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京都の桜のおはなし 【前編】南北朝の桜

結論

  • 足利尊氏と後醍醐天皇の対立から朝廷が京都と吉野に分裂した。

  • 北朝は京都御所として500年以上利用され、南朝はお花見の宴会会場になった。

  • 歴代の偉人も感動するほどの桜の美しさが令和時代でも観られる。


2024年は京都のお花見スポットについて話します。京都の桜の開花予想は3月24日です。2022年、名古屋の桜スポット、2023年、東京の桜スポットについてお話ししました。詳しくは、下の記事をお読みください。

2024年は、前編、後編に分けて京都の桜についてお話しします。前編では、南北朝時代に、それぞれ皇居が置かれた場所で見られる桜について、話します。

2つ朝廷のある時代が56年間、存在した。

日本に朝廷が2つ存在した時代は、1336年~1392年の56年間。南北に2つの朝廷があったことから、南北朝時代と呼ばれています。朝廷が2つに分裂したきっかけは、足利尊氏と後醍醐天皇の対立です。

後醍醐天皇は鎌倉幕府を滅ぼしました。1333年、建武の新政という天皇中心の政治を復活させました。武家も公家も平等と言いながら、公家が優遇されたため、武士たちに不満が溜まりました。1336年、足利尊氏が不満をもつ武士を集めて兵を挙げます。京都御所で光明天皇を即位させ、室町幕府が誕生します。

一方、後醍醐天皇は三種の神器を持って吉野に逃げました。京都の朝廷、室町幕府に対抗して吉野に南朝を開きました。

南朝が衰え、1392年、3代目足利義満によって南北に分裂した朝廷を統一させるために交渉しました。南朝が三種の神器を北朝に返還する代わり、対等の関係を保つことで合意しました。しかし、北朝が南朝を吸収し、北朝が権力を握ることによって、朝廷の統一が行われました。

北朝→京都御所

1331年、光源天皇が住まれてから1869年、明治天皇が江戸城に引っ越すまでの538年間、歴代の皇族が住まれていました。戦前まで即位式は京都で行われていました。戦後、皇室文化を伝える場として活用されています。

現在の京都御所は東京ディズニーランド2個分の面積を誇り、当時の皇族の生活を知ることができます。周囲は門、塀によって守られています。日本では、なかなか見られない広大な住宅です。

庭も広大です。同志社大学側では、春、訪れたとき、桜が咲き誇っていました。地元の方だけではなく、世界中からくる観光客も魅了していました。


南朝→吉水神社

1336年、後醍醐天皇は吉水神社に引っ越し、皇居を置きました。吉水神社以外にも、皇居の機能が置かれました。しかし、現在も皇居跡として残っているのは、吉水神社だけです。現在も、玉座、占いやお祈りのための鏡などが展示されています。

吉水神社から見る桜は、「一目千本」と呼ばれるほどの絶景です。一目千本とは、千本の桜が一目で見渡せる絶好の場所という意味です。実際は、約3万本の桜が山々に植えられています。山々をピンク色に染める風景は、歴代の偉人も魅了しました。安土桃山時代には、豊臣秀吉が感動し、涙も流したと伝えられています。

白っぽく見える部分が4月になると全てピンクに染まる

吉野では、2024年は4月1日開花し、4月中旬までお花見を楽しむことができる予報となっています。吉野山に行った話について、下の記事をお読みください。

前編では、南北朝時代、皇居があった場所の桜のお話をしました。近鉄を利用すると、京都から吉野へ2時間で行くことができます。4月上旬は、混雑する時期ですので、余裕をもった計画をたてることをオススメします。

後編では、京都に観光目的で行ったら、必ず歩く散歩道の桜について、お話しします。

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