「どうする家康」第15回「姉川でどうする!」 パワハラ信長のまめまめしい親切~姉川の戦いと家康に迫る危機~
はじめに
第15回は、とにかく信長の家康への狂気じみたパワハラ行為と執着心が際立ち、彼のヤンデレ化に家康が翻弄されているような雰囲気でした。
それは、「何やかんや」(ナレーション)ですっ飛ばされた金ヶ崎退き口、そして姉川の戦いと結果的に上手くいく合戦自体はほとんど描かれないという「どうする家康」特有の構成によるところが大きいですね。
この措置は、この先にある大きな合戦のために予算を確保しておくという現実的な理由もあるのでしょうが、何よりもシナリオ上の狙いがあります。以前の記事(「「どうする家康」で重要視されるライブ感」)でも触れましたが、「どうする家康」は、そのタイトルどおり、リアルタイムで家康の悩みや葛藤、その末の選択を見ていくことに焦点を当てています。
したがって、派手な合戦シーンを挿入し過ぎてしまうと、その悩みの部分が霞んでしまいます。謂わば、NHKのかつての歴史情報番組「その時歴史が動いた」(司会が於大と久松家の末裔、松平定知さんでしたね)に近い構成ですね。
また、家康のこうした判断は苦渋の決断である場合がほとんどです。ですから、望まない戦いをある種のカタルシスをもって描くことは、家康の葛藤に寄り添うことからは離れてしまうおそれがあります。だから、直接的に合戦をかかず、出だしと結果のみにしています。寧ろ、その結果に対して、家康が何を思うのかに焦点を当てているくらいです。
とはいえ、合戦シーンを極力省き、タイトルにもなった姉川の戦い並に浜松城へ拠点を移すくだりに時間を割いたのは不思議に見えなくもありません。家康の危機で終わるのは、次の話に繋げる大河ドラマっぽい引きではありますが、納まりは悪い。裏を返せば、それだけにこの尺の割き方に今回の話の狙いがあるとも言えます。
そこで今回は、信長のパワハラ行為と家康の決断が、終盤の浜松城引っ越しの件とどうかかわるのか、この点から考えてみましょう。
1.大局的な視野を活かすとはどういうことか~感情を優先させないことの大切さ
(1)信長の家康への細かい配慮と偏愛ぶり
無事、殿(しんがり)の大役を務めて帰参した秀吉と家康。派手に怪我に見えるようメイクし、命がけの働きをしたと演出する秀吉を冷ややかに疲れ切った顔で観る家康。そして、自分の手柄を誇張して吹聴した後に家康の功績を少しだけ伝える秀吉。
金ヶ崎の退き口の合戦自体は描かれませんでしたが、二人の様子から互いの溝が埋められた気配は全くありません。この共闘が、家康×秀吉の関係に何の益ももたらさなかったことが察せられます(だから合戦はドラマ的に不要に)。
さて、居丈高に改めての派兵を要請する光秀に冷笑で返す家康に対して、それまで無反応だった信長は、家康の頭を掴み、「来るか来ぬかはお主が決めろ。ただよ〜く考えてな?」と囁くように宣い、耳を甘噛みします。前回の大喧嘩の後の強面の笑顔と突然の耳の甘噛み。家康同様、視聴者もさぞ驚いたことでしょう。
前回、己の甘さと油断から浅井長政の裏切りと天下統一の第一歩としての朝倉攻めを頓挫させてしまった信長です。そして、何よりも自分のことを理解してくれていると勝手に信じていた家康からの「分からん。お前の心のうちなど分かるもんか!」の言葉に涙目になっています。
以前の、いやそれ以上に猜疑心の塊としての信長となってしまったのは間違いありません。それだけに、次に裏切られてまた傷つくことを恐れ、相手が確実に信用できるかを試します。それが、金ヶ崎退き口での「お前は好きにしろ」です。この言葉を額面通り受け取ってはいけないことは、彼を撤退戦に巻き込んだ秀吉の「あんたのために言っとるんだで」という冷静な一言が象徴しています。ですから、汚名返上と家康は撤退戦を戦ったわけです。
となると、ここまでの家康の行動はまず正解なわけです。当初、興味無さそうなふりをしていた信長の本心は愛する弟の可愛い行動をまずは褒めておこうというところなのです。つまり、あの怖すぎる笑顔は普通に笑っていたつもりかもしれません(笑)そして、わざわざ耳を甘噛みするのは、竹千代時代の関係を思い出させるためであり、当時からの彼なりの愛情表現にすぎません。つまり、これは信長からの「よくできました」なのです。だから、ちゃんと家族の土産に「金平糖(コンフェイト)」を持たせるのです。
このご褒美がなかなか怖いのは、金平糖の数が「瀬名、信康、五徳、亀姫」の4人分しかないことです。これは、家康が家族のために金平糖を求めていたことを何らかの手段で調べてあったということです。何もかもお見通しなのですね。そして金平糖を余分には持たせなかったところに、信長がまだ家康を信用しきってはおらず、「今後も頑張れよ」という無言のメッセージも感じさせます(苦笑)
情が深いがゆえに怖い行動の数々。また当人の思いはどうあれ、ハラスメント確定案件です。ハラスメント委員会のない時代ですから、家康には同情を禁じ得ません。
この信長の偏愛を見るにつけ、信長の家康対策は、裏切られないよう、裏切れないよう、自分の側にいるべきであることをとことん家康に分からせようということだと察せられます。単に理で説いても、まして強権的に支配する形でも、どこかに裏切りの不安要素が残ります。
あくまで対等っぽい同盟者の弟分で居てもらうには、家康自身に信長と同盟を組もうと心の底から決意させなければならないのです。この割と高いハードルを実現するために、リスキーな「お前は好きにしろ」「来るか来ぬかはお主が決めろ。ただよ〜く考えてな?」と判断を敢えて家康に預けています。
勿論、以前以上の猜疑心の塊に戻った信長に隙はありませんし、それだけの器量を自分が持っていることの自負があり、そして将軍の元で天下統一という理想と大義名分があればこその行動です。だから、単に判断を委ねるのではなく、「誰が乱世を治められるのか」を考えることだとヒントをきちんと与えています。
実は、これこそが家康に必要な大局的な視野というものです。戦嫌いの家康の理想は、家来や民のためにこの世に幸せを実現する「厭離穢土欣求浄土」です。三河一向一揆編で自覚したこの理想は、目の前の出来事に必死だったため見通しも立ちませんでした。しかし、三河守となり、今川との決着も一応着き、戦国大名の一人なった今、いよいよ何が必要なのかを考えなければなりません。信長の一言は「乱世を終わらせる近道が何かを考え、その視点で行動を選択しなさい」ということなのです。天下統一の大義と理想を家康より先んじた兄貴分の助言としては申し分ないですね。
ところでこの信長の親切はやり方こそ乱暴ですが、姉川の戦いの最中でも発揮されます。それが、家康が自身の拠点を見附に移すという話を真っ向否定して、強引に曳馬にさせた件です。これは、家康が信長の意見から浜松城を拠点にしたという逸話からの引用ですが、家康にとっては内政干渉という最悪の形で行われました。家康の激昂も仕方ないのですが、この件も信長の意見は、一々理に適っています。
実は家康が拠点に決めた見附は、籠城戦になると天竜川を背にした背水の陣になり地の利がないのです。更に尾張からも遠く、同盟者信長も援軍を送りにくい。だからこそ地の利のある曳馬を勧めたのです。更に縁起が悪い名前も変えるように言う配慮ぶりです。
因みに見附を拠点にすることを信玄は褒めたという逸話もあります。攻めやすいと踏んだからですね。安易に人を褒める人は裏があります(笑)
この強引さが正解であったのは、その翌年に三方ヶ原の戦いに信長からの援軍が間に合ったことで証明されます。因みに当時の信長は、結果的に出来た信長包囲網のような状況に手を焼いていて余裕がなかったにもかかわらず、家康に援軍を送っています。実際、信長から厚遇された同盟だったのですね。
また岡崎城に残る判断も信長からは否定されていますね。既に治まっている地域に留まっていては、新たに切り取った遠江を支配できないからです。信長の指示が的を射ていることが分かってきますね。
ただ、いささか強引に事を進めたのも事実で一触即発になりかけました(誠実な柴田勝家が、家康に自陣に戻るよう促し、それとなく衝突を避けるようにしているのが良いですね)。この強引さは家康に姉川での先陣を任せ、実は浅井への寝返りを逡巡する家康に鉄砲を撃ちかけ、早々に態度を決めるよう促す行為にも表れています。
ここには信長自身の焦りもあるようです。西に関心のある彼にとっては現実問題として、家康に東を任せて後顧の憂いを断ち、天下統一に専念したかったのでしょう。このことは、第4回「清須でどうする!」でお市が「今川も武田も元康に任せておけばいい」と清須同盟の有効性を述べていましたね。
このように信長は家康への偏愛と現実問題に落としどころをつけ、自ら「天下統一という大局的な視点で物事を判断すること」を実践的に家康に学ばせようとしたのです。単なる狂気的な愛情だけではないところが、ますます深い愛情だと言えるでしょう。
家康が間違えることがないように正解まで仄めかして、「さあ、考えましょう」なんて、あまりにも信長は家康に甘すぎますから(笑)
(2)石川数正と酒井忠次の慧眼と諫言
さて、信長が家康に強要した大局的な視点による物事の判断。図らずも、これがどういうものかを具体的に諫言したのが、今回の石川数正と酒井忠次の両宿将です。
信長からの度重なるパワハラと侮辱に耐えかねた家康は「信長に義はないから共に信長を討とう」という浅井長政からの密書に心が揺れます。一応、家康は、その言葉に嘘がないかどうか、陣立ての状況から確認をした上で冷静に判断をしようとします。これは前回でも見られた家康の成長部分ですが、ここに今回はメスを入れてきます。
長政からの密書どおり、信長には勝てそうと判断した家康は、それに乗ろうとしますが、これを止めるのが忠次です。家康は「義」を理由にし、本多忠勝初めそれに賛成しますが、「義なんてものはきれい事!屁理屈にすぎませぬ!」と看破します。この場にいた家臣たちは反論できるはずがありません。三河一向一揆の際、誰もが忠義でなく、信仰あるいは自身の利益に走ろうとしていますから。
信長からの催促の撃ちかけに激高し、なおも抵抗する家康は遂に浅井に着く理由を「浅井殿が好きだから」と感情に訴えます。言葉自体に嘘はありませんが、これは本心の本心ではありませんね。彼の本当の理由は「もう信長にいじめられたくないんじゃ」でしょう。それは、自陣で信長に悪口雑言を並べ立てながら、信長の気配を感じた途端(実際は平岩でしたが)怯えきるその内弁慶ぶりからも明らかです。どちらにせよ、彼の判断の源は感情論に過ぎませんから、忠次からも「一度会っただけで何がわかる」とバッサリです。
浅井が目の前に迫り、信長から催促される中、いよいよ判断を迫られるそのとき、沈黙していた数正が口火を切ります。「しかし、倒したあと、どうするのか」と。数正はここで信長に勝てるということがどういう意味を持つのかを問い質します。これは、今なら信長に勝てるという家康の判断が冷静な面を持っていたとしても、それは戦術面という一時的な正解でしかなく、戦略という将来を見据えた面では正解とは限らないと指摘しているのです。家康の成長はまだ十分ではないのです。
この数正の言葉が巧いのは、「どうなるのか」ではなく「どうするのか」と家康のその後の行動、家康のその先のビジョンについて問うたところです。つまり、信長に勝って、その先家康は何をするつもりか、あるいは何をすることが出来るのか。
数正も忠次も目の前の事態だけを見据えているのではありません。彼らはこの戦が、この先、どんな意味を持ってくるのか。幕府軍としての大義名分を持っていることの重要性を認識しているということです。西三河の旗頭である数正、東三河の旗頭である忠次、二人は旗頭として家臣の取りまとめと外交を担当しています(劇中では武田との折衝を忠次がしていますね)。
つまり、安易に家康に寄り添えば済む他の家臣とはものの見え方が違う。前回、数正が幕府について周りを諭したことからも分かりますが、二人には大局というものが見えています。これまでの考察で触れた家康に足りない大局的な視点を彼らは持っているのです。だからこそ「倒したあと、どうするのか」なのです。
勿論、家康が信長に変わって覇を唱え、それを実行する実力が備わっているならそれもありでしょう。しかし、現実には大局的視点を持たない家康にビジョンはありません。それを成せば、今以下の状況「ぐっちゃぐっちゃに逆戻り」(忠次)なのです。死ぬ思いをしながらどうにか潜り抜けたそれまでの家康の軌跡は、運にも助けられた奇跡とも言うべきものです。そうした中でようやく手に入れたものを全て失う…そこに気づいたとき、喚き散らす家康もはっとなります。恐らく視聴者の方々もこれまでの辛い話の数々を家康と共に思い出されたことでしょう。
そして追い打ちをかけるように数正が「殿、あのぐっちゃぐっちゃをもう一度やりますか?」と問いかけます。このとき、数正は不敵な顔で「殿にその自信があるならば付き合います」と言い切るのが良いですね。それに呼応して忠次も腹を括った態度を示す。
彼らもまた臣下として助言、諫言はするけれども最終的な判断は家康に預けています。ここで思い出されるのは、二人が三河一向一揆編で家康を信じられず揃って一向側に寝返ろうとしたことです。結局、吹っ切れた家康の判断に寝返りの密書を二人して破り捨てますが、この描写がここで生きてきますね。
このときの、家康の家臣や民のために生きるという決意を信じ、その後の修羅場で家康を支える中で「いざとなれば殿(家康)は正しい判断をする、我らはそれに従えば良い」と家康を信じられるようになっていった。だからこそ、二人は腹を括って、判断を家康に預けられるのです。三河武士団の絆の進化が一つ示されましたね。
家臣に信頼され、本然に戻されては、家康も感情論で判断することは出来ません。彼らの正しさが分かるからこその葛藤と逡巡と、その後の苦渋の決断が、今回の松本潤くんの見せ場でしたね。見事、正しい判断で織田信長につき、浅井・朝倉軍を撤退せしめます。
そして信長には「これからも判断を間違えるなよ」と期待をかけられ、今度は本当に耳に嚙みつかれます。愛すべき弟であることを認識し、それを家康の身体に刻もうとする信長流のご褒美が、ひたすらに痛く、この判断における家康の心情の苦々しさを表していますね。
そして、ここでも大勝した姉川の合戦自体はそれほど描かれません。彼の苦々しい気分と大勝のカタルシスは似合いませんから。ただ、浅井を討てなかったことを家康に責任転嫁する光秀のせせこましさと小馬鹿にした秀吉の態度が、家康の無常観を際立たせています。
(3)浅井長政は何故、大局的視点を活かせなかったのか
ところで家康が信長に着く判断をした際、それを知った長政の一寸、無念を漂わせ、その想いを振り切る表情が印象的ですね(大貫勇輔が好演)。
忠次には否定されましたが、実際の長政は家康の見立て通りの誠実で義に生きようとしたのでしょう。そして、弱肉強食の戦国の世に一縷の望みを抱いて家康に共闘を促したのですね。
ここで忠次の「義なんてものはきれい事!屁理屈にすぎませぬ!」という家康への言葉が、作品的には家康の鏡合わせである長政にも向けられた言葉であることに気づかされます。彼は自身の大局的な視点から、信長の武力により逆らう者すべてが蹂躙される過酷な天下統一を見て恐怖してしまいました。その恐怖が「乱世が終わる」という天下統一のもう一つの側面を見失わせたのです。
だから、その恐怖を義とすり替え、翻意した。しかし、哀しいかな、義だけ何とかなる世界ならとうの昔に天下は統一されているわけで、結局、そこには信長に変わるビジョンは無かったのです。ひたすらに長政の甘さが哀しい。
結局、将来に対する具体的なビジョンを持たずに、義という言葉の美しさと恐怖という感情に呑まれて行動を判断してしまったのが、本作の浅井長政なのです。そして、今回、信長の導きと家臣の金言が無ければ、家康もこうなっていたのです。
将来に対する具体的なビジョンがない…それだけに終盤のお市の覚悟は哀しいですね。「兄には絶対勝てません」と言い切るお市が長政の元に残る決意をしたのは、長政の誠意に応える、長政への強い愛情だけではないでしょう。彼女は長政を裏切らせたことを男なら切腹ものの失敗だと言っています。任務に失敗したと思い込む彼女には生き恥を晒し、織田家へ帰参することはあり得なかったのかもしれませんね。それならば、絶望的に難しくても、長政を天下人にする道にかけるしかなかったのではないでしょうか。長政への発破に、信長の妹ではなく戦国大名の妻としての覚悟が見えますね。
すなわち、姉川の戦いとは、大局的な視点とそれを活かすビジョンの必要性、そしてそのためには感情論で物事は判断してはいけないということ、それを家康に体感させたと言えそうです。そして、幼き頃からかかえる信長への苦手意識という家康の中に残る「まだ子どもな部分」が揺さぶられることになりましたね。
2.不穏な空気が漂う浜松城への引っ越し
(1)引っ越しによる別れが予期する永遠の別れ
その後、速やかに浜松城への引っ越しが信長の助言どおりに行われているという描写に変わります。このことは、家康が、姉川の戦いによって、改めて清州同盟の維持の必要性を認識したことを示唆しています。
一方でそれが姉川の戦いの傷心による苦渋の決断であったことは、築山で瀬名に泣きついていることから察せられます。その前に家康と別れて岡崎に残ることを泣きじゃくる平岩を「泣くな!」と叱っていたので、なお家康の泣き虫ぶりに拍車がかかっているのが面白いですね。なんにせよ、昔のごとく、泣きつき「一緒に浜松に行こう」と寂しがる家康を呆れつつもまんざらでない風に振るまう瀬名もどことなく幸せそうです。これは、冒頭の金ヶ崎帰還時に皆で金平糖を食べた場面にも通ずる家康一家の平和で穏やかな日々です。
ただ、この引っ越し前の二人の仲睦まじさには不穏なものが挿入されています。二人は離れて暮らすことになるため、家康は瀬名から薬の調合を学んでいます。万病円などの薬の調合を得意としますが、妻直伝とするこの一幕、この先の歴史を知る人には、この瀬名の薬研が形見になるのではないかと危惧してしまいますね。そして、心ならずも彼女を死なせる決断をした家康が薬研で薬を調合するときだけ、心の中で瀬名と対話し続けるのかもしれない…と哀しい想像が頭をよぎります。
更に「側室をどうする!」の考察記事で瀬名は政治的な関心もあると触れましたが、この面も書物で勉強しているという形で改めて出てきました。彼女なりに信康らを補佐することで、徳川家を守ろうとするための決意であり善意です。そのために、彼女は築山を人々に開放し、民の声を聞いてきたのですから。しかし、このことが五徳を初めとして、人間関係に軋轢を生むだろうことは、既に「どうする家康」特別編「乱世を生きる女たち」予告で流れていますね。
まして、これからは、常態的に家康は不在で戻ることはなく、彼女が相談すべき相手はいません。その築山に誰ぞが入り込んでくる可能性は否定できません。
更に家康にとっても、感情のまま振るまえる唯一の場所を失うことになります。今回、戦国の世では、優しさや義といった感情で物事を判断することが危ういことを思い知らされた家康は近いうちに、その優しさを兎の木彫りとして築山に置いていくことが「乱世を生きる女たち」予告で流れています。
このように彼女が妻として家康と共に過ごすことよりも、家を守ることを選択した今回の場面は、二人の間に大きな溝が生まれることをほのめかしています。築山での無邪気で穏やかな日々は、これが最後かもしれません。
岡崎における瀬名と信康の悲劇はドラマ的にはすぐそこに迫っています。このとき、家康の判断はおそらく、彼女らへの愛情と葛藤しながらも、大局的な観点から将来を見据えた論理的で冷静な判断を下さなくてならない。信長の教えが、この築山に忍び寄っているのですね。
一方でこの信長の教えた大局的な視点、実は第3回で於大の方が家康に説いているんですよね、「主君たる者、家臣のためならば、己の妻や子ごとき平気で打ち捨てなされ!」と。序盤にあったこの台詞が、今回の学びと呼応してブーメランとして返ってくるのです。
戦国大名として必要な大局的視点を活かす資質が問われる事態を予感させています。
(2)切り取った敵地:浜松
今回、ナレーションの神君家康神話と一番ズレるのが、浜松の民の歓迎でした。上洛などで放置したままに近かった遠江の民らは、未だ今川家の思いが強く、家康に反感を抱いています(田鶴が領民に慕われていたくだりがボディブローのように効いていますね)。それを象徴するのが、老婆の石入り団子であり、美少女戦士、井伊虎松による家康襲撃です。虎松は忠勝と康政の連携を躱し、武将の片鱗を見せていますが、「おんな城主直虎」同様、気性が荒いですね。
そして、このような未だ敵地とも言うべき遠江を狙っているのが、武田ルシウス信玄です。彼は姉川の戦いを「桶狭間以来の信長の神通力が切れた」と評していますが、その台詞には彼が時の運が自分に訪れるのを待っていたことが察せられます。深謀遠慮から時機を待てるのも戦国大名の資質。信長と同じく大局的な視野を持っています。
本作では描かれることはないでしょうが、この後、信玄は本願寺の義弟、顕如に一向一揆を起こし信長を追い込むことを頼み、更に生き延びた浅井・朝倉に信長の牽制も依頼しています。神通力を失ったとみて、速攻、信長に対して攻勢に出る権謀術数には、冷徹で現実的な判断と広い地域に対する外交政策が見えますね。
こうした力を持つ信玄は、「切り取った他国を治めるのは容易ではない」ことも知り抜き、「困っている民を救わねば」とうそぶき、以前も床にばら撒いていたあの碁石金を再び取り出し、歩き巫女の間者、望月千代女に「さあ、おう、千代」とどっさり渡します。
以前の記事(「団子で表現されたもの」)で触れたとおり、資金を調え、外交と諜報を駆使して、必勝の状況を整える…その用意周到さこそが信玄の武器です。そして、今川氏真が、それに破れたことも既に描かれました。千代に金を渡すのは調略の始まりを意味します。今川家を滅ぼしたその力が、今度は家康に襲い掛かろうとしているのです。まして、家康に反抗的な今の遠江ならば調略も容易でしょう。
一点、家康について「心配でならぬわ」と本気とも冗談とも取れない発言をした信玄の髭が白みを増していることだけが救いです。信玄には老いが迫っているのです。
いずれにせよ、遠江は既に一触即発の危機がすぐそこに迫っています。加えて、反抗的な土地柄と襲撃を許したことを見れば、やはり浜松城を拠点にせよと言った信長の大局的な物事の判断が正しく、家康が甘かったと断じざるを得ません。姉川の戦いで家康に示された、大局的な視点、感情に走らず先を見据えた判断力、これらをすぐに獲得しなければならない切羽詰まった状況にあるのです。
おわりに
このように終盤に示された今後をほのめかす数々の不穏な情報を総合すると、今の家康に足りていない大局的な視点、将来を見据えたビジョン、感情で行動しない、といったものを早急に手に入れなければならない切羽詰まった状況が見えてきます。
信長の判断の正しさと家康の甘さ(その甘さは美徳でもあるのですが)を対比させ、大局的な視野の必要性をはっきりさせておくには、危機を背景にしたこの引っ越しまでを描く必要があったことが察せられます。
平たく言えば、暴力的なまでの家康へのハラスメントは、単純な信長の個人的な家康への執着心だけではなかったということでしょう。勿論、彼の家康への偏愛が病的で、周りが嫉妬するほどあることは変わりありません。今回も家康を監視しろと言われた時の秀吉の嬉しそうな顔が印象的です。
それにしても、浅井長政に内通を期待され、信長には執着され、信玄には半ば「心配」される。家康、モテモテですよね。まあ、本人には色々と大迷惑なことでしょうが(笑)
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?