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後悔するということ

数ヶ月前に急逝した、と知らされた友人とは
さまざまな思い出があります。
特に飼っておられた犬について多く
去年なくしてからは
ペットロスで苦しんでいたんじゃないか
と思ったり。

この冬に電話が入ったとき
出ない選択をしたのは
年末だったか年明けだったかも
あいまいな記憶です。

共通の知人に話をしても
自分の気持ちを説明できなくて
行き場の無い悲しみが続きます。

昨日ふと、染織工房にいた頃の先輩に
話してみたくなりました。
20代の一時期ですが
いろいろお世話になった方です。

LINEメールを入れて。
反応がないので
少ししてからLINE電話して。
通じないので携帯番号にかけて。

たまりかねてご実家の固定電話にかけて。
それでも誰も出ません。

先輩は、実家で高齢のお父様と同居のはず。
お父様が入院中とかなら
先輩のLINEか携帯で反応がありそうなもの。

この無反応な、とてもとてもイヤな感じ。

今夜、もう一度ご実家の固定電話にかけました。
しばらく鳴らすとつながりましたが男性の声。

「Hさん、いらっしゃいますか?」
「・・・2月28日に亡くなりました。」

今年の年賀状が届かなかったのですが
1月3日に電話がありました。
数時間も長々とおしゃべりしたのが
最後になりました。

1月の終わりごろから入院したそうです。

どんなおしゃべりをしたのか
覚えていません。
体調が良くない、と言っていたような?
定期的な病院通いが今でも続いているとも聞いたような?

中学で教えた頃の話を聞いたような?
共に働いた染織工房のおばあちゃんの話をしたような?

滅多にない電話をくれた理由は、何だっけ?

最後に会ったのは、大阪の鶴橋で
数年前のはずだけれど
いつだったか記録がありません。
また今度は、私が訪ねるつもりでした。

一緒に旅行した思い出。
またいつか、いっしょに行けるつもりでした。

あまりに遠くに住む年月が長くて
道が分かれてしまって
接点がないのが、あたりまえで。
それでも、つながっていると思っていました。

なんてウカツなのでしょう。
わたしたちは誰でも
はかない存在なのです。


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