「高級な」おだんご ーリライト版ー
「だんごのおばちゃ~ん。だんごのおばちゃ~ん」
私達の住むマンションの目の前は和菓子屋さんです。
家族みんなで何度かそのお店でお買い物をするうちに、子供達はすっかり和菓子屋のおばちゃんと仲良しになりました。
今では、買い物にいく度に買ったもの以上にどら焼きやカステラなど、子供達への大量のおまけがつきます。
保育園からの帰りに、マンションの自転車置場でおばちゃんを発見すると、息子2人は冒頭のような声をあげます。
するとおばちゃんは、店の中からいくつか商品を取り出してきて2人にくれます。
また、たまたま道端で会った時でも、わざわざスーパーで買ったであろうものまでくれるんです。
先日、さすがにいつももらっていてばかりだったので「何だかいただいてばかりで申し訳ありません」とお話ししたところ、「いいのよ。いつも声をかけてくれて可愛いから、こっちも嬉しくてやってるのよ」と返してくれました。
長男はおばちゃんからお菓子をもらった際、いつも「おばちゃんありがとう。パパ~。高級なものもらったよ~」と、お菓子を片手に私に駆け寄ってきます。
最初のうちは気にならなかったのですが、私はだんだん『高級な』の部分が「息子が高いものをおねだりしてるようで、おばちゃんがイヤな気にならないか?」と引っ掛かりを感じるようになってきました。
そして先日、長男に「Yちゃん。いつもおばちゃんにお菓子もらった時に『高級な』って言うじゃない?そうすると、おばちゃんはいつも高いものをYちゃんにあげなくちゃいけないと思ってしまうかもしれないから、『高級な』って言葉をあんまり言わない方がいいと思うんだ」と伝えました。
「?」と不満そうにしている長男。
そんな2人のやり取りを見ていたママは「パパ~。Yちゃんは『高級な』っていつも言ってるでしょ?なら、おばちゃんからもらうものはYちゃんにとっては全部『高級』なんだから、そのままでいいんじゃないのかな?」と私に声を掛けてきました。
私は返す言葉が見つかりませんでした。「なるほど、その通りだなあ」と思いました。
私が長年かけて培ってきた『ようかん特製オリジナル色眼鏡』は、「高級」を「高いもの」と自動変換しました。
しかし、長男の心はおばちゃんから受け取った『愛』をその大小に関わらず、いつでも『高級(最上級の喜び)』と捉えていたのだと思い直しました。
妻の柔軟さが、私をハッとさせました。
『頭』より、まずは『心』が大切なんですね。
アラフィフは、家族から学ぶことがまだまだたくさんあるようです。
そんな複雑な気持ちの中で食べる「高級な」おだんごはいつも通り美味しく、また、ちょっぴり苦い味がしたような気がしました。
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