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【母の介護について】…与えられた特別な時間。

国立長寿医療センター入院からの出来事は、もう少し書こうと思いますが、
「母の介護について」の締めの文章を先に書く事にします。

父の性格や、仕事の内容から、母は、自分の人生を父と西川流に捧げていたと言っても良いほど、毎日父の事を第一に考えて行動をしていた人でした。

母が要介護になり、父が、車椅子を押したりお世話をしながらいると、父の友人などからは、かなりの確率で、「今までずっと苦労をかけたんだから、今度は奥さんのお世話をするの当然!恩返し!」と言う内容の事を言われていました。
父は、「今ひとつ納得いかんなぁ」と言う感じでした。
が、要介護になってからの母は、笑顔で「私は、今が1番幸せ!」と言っていました。

私はと言うと、父が自分1人で介護をしてる…なんて、人には、言うので、
「いやいや、私ですよ…365日介護してるのは!」と思い、「まあ、見てれば分かるけど…。」と思っていました。

1つ年上の姉、歳の離れた弟。
たぶん私は特に手のかかる子供ではなかったと思うし、20代前半で家を出てからは、両親と一緒に住んでいなかったので、母と2人きりで過ごす時間はほとんどありませんでしたが、突然降ってきた「親の介護!」。

どれぐらい大変だったのか?…は、はっきり言って、よくわからない。なぜなら、他の方の事は分からないし、毎日お世話し、毎晩起こされるのは、子育てもそうだし。
母が亡くなって年月が経ってきたら、
「介護とは、」なんて語れないほど、大変さを忘れてしまう。

ただ言える事は、それまでは、無かった母との時間、そして父との大切な時間を過ごせたと言う事。
それは、私にとっては、必要な時間でした。

両親に甘える時代は、あまりなかった気がしてるけど、わがままを言わせてあげる時間が持てたこと。
そして、たくさんの良い出会いがあり、色々な事を学べたこと。

母が亡くなってから、父・西川右近が、講演会で言った言葉は、「介護は、大変です。本当に辛いです。でも、介護をする人がいなくなった今の方が、もっとつらいです。」

父にとっても要介護になった母との時間はとても重要だったと思います。

「親の介護」は、私にとって、"与えられた特別な時間"でした。

介護は、0から突然、100になり、母が亡くなり、また0になった。 

大変さは、忘れてしまうけれど、母とのそして父と協力して介護をした時間は、忘れないし、忘れてはいけない事がたくさんありました。  

長い年月の要介護ののちに母が亡くなって7年、「僕の分も余力を残しといてね!」と言いながら、1日の介護もさせなかった父が亡くなり3年。

時系列など細かい事は合っていないかもしれないけれど、私の初めての体験であった母の介護についてを、記録として残させていただきます。

2024/4/15

西川陽子

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