えていくのも「世のため」ならば仕方なしと思えるその強さが、哀しくも気高いですね。
家康が、居住まいを正して深々と一礼をするのもわかる気がします。家康にとって寧々は志も近く、どこか通じ合う戦友だったのではないでしょうか。
さて、寧々の話から茶々について思い当たることがあった江は「ずっとお話してよいか分からずにおりましたが…」と切り出します。家康に促されて話したのは、「姉にはずっと心に憧れの君がおわしました」ということ。そして、続く「あの年、本能寺のことがあって、その方もお命を狙われ、お逃げになっていると聞いたときも…」とのエピソードで、流石の家康もその「憧れの君」が自分であることがわかります。
ここで、冒頭、気絶していた茶々の脳裏を巡った御百度参りが、家康の無事を祈願するものだったとわかります。何十回と参ったとき、妹たちから家康が無事であったとの知らせが入ります。おませな妹たちは「姉上の憧れの君はご無事でした」とちょっと冷やかし気味にニヤニヤしています。「憧れの君はご無事」、この言葉に少女だった茶々は心から安堵すると一瞬、放心したかのような表情になります。いかに気を張り詰めて、思い込み、無事を願ったかが、その一瞬で伝わりますね。
しかし、それをおくびにも出さないようすぐに表情を改め薄く笑った茶々の口から漏れたのは「私はただ母上がお喜びになると思うただけじゃ。いずれ我らを助けに来てくださると信じておいでなのでな」と、自分ではなく母のためだったという照れ隠しの言葉でした。いやはや、この頃から意地っ張りで自分の乙女心を隠してしまう不器用な女性だったのですね、茶々は。「我らを助けに来てくださる」と信じているのは、母以上に茶々であるのは明白です。
成人後、母になって以降にもつながるツンデレなその人柄を、微妙な目の動きと表情の変化で演じた白鳥玉季さんの好演が光ります。彼女の演技で少女期と現在がきちんとつながっています。
そして、澄ました顔で彼女は「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も省みずに人を助け、世に尽くす。そのようなお方であれば、それこそ真の天下人に相応しきお方と思わぬか」と、母から聞いた初恋の思い出に自らの想いを重ねて、今度は素直に微笑みます。妹たちも姉の笑顔に頷きながら笑います。そして、妹らを抱き寄せながら、茶々は「憧れの君」に想いを馳せ、天を仰ぐのです。
初は、そんな茶々の昔を思い出しながらも「姉の中で勝手に膨れ上がっていた幻のようなものだったのでしょう」と添え、家康がそれを申し訳がる必要はないと添えますが、一方で「それが裏切られ、母が死んだとき、憧れは深い憎しみとなりました」という江の言葉も真実です。乙女の純真を踏みにじられ拗らせたと言えば、それまでの逆恨みなのですが、ここまで家康を「憧れの君」としてしまったのは、以前のnoteでも触れましたが、父の不在が大きくかかわっています。
第30回では、お市の初恋話から「もしかしたら家康が父だったかも」とはしゃぐ妹たちを「我らの父は浅井長政ぞ」と𠮟りつけた茶々が、家康が救援に来ないことを「徳川殿は嘘つきということ」「茶々はあの方を恨みます」と誰よりも恨みます。母が恨んでいないにもかかわらずです。彼女にとって、浅井長政は自分たちを守ることなく死んでいった実父です。
その心の空虚を埋めたのが、母の語る家康です。つまり、「憧れの君」とは、恋人的な白馬の王子の要素だけではなく、父性も兼ねていると考えるほうが妥当でしょう。しかし、その家康は母を再婚相手として娶ってくれず、最後は母を助けに来なかった。いや、茶々を助けてくれなかったのです。彼女にすれば、父になるべき人の二度目の裏切りが家康です。致し方なく死んでしまった長政はともかく、家康はのうのうと生き延びています。許し難いことだったでしょう。
乙女心の難しいところは、「自分が大事に思っている相手には、自分と同じように行動してくれるはずだ、自分を理解して寄り添ってくれるはずだ」と一方的に信じていることですが、それが幼少期に実父を失った空虚と不安とが絡み合ってくるのですからどうにもなりません。お市は直接、家康を知るからこその思いで現実を見ていましたが、茶々は母のお話に出てくる白馬の王子様への憧れで夢を見ていました、この違いが茶々にとっての不幸だったかもしれません。
では、「憧れの君」が存在しないとわかったとき、人はどうするか。一番多いのは現実を知って、現実と自分の理想の折り合いをつけていく。平たく言えば、妥協を覚えることで、それが大人になるということの一つです。
しかし、茶々は違いました。彼女は、自らの乙女心を大切に抱え込み、守り続けます。そして、初は言います。「秀頼さまを見ているとつくづく思います。あー、これは姉の憧れの君なのだと」…つまり、存在しないのなら己の手で作ればよい。そう思ったのです。茶々が槍の稽古で修理に「手を抜いておらぬだろうな」と念入りに確認するほど、秀頼に厳しく教育を施したのは自分の考える完全無欠の「憧れの君」にするためだったのです。秀頼を思っての教育という母の想いと自己実現の道具としての想い…二つが絡まった結果、人工「憧れの君」、豊臣秀頼は完成したのです。
謂わば、秀頼は愛する息子ではあり、「理想の家康=憧れの君」の代用品でもあるという彼女の二面性を反映した歪なものだということになるでしょう。先ほど、挿入された秀頼を見る母の目線と少女の憧れの目線が同居した描写と符合しますね。また、以前のnote記事でも指摘しましたが、秀頼が成人して以降、茶々の秀頼を見る眼差しは、うっとりとしていたり、惚れ惚れとしていたり、異性を見るような眼差しが何度かありました。これらの描写も、納得のいくところです。
和議以降の彼女は、今の秀頼を見るたびに、母としてこのまま滅びの道に進んで良いのかという逡巡と、この子が自分の想いを叶えてくれるという希望と、どちらを選ぶべきなのかと葛藤していたのかもしれませんね。息子に夢を託す…このこと自体は家康と秀忠の関係も同じなのですが、完全主義の茶々と自身の弱さを受け入れた家康との差なのでしょうか。
こうして、作り上げられた「憧れの君」がすべきことはただ一つ、「偽物の天下人を秀頼さまが倒すこと」です。そして、茶々は、それが「世のため」だと信じ切っています。前々回、茶々が述べた「修理に家康を倒して手に入れてこそ真の天下であろう」(第45回)との言葉は、戦国時代特有の武断的な意味合いではなく、本物であるべき「理想の家康」(秀頼)が、偽りの家康(家康)を倒すことで、「憧れの君」を本当の意味で取り戻すという夢を語っていたのでしょう。つまり、茶々の理想、父なる者の奪還の意味合いが強かったのです。
そして、それによって、世の安寧をもたらす真の天下は始まります。「憧れの君」なれば、その気高い魂で自分や母のような可哀想な女性を生むことのない正しい政が行うはずです。それが唐入りであっても、正しく行われるに違いないのでしょう。ですから、彼女自身にどういう天下を築くかというビジョンは必要ありません。それは「憧れの君」の役割だからです。彼女は「天下を取り返す」ところまでが目的なのです。
恐ろしいのは、この純粋に保たれた彼女の「憧れの君」による正しき政の理想は、その純粋さを保つために、あらゆる犠牲を厭わないことです。現に彼女は、そのために自分自身を犠牲にして、「親の仇に娶られ、嬉々としてその男を喜ばせ、その子を産み、家を乗っ取り」(寧々)ました。それが「世のため」になると信じています。
あらゆることをして「憧れの君」のために尽くす…それは御百度参りのときから変わっていないことがわかりますね。この「信じた他者のために尽くし切る」純情も乙女心の特徴かもしれません。現実を見つめて、生きてきた寧々には、わからなかったのも無理なからぬことです。
しかし、その茶々の「世のため」の理想は、たった一人の「憧れの君」だけでなしえる天下、つまり一人の天才によって天下が治まるという実に単純な発想です。それは、家康を倒すという一つの戦の勝利で天下が取れるという短絡さにもつながっています。彼女は、幼かった頃の信長の死はともかく、秀吉の死後の出来事からなにも学びません。ですから、夢見がちな少女の域を出ないまま、ただ天下人の息子の母という立場だけが、肥大化し、多くの者の欲望を育て巻き込みます。
結局、茶々の純真は武断的な色合いを帯び、大戦に群がる「ただ戦をしたいだけの輩」を招き入れることになり、彼らの欲望を叶えるための道具とならざるを得なかった。それが、大阪冬の陣の根幹だったということでしょう。
茶々の起こした大阪の陣の根底にあるものが、家康に裏切られたという勝手な逆恨みによる少女の幻想であるならば、「姉を止められるお人があるとするならば、私たちではないと存じます」という江の言葉どおり、家康しかないということになるのは自明です。
ただ、家康の立場からすれば「そんなん知らんし」「もっと早く言って欲しかった」という話で、家康自身に罪があるとは到底、言えません。まさに「乙女心はわからん」で済んでしまいそうな面もあります。
しかし、家康は茶々の逆恨みを乙女の幻想と突き放したりしません。寧ろ、沈鬱な気持ちで一人物思いに耽ります。というのも、幼き日の茶々が語った「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も省みずに人を助け、世に尽くす」こそは、今川義元の王道の薫陶を受けた家康自身の理想だったからです。三河国を「家」と見立てて、家康と改名したこと(第7回)もその理想を体現せんがためでしたね。
勿論、家康はそのために弱肉強食の戦国時代の論理に抗い、一進一退…いや、時には二歩進んで三歩下がるような屈辱を味わい、それでも非力ながら努力を重ねてきました。
それでも、時代の波に呑まれ、多くの犠牲を払う中で、生き残るために、家臣と領民を守るために、その王道にある徳を封印してしまいました。決して、志を忘れたわけではなく。理想を目指してきましたが、心ならずもいつの間にか、気づいたときには戦国大名の毒の海にどっぷりと浸かっていたのです。自身が手にかけた多くの者たちの血で、家康の手はどす黒く染まっていて、それは取り返しがつきません。
そして、手にかけずとも、彼が戦国大名として力をつける中で運命を狂わされた者たちがいます。その一人が茶々です。その茶々が今なお、自分が封印してしまったものを純粋に信じ、真逆の乱世を引き起こしているとしたら…それはやはり、家康の業が生み出した怪物なのです。
家康は、初と江の話から、改めて、戦国大名たる自分こそ、最後には滅びねばならないと思ったことでしょう。
そして、名護屋城で、茶々が家康を籠絡するために吐いた数々の言葉に真実があったと気づいたことも、ちくりと刺したかもしれません。それらの後悔と慙愧が、目を瞑り噛み締める家康の表情によく表れています。自然、茶々のために筆をとります。
3.すれ違う母子
(1)江と千姫の場合
大御所家康の使者として初、江が大阪城へ参上します。江が両家を取り持つために大阪に来た記録はありませんが、姉と千姫を案ずる気持ちは自然ですし、また大人になった浅井三姉妹を一同に介し、逢わせてあげるのは、この後の茶々を思えば脚本の粋なはからいではないでしょうか。北川景子さん、マイコさん、鈴木杏さんを同じ画面に納めること自体ファンサービスですしね(笑)
このシーンは、手前で座る千姫をナメる構図で謁見の間に入る初と江を捉える形で始まります。これは、このシーンの軸が江と千姫の母子関係にあることをほのめかしています。
さて、三姉妹が久しぶりに揃った席ですが、寿ぐようなものはなくピリリとした緊張だけが漂います。そして、初から伝えられた家康の書状の内容は、秀頼が大阪城を出て大和の一大名となり江戸へ参勤することを求める事実上の降伏勧告です。
この屈辱的な申し出に秀頼が「熟慮の上、返答いたす」と即答を避けたのは、豊臣家当主として短慮を見せないこと、母たちの意向を聞くこと、叔母らの努力を無碍にしないことなど表向きの理由は様々考えられますが、真意はこれ以上、勧告に関する口上や説得には耳を貸さないという拒絶でしょう。そこには、即答しないことで戦支度の時間を稼ぐ意味もあるかもしれません。
冷ややかな空気から真意を察した初は「姉上、これが最後の…」と短慮を慎むよう助言しかけますが、茶々は「わかっておる」とバッサリ切り捨てます。そして、姉妹の情に訴える見え透いた手口に、その手は食わぬと早々に江を引き下がらせようとします。
ここまでは予定のうちでしょう。江は慌てることなく、家康から茶々への自筆の個人的な書簡があると申し出ます。このとき、カメラは茶々よりも、家康の文に軽く動揺し、思わず母の顔を窺う秀頼に焦点を当てます。
当主である自分を差し置き、敬愛する母へ宛てた家康の自筆の書簡…それは二人の間に秀頼の知らない何かあることを秀頼に想像させるには十分です。幼い頃から家康について「あの狸を信じてはならぬ」と言い含めてきた、あの母に家康と何があるのか…頭の良い秀頼にも理解しかねるでしょう。
しかし、ふんと無表情な茶々に変化はありません。仏頂面で鎮座したまま手を差し出し、無言でよこせとジェスチャーだけをします。カメラは、茶々に文を手渡す初を横からナメながら、その奥でその様子を横目で窺う秀頼にフォーカスしています。やはり、忌み嫌う家康の書簡を受け取ること自体、秀頼には不可解かもしれませんね。
秀頼は母の言うことだけを信じようと心がけ、母のために母の敷いた天下人のレールをまっすぐに進んできました。窮屈に感じたりすることはあったでしょうが、前回の淡々とした諦観を見ると、おそらくそれ以外の生き方を知らないから母の情を信じるしかなかったと思われます。
だとすれば、この家康の書簡は母に対して初めて自覚的に生じた疑念と言えるでしょう。それは、母に間男が発覚したような感覚かもしれません。
いずれにせよ、茶々を救うための善意の書簡が、その後の秀頼の意思表示を後押ししたとすれば、つくづく星の巡り合わせの悪いことです。
さて、そんな子の心、母知らずの茶々は淡々と家康からの文を型どおり胸元へ納めます。そして、ふと目が合った江に、ニッコリと微笑まれます。あまりに無防備なその笑顔に狼狽えてしまう茶々が良いですね。ついつい「お千に申したきことあれば許す」と温情かけてしまいますが、こちらが彼女の本音ですね。姉妹の再会も手を取り喜びたいし、また江と千姫に心ゆくまで話をさせてやりたいと思っている。
しかし、彼女の立場と両家の緊張からそれは出来ないと一方的に思い極めているのです。意地を張り、無理をしているに過ぎません。情が深すぎる彼女が妹や嫁には冷徹になりきれません。
そして、この本心を隠す意地っ張りに少女期から変わらぬ茶々の性格が表れています。北川景子さんと白鳥玉季さん、それぞれの茶々がちゃんと一つに結ばれます。
さて、茶々の特別なはからいで直接対話をすることになった江と千ですが、会談が始まったときから千姫の表情は固いです。おそらくは、家康が豊臣にした仕打ちの数々、無惨に死んでいった侍女たちを見た千姫の中で、徳川は不信の対象になったでしょう。天井の崩落で身を呈して千姫を庇い、傷を負ってなお先に彼女を気遣った茶々の言動にこそ真心を感じたことでしょう。
ですから、母からの櫛も、千姫が絵を描くことが好きだからこそわたした「ぺんすう」(鉛筆)も、その場を誤魔化すおためごかしにしか見えませんし、徳川からの施しを受けることは嫁ぎ先な申し訳が立たないのです。
千姫が両家の板挟みになっていると心を痛めながら千姫のためにも戦を避けたいと願う江は、徳川の姫として両家をつなぐことを望みます。しかし、千姫はそれを拒絶すると、きっぱりと「千は豊臣の妻にございます」と決別を口にします。
興味深いのは、この言葉にショックを受けたのは江だけではないことです。直後に千姫の言葉にぎょっとする茶々のアップが挿入されます。常々、豊臣の妻たれとしつけてきた茶々ですが、それが妹を拒絶し哀しませることについては想像していなかったかもしれません。あるいは、自分のしつけにも穏やかなままの性格がかわらない千姫のそうした部分を内心、大切に思っていたのかもしれません。
いずれにせよ、自身の教育で頑なになったことは間違いありません。贈り物を拒絶し、江に「お達者で」と言い捨て、その場を去る千姫の姿を、後悔の念で見送るのは江ではなく茶々のほうです(江は訳がわからず呆気に取られたことでしょう)。
二条城に戻り号泣する江の背を秀忠は優しくさすります。秀忠は、千姫の急変のきっかけが家康のカルバリン砲砲撃であろうことに気づいています。その場にいて止められなかった彼は、かける言葉もないでしょう。
そんな二人の様子を縁側でぼんやり窺う家康の表情も暗いものです。仲睦まじかった親子の情を引き裂き、哀しい思いをさせたのは間違いなく家康です。戦の犠牲を少なくする方法として正しかったとしても、自分の家族の心や絆を守れなければ虚しいばかり。彼はつくづく自分が乱世の怪物ということに思い至るのでしょう。
江と千姫のすれ違いは仕方のないものです。幼き日に嫁がせ、今を知りようもない江はああしか接することが出来なかったでしょう。また戦の真実に衝撃を受けた千姫が、目に見える愛情だけを信じ、祖父や実母の秘めた思いに気づけないのも、その若さならば致し方ありません。子の心親知らず、親の心子知らず、二人のすれ違いは家康と茶々が招いたことなのですね。
(2)お市と茶々の場合
場面変わり、茶々は自室で家康からの手紙を開きます。なんとなくいそいそとしている気がしないではありません。自筆のその手紙は「茶々どの、赤子のあなたを抱いたときの温もりを今も鮮やかに覚えております」と家康が初めて上洛した若き日(第13回)の初対面の思い出から綴られます。
家康の言葉と共に流される、桜を愛でる家康の姿は、茶々を抱き、お市と笑いあったあののどかな一日を思い返しているのは明白です。妻子を手元に取り返した家康、よき夫に恵まれ子も授かったお市、それぞれが幸せを実感していた頃です。
あの日から45年近く…あの幸せから遠い、哀しいところに来てしまいました。それだけに家康は、その思い出を美しく懐かしむのです。
第13回の茶々を抱くシーンは必ず回収されるものとは思っていましたからそのこと自体に驚きはありませんが、春という季節で合わせ、その思い出を彩るのは効果的ですね。そして美しい思い出ゆえに、現在の家康と茶々の関係が残酷なのです。もっとも、家康にとっては感慨深い思い出も、茶々には実感のないこと。埒もない老人の言葉と見た茶々は「ふ…」と苦笑いするだけですが。
しかし、続く「そのあなたを乱世に引きずり込んだのは私なのでしょう」との後悔の言葉、そして「今さら私を信じてくれとは申しません」と信頼を得るには手遅れであり、申し開きもできないと茶々の立場に立っての諦めが綴られていきます。
この言葉は、名護屋城内で茶々が家康を籠絡しようとする際になじった「母は最後まで家康殿を待っておりました。何故来てくださらなかったのですか?」(第38回)への正しいアンサーになっているのがポイントです。意地っ張りな茶々は「何故、母を助けてくれなかったか?」と表向きは言っていますが、その真意は「何故、自分を助けてくれなかったのか、おかげで自分は仇の妻となって苦しんでいるではないか」です。あのとき、彼女は「時折無性に辛くなります…父と母を死なせたお方の妻であることが」とも言っていますからね。
名護屋城で家康がくだくだ言い訳をしなかったのは良かったのですが、「すまなかったと思っておりまする」とただただ謝ったのは不正解。彼女が一番求めていた答えではありません。あのときの彼女、本当は、家康に裏切られた自分の気持ちと今の境遇の辛さに共感し、慰めてもらいたかったのです。
乙女心の対処の失敗でよくあるのは、トラブルで泣きつかれたときです。その際、ついついやりがちなのが、真っ先に謝罪だとかアドバイスだとか具体的な解決の方法を話してしまうことです。そうじゃないんです、まず必要なのは、「トラブルが起きて大変だったね」や「大丈夫だよ」など相手の気持ちに寄り添うことなのです。その後、求められれば助言でもなんでもすればいいのです。
そのワンクッションの一手間を省いたばかりに拗れてしまうということは、多々あるような気がします…って、乙女心に疎い私が言うことではありませんね…余計なお世話を話してすみません(笑)
ともあれ、家康は、初と江からその気持ちを知り、ようやく茶々の気持ちに寄り添うことができたのです。勿論、これは家康の本性が、優しくて弱い白兎だからできることです。この場面のショットは遠景で、蝋燭をナメる形で手紙を読む茶々の様子が強調されますが、これは家康の寄り添う言葉によって、茶々が一気に真剣な眼差しで読むようになったことを示唆しています。
そして、最早どうにもならない互いの関係をよく理解した上で家康の言葉は「ただ乱世を生きるは我らの代で十分。子どもらにそれを受け継がせてはなりません。私とあなたですべてを終わらせましょう」と家康の真意が綴られます。その言葉に、手紙を手繰る茶々の手が自然と勢いを増し、止まりません。
茶々がかつて信じた「憧れの君」は、やはり今なお「憧れの君」だったのでしょう。その彼から「私とあなた」…二人で乱世を終わらせましょうと提案されるのは、夢にも昇る気持ちに違いありません…因みに彼女は既に40代ですが、女性はいつまでも乙女というもの。まして、乙女心を拗らせた茶々ならば尚更です。
そして、家康は「私の命はもう尽きまする。乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて共に滅ぶ覚悟でございます」と老い先短い自分が全てを引き受けるから大丈夫であると伝えてきます。家康の語る覚悟は、茶々に合わせたものではありません。秀忠に「戦無き世」を託したとき、そして自身が骨の髄まで戦国武将なのだと自覚したときから、自分の役目と思い定めていることです。それは、今回も浪人たちが滅ばねばならないと語ったくだりで強調されていますね。
ですから、その言葉には、強い真心が込められています。頭の良い茶々にもそれはわかります…そして「憧れの君」はもういなくなるのだという事実を改めて思い知り、もうすでにその表情は仮面が消え、泣きそうです。
その上で「秀頼どのはこれからの世に残すべきお人。いかなる形であろうとも、行き延びさせることこそが、母の役目であるはず…かつてあなたの母君がそうなさったように」と彼女が敬愛するお市のことを思い返させます。茶々は母であることと自分の願いを叶えることを上手く両立させることができずに葛藤していました。彼女自身、どうしてよいか分からなかったでしょう。
しかし、答えは、最初からそこにあったのです。どんなに自分の夢を追っても良い、ただ、いざというときは必ず我が子を活かす。そのことこそが、その志と命を後につなげていくことなのです。北ノ庄城落城の際の「織田家は死なぬ。その血と誇りは、我が娘たちがしかと残していくであろう」(第30回)というお市の言葉を聞いていた茶々は、それを思い出したはずです。近すぎて見えなかった母の思いを家康から知らされることになります。今、母である茶々は、その思いが痛いほどわかります。
読み終えた茶々の憑き物が落ちた表情をした後、「ああ…」と母を思い出し、その母の真心を感じ、思わず微笑む…この一連の流れの北川景子さんの芝居は絶品でしたね。
結果、茶々の長い長い心の闇は家康の優しさによって解かれるのですが、これは家康からすればお市への恩返しと詫びでしょう。家康も瀬名と信康を失い、その辛さと自分自身の無力感から家臣共々、天下取りの闇に落ちかけ、安易な信長暗殺を企てます。そのとき、彼の心の闇を払ってくれたのがお市でした(第28回)。
竹千代の優しさがお市を救い、そのお市が家康の闇をはらい、そしてまた回り回ってお市の愛娘の心を救う。人の縁というものの面白さが、「どうする家康」ではよく描かれますね。そして、北ノ庄城でお市を助けられなかった…その詫びにもなっているでしょう。
心の闇がはらわれた茶々は、改めて秀頼の成長を刻んだ柱をさすりますが、今度はただただ秀頼の成長を思い返す母の顔になっています。ですから、迷うことなく、この乱世を平和裏に終わらせようと決意します。
(3)茶々が生み出した怪物
意を決した茶々は、大野兄弟と千姫といった身内を集め、自身は下座に座り、「秀頼、母はもう戦えとは言わぬ…徳川にくだるもまたよし」と告げます。「え?」という千姫の戸惑いに、これまでいかに大阪城が茶々の反徳川の意向に染まっていたのかが察せられます。頭の良い茶々ですから、寧々が言ったとおり、次の戦が起これば豊臣が負けることは薄々わかっていたのでしょう。ですから、わざわざ徳川への服従する可能性を生き残る方策として提示し、「そなたが決めよ」と言います。
ここに来て、茶々が強引に決めてしまわなかったことが、結果的に悲劇のきっかけになってしまいますが、豊臣の当主はあくまで秀頼です。また、自分の怨念にも似た願いによって、秀頼を縛りつけてきた自責の念もあります。だからこそ、最後は秀頼に決めさせようとします。
そこには、秀頼は間違った判断をしないという信頼があったと思われます。武芸に秀でてはいますが、芸事も一流に嗜む穏やかさと理性的な性格です。好んで戦をするタイプではありません。まして、彼は茶々が手塩にかけた、人工「憧れの君」です。戦を避ける賢明な判断を期待し、「そなたの本当の心で決めるがよい」と促します。
イエスマン大野修理は当然、茶々に従いますし、また千姫も彼の穏やかさを知っていますから戦を避けると感じ、秀頼の判断に従うと告げます。
静かに母の言葉を聞いていた秀頼は「お千、前にそなたは私の本当の心が知りたいと申したな。あれから私はずっと考えてきた。ずっと母の言うとおりに生きてきた私に本当の心があるのだろうかと」と、初めて自分の言葉で本心を話し始めます。敷かれた天下人としてのレールをひたすら懸命に走り続け、"豊臣秀頼"を演じ続けた彼は、茶々の傀儡、茶々の願いを叶える道具であることに甘んじてきました。おそらく葛藤はあったはずでしょうが、それが母のためであるならば構わないと思ってきたのでしょうと納得させてきたのでしょう。
秀頼の言葉に茶々の顔は、申し訳なさで歪みます。しかし、それは秀頼の望む母の表情ではありません。秀頼は、母のために、"豊臣秀頼"をやり続け、その道しか知らないのです。今更、その道を降りること自体のほうが裏切りでしょう。天下人として生きようとする以外にどの道を選べというのか、秀頼にしてみれば茶々の親心は今更な、無責任なものでしかありません。ここにも江と千姫と同じく、親の心子知らず、子の心親知らず…という母子のすれ違いがありますね。
そして、その裏切りを唆したのは、明らかに天下を簒奪した盗人、徳川家康なのです。かの手紙に何が書かれていたのかは、彼には知る由もありませんが、母が本当は家康に恋慕の情を抱いていることを無意識のうちに感じているのかもしれません。
そして、おもむろに太刀を取ると「我が心に問い続け、今ようやくわかった気がする!」と芝居がかった口調で叫ぶと、表へ飛び出していきます。今までにない荒々しさに驚く千姫ですが、もっと驚いてしまっている茶々は呆然として、一寸、動きが止まります。何が起きたか理解できないといったところです。そして、太刀を持ち飛び出していった彼の真意が戦であることに気づき、茶々は愕然とします。
信じた母に捨てられたかのようになった秀頼を支えるものはなにか。そして、彼はどう「我が心に問い続け」たのか…それは大阪城中に集う多くの浪人たちの活気、真田信繁や後藤又兵衛ら武勇に秀でた剛の者の勇ましさ、彼が茶々の預かり知らぬところで心奪われていたものは、それでしたね。穏やかだった彼は、とうの昔に戦の熱気、高揚感に当てられていたのです。
賢明にして穏やかな秀頼がヤケクソになって変貌したのではありません。あの無私の知性派官僚であった石田三成をして、戦の空気に呑まれ、それを楽しんでしまったことを忘れてはいけません(第30回)。三成は、「この私の内にも戦乱を求むる心がたしかにあっただけのこと…」と述べ、戦乱を望む心は誰の心にもあると絶望していましたあの痛ましさが思い出されます。三成ですら、そうなったのに、若く経験が浅く、実戦も知らない純粋培養の秀頼が、戦のカッコよさだけに憧れてしまうのはどうにもならないことでしょう。
ですから、茶々はそもそも、先の戦を起こし、浪人たちと秀頼に接触を持たせてはいけなかったのです。大阪冬の陣を起こしたこと自体が、取り返しのつかない愚行だったと言えるでしょう。
結果的には先の戦でその高揚感を知った秀頼の戦への燻った思いをギリギリ押し留めていたのは、母の思いに応え、願いを叶えることだったのでしょう。そのために貴公子然と振る舞っていたのです。
しかし、母が家康への情にほだされ、徳川家と豊臣家のチキンレースから降りようとし、自分に全てを投げた…母の息子への親心を裏切りと放任と誤解した秀頼は、それによって目が覚め、自分を縛るくびきから解放されました。タガが外れた今、豊臣秀頼を止めるものはありません。自分の意のままに振る舞えばよいのです。自分にはその才も資格もあるのですから。
こうして、集まる浪人たちの前へ躍り出た秀頼は「皆!よう聞いてくれ!余の誠の心を申す」と呼びかけ、兵たちを鼓舞し始めます。朗々と語るその言葉が「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も省みずに人を助け、世に尽くす」という茶々の教えそのものであることは、興味深いですね。
何故なら、二つの意味合いで皮肉なものだからです。一つは、自分の意のままに生きようとしながら、"豊臣秀頼"という敷かれたレールの上の生き方を知らない彼は、どこまでも茶々の教えの劣化コピーでしかない空虚さを無自覚に抱え込んでいるということです。「それが誠の秀頼である!」と気炎を吐くのがかえって痛々しいですね。前回、唐入りのビジョンを語っていましたが、将来のビジョンも父からの借り物でしかありません。
そして、もう一つの皮肉は、茶々にとって弱きものを救ってくれる、安寧の世を築く「憧れの君」の条件であった「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も省みずに人を助け、世に尽くす」が、彼女の真逆の願いへの乱世を導く言葉へと反転してしまっていることです。これは、茶々が秀頼に施した英才教育に決定的なミスがあったことを示しています。
今回、茶々は「憧れの君」家康に心を救われることになりますが、彼女を救ったのは家康の優しさです。それは、お市が語り、茶々が夢見た「憧れの君」の本質は、誰よりも優れた武芸や知略といった力ではなく、人を慈しむ優しさにあるということです。その優しさは、力としての強さはありませんが、何事にも折れない心の強さを持っています。
しかし、あまりにも愛憎の気持ちが強かった茶々は、肝心のその慈愛の心を秀頼にインプットし損ねたのかもしれません。千姫に優しく穏やかな彼に慈愛の素質はあったでしょうが、常に徳川に負けるな、信用するなと敵対心と憎しみの呪詛を繰り返せば、身につかないでしょう。
結果、「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も省みずに人を助け、世に尽くす」の言葉は、魂のない仏のごとき秀頼によって「戦乱を望む武士たちの期待を裏切らず、彼らの願う武士の名誉を守るために、共に戦い、身を粉にして働く」へと変換されてしまいます。
「今、余は生まれて初めて、この胸のうちで熱い炎を燃えたぎるの感じておる!」と兵の期待に応え、太刀をかかげ「余は戦場でこの命を燃やし尽くしたい!」と乱世を望む心を爆発させる秀頼を前に、呆然とした茶々は呆然としたまま、よろよろと「秀頼…」と呼びかけますが、弱々しい彼女の言葉は、荒々しい武者たちの怒号にかき消され、誰も聞いていません。
カメラは、秀頼を追う茶々の主観で秀頼を捉えますが、秀頼の前には太い柱があり、更にそこから秀頼は離れようとしています。もう、秀頼は茶々の手に届きません…そして、それは豊臣方が戦へ突き進むしかなくなった現実を意味し、茶々の手には負えないものになってしまったのです。
秀頼は「皆の者、天下人は断じて家康ではなく、この秀頼であることこそが世のため、この国の行く末である!余は信長と秀吉の血を引く者、正々堂々と皆々と共に戦い、徳川を倒してみせる!余は皆を決して見捨てぬ!」と、場を盛り上げていきますが、この全ての言葉が全て、茶々の受け売りです(信長の血は引いていませんが、これは織田家の血の象徴としてわかりやすい信長を出しているだけです。そこにツッコミを入れるのは野暮ってもんです)。
茶々は、今更に自分が「憧れの君」を作り上げようとして、何を作り上げてしまったのかを思い知ります。時すでに遅し…ここに至るまでに彼女は多くの道を違えてしまい、取り返しがつかないことになっていたのです。
そして、彼女が作り上げた偽物の「憧れの君」秀頼は「共に乱世の夢よ見ようぞ!」と兵を鼓舞し、浪人たちもまたその言葉に夢を馳せ、歓声や嬌声を上げます。戦しか知らない彼らは「戦無き世」に居場所がない存在です。そんな彼らにとっては、秀頼の鼓舞は自らの存在価値を認められた悦びでもあるのです。
そして将としての気概を見せた秀頼に対し、満足気に、そして不敵に笑う真田信繁が、自身の馬印である六文銭を秀頼に掲げると、自身の胸を叩き、秀頼を激賞します。その武芸の鍛錬に憧憬の眼差しを送っていた秀頼は、憧れの武将に認められ、その高揚感は最高潮に達します。
そして、豊臣が和平の道へ進む可能性を完全に立ち切った秀頼は、それまでに見せなかった傲岸不遜な態度で茶々に「異論ござらんな?」と迫ります。ここでわざわざ、茶々にこの言葉を投げかけるのは、自分に"豊臣秀頼"という生き方しか、させてこなかったのに、今更、自分だけ降りようなど許さないという母への歪んだ愛も含まれているかもしれませんね。母の心を降伏へ誘った家康に対する無自覚な嫉妬も孕んでいるかもしれません。
秀頼を、乱世を望む人間へと育ててしまったのは、まさしく茶々です。無論、戦の高揚感に当てられたのは秀頼自身の問題ですが、その環境を整え、家康へ戦を仕掛けたがったのは茶々ですから、やはりこの点も茶々の罪となるでしょう。この期に及んで、母親にできることは、今度こそ心を鬼にして、秀頼を後押しし、彼と共に地獄へ行くより他ありません。ただ、自分の心を救ってくれた家康に応えられない哀しみは残りますから、覚悟と哀しみが同居した涙目の凄絶な笑みで「よくぞ申した!」と誉めそやします。最早、後戻りは叶いません。
茶々の哀しい覚悟とその涙に気づかないまま「徳川を倒しましょう!」と追随する千姫がまた痛々しいですね。
この後戻りができない哀しい結果に、流石にこらえきれなくなった茶々は泣きながらその場を去ろうとしますが、この様子を見てしまった初と目が合ってしまいます。当然、彼女は呆然としていますが、目に涙を称えた茶々の心情は伝わったかもしれません。茶々は初に何も言えず、ただ涙をこらえて顔を上向きしながら、彼女の心を救ってくれた家康の書簡を火にくべます。これは、退路を断つためであり、また家康の心に応えられなかった自分はこの手紙を受け取る資格がないということでもあるでしょう。
初は、姉が心ならず、こうした結果を迎えたと悟ったのか、頬に一筋の涙を流します。妹として、茶々に代わって涙を流してやるくらいしかできない初の気持ちがまら切ないですね。
絶望に打ちひしがれる茶々は、なおも涙をためながらも毅然として「共に行こうぞ、家康」と言い放ちます。家康の「私とあなたですべてを終わらせましょう」と「乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて共に滅ぶ覚悟」の言葉は、茶々と秀頼の心と命を救うためのものでした。しかし、事ここに至って、この言葉は絶望に打ちひしがれ、豊臣家滅亡を覚悟するしかない茶々にとっては、別の救いになります。
即ち、「家康、あなたと私で乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて共に滅びましょう」ということです。「憧れの君」と共に地獄へ逝けることだけが、彼女に遺された最後の幸せになのでしょう。「共に行こうぞ、家康」の「行こう」は「逝こう」のが正しい表記な気がします。そして、本心は「家康殿、共に地獄へ参りましょう」でしょうね。
乙女心を拗らせた茶々は、最後まで家康の優しさにすがります。もっと早く、家康の言葉をもらっていたら…せめて名護屋城でもらっていたら、彼女の生き方は変わったでしょうか。
おわりに
大和郡山城の落城の報をもって、家康にとって最後の戦が始まります。この結果を「どうやら豊臣秀頼こそ、乱世の最後の化物かもしれませんな」と努めて冷静に語る正信は、大阪城内で起きたことは知らないはずですが慧眼ですね。
これを聞く家康も特に驚いた様子は見せません。おそらく、家康は大阪城に集まった浪人たちの欲望や乱世を望む心を豊臣方は押さえられず、結局、引きずられて戦を起こすことになってしまう…戦を避け、茶々たちをせめて救いたいという家康自身の思いとは別に、そういう現実的な可能性が見えていたのでしょう。一口に浪人たちを召し放つといっても、あれだけの数になれば、簡単ではありません。
何故、戦は起こすよりも収めるのが難しいのか。「どうする家康」においては、まず、三成がかつて言ったように「人は誰しも戦を好むものである」という人間の醜い本性があるでしょう。それは、家康自身が秀忠に戦とは何かを見せつけたことで裏書されましたね。
そして、今回の秀頼や信繁の様子から見れば、乱世を好む人の心、これが戦によって刺激され、その高揚感が忘れられないからこそ、人は賢明な判断ができなくなるのです。だからこそ、家康は力ずくで戦を起こせないように強権的な和議を結ばせたのですが…結局は人の心はままなりませんでした。
人々の欲望が複雑に絡み合うと理屈だけではどうにもなりませんし、予想外のことが多々起きます。だから、戦を収めることは難しいのです。
また、今回は、様々な母子が描かれました。彼らはお互いを想い合う心を持っていました。しかし、こうした心情的に近い関係ですら、絶望的なすれ違いを起こし、取り返しのつかないことになることもあります。人はなかなか、わかりあえない。これもまた、戦を収めるのが難しい理由でしょう。
ただ、秀吉が死んで以降の関ヶ原の戦い、そして大坂の陣は、家康という戦国最強の生き残りに対する恨みや恐れが巻き起こしています。そのことを家康は、茶々とのやり取り、江と千姫とのズレ、膨れ上がる浪人たちの数から悟らざるを得ません。
ここでオープニングアニメーションに表れた人相不明の黒ずくめの武将が、誰なのかを考えてみましょう。表向きは秀頼でしょう。織田家と秀吉と茶々の血を引き、そして最後、彼を乱世を望む武将にする決定打を与えたのは、武田の軍略を備えた真田信繁です。まさの信玄、信長、秀吉、茶々が生んだと言えます。
しかし、秀頼をそういう立場に追い込んだのは家康です。家康は信長から覇道を学び、信玄から戦を学び、秀吉から政治を学びました。そして、その中で運命を狂わされた茶々の逆恨みが人々の家康への恐れを集める器となったとき、戦国最強の生き残りである化け物になってしまったのです。ただ、この四人の無念を引き取り、天下を治めることになるのも家康です。ですから、あの黒づくめの武将は家康ということになるでしょう。
ただ、そのためには、茶々の手紙にしたためたように、やはり、その元凶である自分自身が世のため、人のために「乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて共に滅ぶ」しかありません。そして、それが「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も省みずに人を助け、世に尽くす」という茶々の信じた「憧れの君」にもなっているのは、皮肉と言う他ありません。
そして地ならしがなされた後に平和の種は撒かれます。平和を希求する強い志を皆で共有するのは、次代に任せるのみです。
家康は改めて、自信の役割を確認したのでしょう。これまで亡くなっていった多くの者たちへの供養のために続けている「南無阿弥陀仏」の写経で、彼は「南無阿弥家康」とゆっくり書きます。残されている写経にあるこの文言は、意味不明ということで書き損じだとされますが、本作ではゆっくり書いていることから意図的に書いたと言えそうです。
「乱世の亡霊よ、さらば」という言葉をどう考えるかですね。一つは、乱世の亡霊を秀頼とするならば、「南無阿弥家康」は仏の加護をもって、自信の最後の役割を成し遂げられるようにという祈願です。
もう一つは、乱世の亡霊が家康であるなら、乱世の全てと共に地獄へ逝く自分への生前供養の意味合いになるでしょう。
どちらにせよ、家康は哀しい決意と誰にも理解されない孤独を抱えて、最後の戦に臨みます。先にも述べたように、乱世の終わりは、乱世の最後の生き残りになる彼自身の死をもってなされる可能性があります。その場合、あれほど「戦無き世」を望んだ家康自身は、「戦無き世」を見ることなく逝かねばなりません。
もしもそうなったときは、彼に代わって「戦無き世」を見届けるのは、最後の相棒、本多正信かもしれません。予告編にある「とうとう、終わるんですな…長い乱世が…」という正信の台詞がどこで入るかによりますが。普通なら大阪の陣の終結ですが…まさか家康の臨終??
いやいや、妄想はここまでにしましょう。人々が死にゆく様ではなく、生き様を描くのが「どうする家康」…松本潤くん演じる家康の生き様を見届けたいと思います。
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