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どのような人生を願うのか?


フルムーン旅行


40年くらい前のお話です。
当時の私は二十歳前後でした。
ある日、一緒にアルバイトをしているEちゃんから話しかけられました。

ちょっと聞いてよ!
友達のKちゃんたら酷いんだよ。
あたしフルムーン旅行に行くのが夢なんだって言ったら
Kちゃんはこんなことを言うんだよ。
今20歳だから68歳の人と結婚したら行けるよ。だって。
それってちょっと違うんじゃない?

うんそうだね。
20年ぐらい一緒に生活して、いろいろあって
いい事も大変なことも共に乗り越えて、全部笑い話にできるようになって
そういう人と一緒に旅行したいって事でしょ?

フルムーン旅行とはJRが出しているサービスで、夫婦の年齢の和が88歳以上のカップルに販売される割引切符です。
当時、物凄く珍しい商品として話題になっていました。
CMを見ながら何となく私も、ああいうのいいなぁって憧れて見ていました。

私の場合


何気なく思い出したEちゃんの事ですが、同時に私は元夫とどんな思い出があるだろう?
と思いました。

残念ながら元夫に関する思い出は
全部食べられちゃった!
だったのです。

先日、食いつくし系と言う言葉を目にしました。
何となく意味が通じましたが、とりあえず検索してみました。
そうしたらネガティブな記事がたくさん出てきました。
そして元夫にも当てはまる事柄がたくさんありました。

幼い時の願い


5歳の時に母が離婚し、私はそれまで父と父方祖父母と生活していましたが5歳から母と生活するようになりました。
0歳から母とは別居でしたのである日、母の所へ連れていかれ今日からお母さんと生活するのだと父親に言われたのです。
まだ離婚が珍しい時代だったので、世間的にもいろいろありました。
よその家を見て、あんなふうにお父さんとお母さんと仲良く幸せそうな家で猫と暮らしたい。
そのように思いました。

息子が高校を卒業し、会社の寮に住むようになりました。
いつものように長期休みに息子が帰ってきて、休みが終わり寮へ帰っていきました。
何気なく猫をなでながら、あぁ私は幼い日に願った幸せをとっくに手に入れていたのだと気づきました。
ただ自分が子供の立場ではなく、母親の立場だったことがちょっと複雑な気分でした。

私の願い


元夫が用意した住まいは、当初2年くらいの仮住まいと言っていました。
ところが気づけば30年ほどが経過していました。
私も仮住まいと思っていたので、いろいろな場面で仕方ないかとあきらめていたこともあります。

しかし老朽化に伴い最初は小さな問題だったのが、どうにもならない問題になってきました。
当時の私が一番願ったことは、作品制作をするのに快適な作業部屋が欲しいという事でした。

かなう願いとかなわない願い


願いの中にはかなりの確率で無理という物もあります。
それは、○○さんが○○してくれたら良いのに。
こういう願いはほぼ無理になります。
なぜなら他者が何かをしてくれる事を願っているからです。

自分が変わろうと努力するのもそれなりに大変ですが、他者を変えるなどほぼ不可能です。
それを他人に○○してください。などと願うのはほぼ無理なのです。
この願いを私は○○したい。このように書き換えると願いが叶う確率は大きく上がります。

願いをかなえるために


時間はかかりましたが、私は自分の願う作業部屋を手に入れることが出来ました。
作業部屋が欲しいと願い、その為に行ったことがいくつかありました。
結果として離婚をすることになりました。
このことについて私は全く後悔をしていません。
むしろなんでもっと早く離婚をしなかったのだろう?と思うくらいです。

願いをかなえるためには、その願いを強く意識することだと言います。
また今の現状を変えたければ、自分の魂のレベルを上げれば変えることができると言います。
そういう言葉は知っていても、当時の私はどうすれば良いのかがわかりませんでした。
現在もあまりよくわからないと言うのが本心です。

ただ変わろうと願うのであれば、誰が言った言葉であろうとも全て実行しようと思ったのです。
その内容が、法的に正しい事、社会的に間違っていないことであれば全て実行しようと決めました。

変わろうと努力することと、変わることを拒否する人


複数の人がいて一人は変わることを選び、もう一人は留まることを望んだとき、最初はほんの小さな違いでも時間の経過とともに、差は開いていきます。
そしてその差が大きくなった時、何らかの形で別れが来ます。
何となく疎遠になったり、話が合わなくなったりして縁が切れます。

二人の人間が居て、何となく似たようなペースで様々なことを学び良い関係が続けば、長い付き合いになると思います。
ところが成長したい人がいて、足を引っ張る人がいるのであればその縁は切ったほうがお互いのためになりますし、無理に続けていてもいずれ切れる縁だと思います。

おしどり夫婦


長い間、仲睦まじい夫婦の事をおしどり夫婦などと言いますが、お互いに共に成長しあい良い関係が続けられれば良い理想的な状態と考えられます。
しかし残念ながら理想通りにいかない場合もありまして、こればかりは仕方のない事と思います。

ある方に、私と元夫のNさんが一緒になったのが理解できないと言われました。
しかし私自身は、今の私を見ているからそう見えるのであって、二十歳そこそこの私はああいう性格でこういう考え方をしていたから、だからNさんに釣り合っていたのだと感じます。

しかし自分の欲しいものを願い、それを得るために意識やその他いろいろな事を変えるために努力した結果、Nさんとの離婚を勧められました。
知り合いはNさんとは縁を切るべき人と言われたそうですが、私も彼女もなぜそう言われたのかがその時は理解できませんでした。
今はそういわれた理由がよくわかります。
また機会がありましたら、お話しすることもあるかもしれません。

54歳という年齢


私が離婚を勧められ、離婚届を書いて提出したのが54歳の誕生日を迎えて3か月ほど経過したときです。
54歳だったと言う事でちょっといろいろ思う事がありました。

母(1935年生まれ)の時代は女性は55歳で定年と言われていました。
母は教員をしていました。
退職した歳が何歳だったのかは正確にはわかりませんが、少し早く退職をしたので54歳ぐらいだと思います。
そして元夫の兄嫁さんが癌で他界したのが54歳だと聞きました。

そういう訳で離婚届を出した時の気分は、主婦を退職したという気持ちでした。
先日ある方の記事で「卒婚しました」とあり、一瞬意味がわからなかったのですが、婚を卒すると言う事だから、あぁお一人様になったのね。と理解しました。
そういう事であれば、私は主婦卒業という感じです。


どのような最期を願いますか?


よく幸せの代名詞のような終わり方に、多くの子供や孫たちに囲まれて・・・と言われることがあります。
もしそのような物を望んだとき、そこに至る過程が必要になってきます。
家族に慕われそれなりの時間を過ごしてきた結果、子供や孫たちに囲まれた老後が来るのだと考えます。

私は祖母や祖父のように、お迎えが来る直前まで作品作りや仕事をしていたいと思います。
その為には、その日を迎えるために今の生活があると感じます。
つまり、ある日突然理想の日が来るのではなく、理想の今があるからその延長線上に理想の終わり方があるのだと思います。



最後まで読んでいただきありがとうございました。

読んでいただきありがとうございます。 アトリエを無事引っ越すことが出来ましたが、什器等まだまだ必要です。 その為の諸費用にあてさせていただきます。