見出し画像

【母の介護について】…少しだけ自分のこと。③

日々の介護は24時間と言っても間違いではなく、いつまで続くのか?は分からない。

私は、自分のマンションを人に貸す事に決め、荷物は整理して、実家暮らしになりました。
マンションは、管理会社が、賃貸に出したい人のために、賃貸用のシステムがあるので、それをお願いし、借りる人も募集してもらい、とりあえず2年とか、3年とかの区切りを決めて、定期借家として出してもらいました。結果、3組の人に約7年間ぐらい貸す事になりました。

24時間365日✖︎何年間の介護生活になるのか?予想はつかないので、時々、父がいる時に、お休みをもらい、1泊〜2泊の旅行に出たり、プチ家出と称して、市内のホテルに1泊しにいくなどと言う事もしました。

父は、各地のお稽古のため、ホテルに泊まることも多く、ある程度の自由時間を作っていたのと、根っから仕事好きなので、仕事のお仲間と出かける事も度々ありましたし、私が、体調が悪い時をみていたので、ある程度私のプチ家出には、協力的でした。

今、考えると、わりとうまく、介護生活をしていたのではないかと思います。

とはいえ、夜中に何度も起きることや、毎日の繰り返しの介護に疲れていることはたしかでしたので、時々、父が不在の時は、弟や甥に夜中になってもいいからと、泊まりに来てもらったり、姉や義妹に母も一緒に食事などに連れて行ってもらったり、美味しい物を届けてもらうこともしばしばありました。
やはり、同居の家族のみではなく、周りの人達の協力と支えがあると、本人はもちろん、介護をしている人は、気持ちの上でも、体力的にもかなり助かるのだと思います。

ただ一度だけ…、母が亡くなる10日ほど前でしたか?
(その時は、母もずいぶん具合が悪い状態で、父が不在の時)
どうしても辛くなり、「お母さんは、大丈夫だけど、私が大丈夫じゃない!」と忙しいとわかっていながら、姉弟に頼み来てもらい、エスケープして、近所のファミレスに行きました。
ちょうどその時、NOSSに来て下さる当時91歳の方から「私、年末に心臓の手術をしましの。もう退院して家におります。私が休んで、先生が心配されていたと聞きましたので、お電話しました。」とご挨拶のお電話をいただき、イライラと煮詰まっていた自分をおおいに反省して家に帰った覚えがあります。「この方のようにしなやかに生きたい」と思いました。

西川陽子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?