見出し画像

離婚、引っ越し、その後

#離婚 #結婚生活 #復縁は考えられません #一人暮らし満喫中


離婚について


私が新生活に向けていろいろ準備を始めたのが、離婚届にサインをする2年ほど前からでした。
その時はまだ実際に離婚をするかどうかは未定でした。
そしてその2年間私がいろいろ準備をしている間、元夫は特に何もせず今まで通りの生活を続けていました。
元夫はいろいろな意味でそれまでの生活を崩さずに続けていくことを願っていたのです。


画像1


私は離婚した母に育てられました。
思春期の頃は母に物凄く反発がありました。
母が結婚生活に失敗したのは、母がお嬢様だったから家事がなにも出来ないから嫁ぎ先から追い出されたと思っていました。
これは後に事実と違っていたと知りますが、母が家事が苦手だった事は事実です。


そのように二十歳代は考えていましたので、結婚した時それなりの覚悟をしていました。
母からはかなり反対された結婚でしたが、母も明確に元夫の問題点を指摘できたのは給料が安い事だけでした。
そして当初からわかっていた経済的大変さについて、私は何も言うまいというのが私が覚悟したことの1つでした。


母がキリスト教信者だったので結婚式の宣誓と言えば
「病めるときも健やかなるときも、共にあり続ける事を誓いますか?」
これが私の中にありました。
(結婚式は特に行わず、親族の人たちで食事会を開いただけでした)
だから17歳年上の元夫と結婚した時に、当然それなりのかたちで看取り最後を迎えるつもりでいました。


しかし私がいろいろ自分の周囲を整理し始めてからの2年間、目に見える事で大きな変化の1つが住環境の悪化でした。
当初2年間の仮住まいと公言し用意した住まいでしたが、結果として30年が経過しましたのでそれなりに問題も大きくなります。
老朽化に伴い当初は小さな問題点でしたが、だんだんどうにもならない問題に変化します。
しかし元夫はそれに対しての対処をほとんどしませんでした。


そして私は周囲の方達の勧めもあり離婚になりました。
離婚届に元夫はすぐにサインをしてくれましたが、家を出て一人暮らしを始めるまで更に2年間がかかりました。
そして2020年12月27日にようやく現在の家へ引っ越しする事が出来ました。
引っ越しして半年が経過し、ようやく自分らしい生活が出来るようになったと感じています。


画像2


人間関係


元夫は私が作る様々な物に対して、どれもこれも否定的な目で見る事しかできない人でした。
自分が居るからそういう生活が出来るのだと思いたかったようです。
結婚当初は私もパートなどをしていました。
しかしいろいろな事情も含め、私が家に居る事を望んだ元夫です。
私も家に居る事を望んだので、この点は全く問題が無いです。


しかし元夫は自分が外で稼いでいるから、私の生活が成り立つのだと主張したかったようです。
世代的問題もあり亭主関白でいたかったのだと思います。


仕事から帰ってきて仕事先のいろいろな方たちの悪口を多く言う事がありました。
しかし息子が中学生、高校生だった時期なので私はそういう話を聞かせたくなかったのです。
もちろん私も聞きたくなかったのです。
そこで繰り返し元夫に、そういう内容の事を話さないように言いました。


もともと他人の事をいろいろ言いたい人だったのかもしれません。
私の事も外で好き勝手に話していたようです。


私の中で1つのルールがあります。


Aさんが私に
Bさんがあなたの事をこんな風に言っているよ。
このように言ってきたとします。
私は、あらそうなの?という事はあっても
Bさんに、あなた私の事をこう言っていたんだって?
このように聞くことはしません。


私に直接言ってきたことのみにしておかないと、人間関係がおかしくなるからです。
このAさんが良い人であればまだしも、Aさんが人間関係を混乱させるために好き勝手言う人かもしれないからです。
元夫に、私の事をこんな風に話をしているのだって?
と言った場合、元夫が否定すればしたでギクシャクしますし、肯定すればそれはそれで問題になります。
不要な争いを生まない事を望む私は、どちらにしても黙っているのが一番と考えていました。


画像3


離婚届を出してからの2年間


今までほとんど家事に関心が無かった元夫です。
家事にと言うより、自分以外の事にと言ったほうが良かったのかもしれません。
とにかく私が居なくなると食べる物に困るから自分が炊事をやると言い出しました。
それは必要な事なので私も了承しました。


非常に驚いたことがあります。
山奥で買い物に行くのは基本的に週1回の生活でした。
途中で1回前後、足りない物を買いに行くことはありました。
つまり基本の食材をいかに変化させて食べるかが、知恵の見せ所です。


しかし元夫は私がいろいろ作ってきた料理をほとんど覚えていないというのです。
それを聞いたとき全身から力が抜ける気分でした。
夕食を作り、翌日の朝食と元夫のお弁当になる事が多い食べ方でしたが2人家族なのに今考えれば5人前から10人前くらい作るのが普通でした。
時にお弁当の分が足りなくなりそうなので最初に寄せておくことも多かったです。
それだけの量を食べておきながら、覚えていませんと言われた時は呆れるしかなかったのです。
結局、元夫は自分中心の考え方で他の物は目に入っていなかったのだと思います。


最初のうちは私が現場監督するような形で元夫は食事の準備をしていました。
しかしこの2年間で元夫がいかに口先だけの人間かがわかりました。
私は何回か本人に、もう少しまともにいろいろ出来る人だと思ったけれどもこれほど何もできない人だとは思わなかったと言いました。


今まで偉そうにいろいろ言っていた元夫ですが、人前で良い恰好を見せたい性格ゆえにかなり話を盛っていたようです。
様々な場面で、いったいそれはどういう態度なの?
そんな事でよく今まで・・・そう思い言ったことがかなりありました。
息子の前でも話したことがありますが、なぜ60過ぎの70過ぎた爺さんにこのような保育園児に言うようなことを指摘しなければいけないのですか?
このように言ったことも数多くあります。


そんな生活も2年が経過しようやく念願の引っ越しをする事ができて、私も新生活をスタートする事ができました。


画像4


引っ越し後


私は初めての一人暮らしになります。
猫1匹との生活を満喫しています。
正直、なぜもっと早くこういう決断ができなかったのか?そう感じる部分も大きいです。


最初に感じたのは食生活でした。
長い間、元夫はお弁当が必要な職場でした。
夕飯の時にお弁当を考えて、それに沿ったメニューにする事が多かったのです。
朝早い仕事なので、朝お弁当を用意するのはいろいろ難しかったのです。
お弁当を考えなくて良いのは非常に嬉しかったです。


私が何かを作っているときに不満そうな顔でジロジロみられるのは気分が良い物ではないです。
仕事が忙しく家にあまりいないときは気にならなかったのですが、歳をとり家にいる時間が増えてくるとかなり苦痛になっていました。
元夫は言葉に出していろいろ言う事は少なかったのですが、その分私に言わず他者に私が作っている物に関しての不満を言っていたようです。
周囲に言えば私に届くと思ったのか、それとも私に聞こえないと思ったのかどちらかはわかりませんが、どちらにしても気分の良い物ではありません。


一人暮らしになりそういう目も気にしないで良くなったのは、とても気楽になりました。
これからは誰にも遠慮しないで好きな物を作る事ができるというのも、ある意味喜びです。


元夫はあちらこちらで、また同居したいような事を言っているようですが、私はこのように一人暮らしを満喫しておりますので復縁するなんてとんでもないと思っています。
もちろんこのままずっと一人でいるのかはわかりません。
良いご縁がありましたら考えるかもしれませんが、若いころと比べて良いお相手を積極的に欲しいと思っていませんので、相当好条件でないと納得しないと思います。


画像5


なぜそんな人と一緒になったのか?


小学校4年生の時から私は炊事を行っていました。
月に1回は大きく体調を崩し、食事がほとんど取れなくなり嘔吐を繰り返す母との生活です。
そんな母との生活に疲れていたというのもあります。


そして当時の女性はクリスマスケーキに例えられ、24歳までに結婚と言われていました。
その反面結婚しない女性も増えていたのですが、やはり結婚に憧れがありました。
気づいたら私の周囲の人たちの多くが結婚して所帯を持っていました。


私も母との生活をやめて、新しく誰かと一緒にと願うようになっていました。
そんな時に元夫に出会いました。
木工で作品を作っていずれそういうお仕事がしたいと夢を語っていました。


私は男のいない家に育ちましたので、掃除などに無頓着だとか大雑把な性格だとかそういう事に関しては皆さん、男の人ってそういう物だよ。と言いますからそうなのだろうと思っていました。
私も自給自足の生活にあこがれていて家庭菜園などを行っていたこともあります。
収入が少ないというのは百も承知して一緒になった結婚なので、お金のことは言うまいと覚悟しましたがそれが裏目に出たようです。


その頃はまだ何を作る人になるのか私自身方向性が決まっていませんでしたが、お勤めは不向きと思っていましたから家で何かを作る人になろうと思っていました。
出会った頃、元夫は生涯現役を目指すと言い、私の祖父が他界した時も言っていました。
ああいうふうにあっけなく終わりたいと。


祖父は自分の毎日の仕事を決め、出来る範囲でいろいろやっていました。
というのも祖父の親方がある日、ちょっと横になると言ったきりそのままだったそうです。
今思うに脳梗塞だったのでは?という感じです。
そして祖父も99歳で他界しますが、朝具合が悪いからと親父の車で病院へ行き、そのまま帰ってきませんでした。
心臓だったようですが、年齢を考えれば大往生です。


しばらくの間、祖父はどこか遠くの病院へ入院している、そんな気分でした。
そして、ああいうのが最高に理想で良いと言った元夫です。
しかし70歳を過ぎていろいろ面倒になってきたようです。
知り合いが話を聞いたとき、テレビを見て何もせずにのんびりしたいと言ったそうです。
生涯現役でいたいと言った言葉とは正反対を望んでいます。


何を望むのも本人の自由ですが、私はそのような人とは一緒に居たくないのです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

読んでいただきありがとうございます。 アトリエを無事引っ越すことが出来ましたが、什器等まだまだ必要です。 その為の諸費用にあてさせていただきます。