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”一人”を選んで見た景色 PCT-4

”一人”で行動することを選んだから見れた景色というものがある。

PCTでは同時期に歩いているハイカーの数が多く、単独で行動する人もいれば、少人数のグループで行動する場合もある、あるいはカップルで動く人たちも。状況によって一人で行動することを選んだり、誰かと一緒に行動してもいい。そこにはルールなんてものはない。

4200kmという距離を歩くという、途方もなく感じる距離を歩いて旅する中で、自分の意志が大切と言える。必要以上にお互いの行動を気にしない心地のいい関係とも言い換えることもできる。

トレイルでの生活が始まって1週間が過ぎた頃だっただろうか。
PCTの南の起点をスタートした時期が近いハイカーたちは、なんとなくグループのような状態になっていた。初めてだらけの高揚、これから先の旅への不安、いろんな気持ちが相まって、グループで行動する確率が高い時期だ。
歩くペースはそれぞれ違うけど、1日の終わりに同じ場所にテントを張り、情報交換やコミュニケーションをとる。僕も同じように、数人ハイカーたちと行動を共していた。

その日は前夜同じテント場で休んだメンバーと行動開始し、歩く距離が長くなるにつれて、それぞれの行動になっていた。英語でのコミュニケーションに疲れを感じていた僕は、一人で行動することで少しだけ心が休まっていたようにも思う。20マイル(約30Km)程度歩いた頃、今日の寝床にぴったりそうなテント場所を見つけた。PCTのトレイル上は基本的にどこでもテントを張ることを許可されている。


水は貴重、こんなところから水を獲得する

そこには馴染みのハイカーがいて、挨拶をかわす。ぼんやり過ごしていると、後ろからまた、最近行動を共にしていたハイカーがやってきた。1対1での会話はなんとなくやり過ごすことができるが、グループのトークに混ざると一気に難易度が上がる。話したいけど、タイミングが掴めない、英語に自信がない。無口になってしまう、最近こんな日が続いていた。悪いの彼らではない。
ここに今日はみんなでテントを張ろうという話になる。(僕は聞いているだけ)
この時に、自分の中で今日は一人で先に進もうと決めた。

「僕はもう少し歩くよ」

そのテント場から先はアップヒルだったので、本当は先に進むより休みたかったのだけど、その時はもう先に進まざるを得なかった。誰とも話したくないし、彼らに気を使わせたくない。
心配そうに声をかけてはくれるものの、引き止めることはしない彼ら。いつかまた会えるだろう。いい塩梅だ。

そこから日が暮れるまでの数時間、アップヒルを上り続けた。なんだかとても長い時間だった。
疲れもピークだなと思った頃、パッと景色が開ける場所に辿り着いた。

忘れられない景色になった

思わず立ち止まってしまうような、素晴らしい雲海がそこにあった。あまりの美しさに、ここに泊まることに決めた。周りには2人くらいだろうか、単独行動をしているように見えるハイカーがいた。この景色を独り占めすることはできなかったけど、彼らは僕に興味を示さない。
すぐにテントを張り、食事の準備をしながら、雲海に吸い込まれように沈んでいく夕陽を静かに眺めた。

今日この瞬間にここにいたから、見れた景色。ここを通るタイミングが違ったら、違う場所でキャンプしていたら、いろんなタイミングが重なって見れた景色だった。自分の意志で動いたからこそ見れた景色で、周りに流されていたら見れていなかった。
そういう瞬間だった。

苦手意識が生まれ始めていた英語でのグループトークをする必要もなく、一人の時間を素晴らしい景色と共に過ごして心が落ち着きを取り戻したのか、僕は、少しだけ彼らに会いたくなっていた。

翌日、昼過ぎには彼らと再会することになる。
僕は心地よい気持ちで寝たからか、テントでゆっくり寝ている間に(つまり寝坊した)彼らは僕を追い越していたのだ。感動的とは言わないまでも、たった一晩の別れでもそこそこに嬉しかった。
そこから数日彼らと過ごし、そして、僕が怪我をしたことで別れることになる。


怪我をする直前の僕

この文章は、pacific crest trailをハイキング中に感じたことを綴っているもので、日時や場所、環境の表現などの正確性にこだわったものではありません。あのよくわからない日々の中で起こったことを、今や、朧げになりつつある記憶を辿りにできる限り鮮明に記録に残していく。鮮度の落ちてしまった記憶に、今思う気持ちを繋げていく、ノンフィクションのようで、ある意味ではフィクションなのかもしれないなと思う。

読んでいただき、ありがとうございます。こちらのマガジンにまとめています。


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