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梅雨明け | re

最近雨が多かったせいか太陽を見ると「外に出なければ…」という謎の焦燥感と「この日差しの中外に出たら後悔するに決まっている」というこれまでの学習の鬩ぎ合いで、結局日が暮れるまで家で横たわり、ぬるくなった時間帯に自転車で銀座までサイクリングをして欲しいのか欲しくないのか分からないものを買ってしまう日々。
そんな梅雨明けを皆様いかがお過ごしでしょうか。

ケントハシグチの「交換日記的なことやりたい人~!」という誘いに考える前に「やりたい」と言い出していたのですが、特段書きたいことや書くべきことが分からないまま今日になってしまいました。

そして、ただやりたいといっただけなのに気が付いたらnoteやロゴやメインビジュアルが作成されていて、ケントハシグチの行動力が想像以上でドン引きしちゃったけれど私は仕事以外の行動力が皆無なのでめちゃくちゃ凄いな~と思いました。
良い機会をありがとう。

話は変わり、10代の頃に書いたブログに「言葉は足りない方が美しい造形をしてる」と書いていて、造形が何を指すのかもう思い出せないけれど”足りないものがすき”という感覚は十数年経ってもそのままの熱量であり続けていることが嬉しかった。

余白のある文章や言葉がすきだし一人でいることや寂しいと思うこともすきだし、何かが足りていないと思いながら生きたいとずっと思っているのだけれど、孤独の中だけで考えられることや自分のぼんやりとした輪郭が急に鮮明に見える瞬間や、何となくダメだと思うことの気持ちの良さが堪らなかったりする。

それと同時に昔のブログを読んでず~~っと遠回しに「孤独だ」ということをつらつらと書いてる自分に対して、大人になった今の私も孤独だから安心してくれよな…と言いたくなった。
結婚したって(私はしていないが)子供がいたって家族がいたって人はずっと一人だと思うし、それで全然良いと今は思うので。

先日知らない人から「死ぬことについてどう思います?」と聞かれ、その時に「特別なことではなく生活の延長にあるもの」というニュアンスの返答をしたのだけれど、今も何が正しいかわからず時々思い出しては考えたりしている。
死ぬときくらいはドラマチックに死にたいな~と思ったり、小学4年生の時バスに跳ねられて見た走馬灯がしょうもなさ過ぎたので(学校のテストのことやお母さんに怒られたこと、遊び場の神社のこととかを思い出してた)次に走馬灯にを見たときに出てきてほしい景色のことを考えたり、デカい水がすきなのは生命の始まりと終わりに水辺があるからなんじゃないかとか、spotifyでお葬式のプレイリストを考えたり、自分のお葬式は白のドレスコードでパーティーしたいな~とかだから何なんだと思うようなことばかりだけれど、そういうことを考える時間がいつだって一番楽しいよね…。

もちろん死ぬことだけではなく未来のことや幸せについてもずっと考えていて、友人におすすめされて読んだ暇と退屈の倫理学に出てくる
「人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られなければならない。」
という言葉をずっとお守りのようにしている。

すきな人からもらった花、九州で買ったSteve Kuhnのレコード、友人の実家から送られてきたメロン、神保町で買った上野のれん会の創作山手線、友人が作ってくれた私とすきな人のグラフィック、大阿蘇牛乳、ビーフン東の五目ビーフン、El Candadoのシェリー酒…。
私の生活はたくさんのバラで囲まれているし、その生活をこれからも守り続けることが人生じゃんと思う。

今ちょうどバラの一つにある、Steve Kuhnレコードを聴いて文章を書いているのですがかなり良いので共有します。一人の夜にぴったりな音楽。

さて7月は私の誕生日(このnoteの公開日の前日!)なので、友人各位は手巻き寿司かタコスパーティーをしてボードゲームをやりましょう。


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デザイナー

IT企業のインハウスデザイナー。UI/UX・グラフィック・プロダクトのデザインやマネジメント・データ分析・社長のためのバンド奉公など仕事の幅が広すぎて何もわからなくなってきた。デカい水を見て煙草を吸うことと無防備な時間帯に人と話すことと水色と紫色がすき。ゴキブリ以外は多分食べれる。

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